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「仕方ない」の使い手。

「あなたをひとことで表すならば?」。とあるコミュニティの顔合わせで、そんなことを問われた。僕は咄嗟にプロフィールの要約や好きなもの、あるいは自分自身の性格などを組み合わせるが、いまいちしっくりこない。そこで思いついたのが自分の生き方を示すことで、それこそが【「仕方ない」の使い手】だった。

「仕方ない」また「しょうがない」と、僕はよくもわるくもその概念に頼っている。基本的に自分や他人に期待することはなく、たとえば何かが不可能でも、怒ったり苛ついたりはしない。「まあこんなもんだよね」「そんなときもあるよね」と捉えて、それを実現できる別のルートを考えるわけだ。こうして示すと割と寛容でポジティブに映るような気もするが、その可能性を狭めている、とも言えそうだ。あるいは、ひょっとしたらまっすぐ向き合うことを避けているのかもしれない。

だから感情を“昂らせられる”ような、いわば自分とは真逆の存在は羨ましく思う。たとえば他人に不可能なことがあったとしたら、「なんでできないんだ」「もっとこうあるべきだ」と、自分自身を示せるような人だ。僕にはそこまでの責任感や正義感、勇気などはない。そもそも他人に対して、あまり興味もないのかもしれない。

まあそれでも、やっぱり結局自分の生き方を心地よく思っている。それこそ仕方ないのだ、僕はそういう人間なのだから。何事にも限界や適材適所はあるし、誰もがなるたけ無理のないように生きられればよいのではないだろうか。もちろんときに「無理」が成長に繋がることもあるだろうしその考えを否定はしないが、僕は「仕方ない」の使い手として、これからも生きているのだと思う。

いつもいつもありがとうございます〜。