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若者ならではの視点、とは。

地域で活動していると、中年のおじさんが「君たち若者ならではの視点や発想でまちを盛り上げてください!」と、たとえば学生に対して声高に伝える姿をしばしば見かける。何なら僕自身も、何度か実際に言われたことがある。ただ、その「若者ならでは」とやらはいったい何なのだろうと、当事者のひとりとしてしっくりきていない感覚があった。

「きっと若者なら面白い意見を聞かせてくれるはずだ」という、そこに滲み出る“やっつけ”の態度を、少なからず感じていた。また、期待感に見せかけた潜在的な優越感も散見され、すなわち若者側からしたら劣等感を感じさせた。まあ、あくまで僕の場合は、なのだけれども。

では、自分なりにその「若者ならでは」と向き合ってみると、キーワードは「常識」だと思った。「日常」と言い換えてもいいのかもしれない。彼らの常識や日常の中で、ナチュラルに感じて考えること。するとそれを求める大人には、それぞれから発せられる個性や(若者にとっての常識すなわち自らの)非常識と向き合い受け入れる、度量や技量が必要だという想像もできる。

いつだって若者たちは、彼らの時間を生きることしかできない。というかそれだけで十分なはずなのに、周りの大人たちが勝手に自らのモノサシを当てがっている。若者たちはその雰囲気を感じ取り、期待に応えようと背伸びをする。あるいは、嫌気が差してそっぽを向く。

そんな大人と若者に必要なのは、「対等」なのではないだろうか。決して上下の関係ではなく、お互いに尊重しあえる関係性。近ごろ大人側に立つことも多くなってきた僕は、誰もがナチュラルに過ごせるよう、そしてその上で個性を認め合えるよう、まずは自分自身が体現していきたいと思っている。

いつもいつもありがとうございます〜。