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エッセイは、“描く”。


ただ連なる文字を追っているだけなのに、頭の中に自然と鮮明な景色が浮かんでくる。外見と内面の輪郭を帯びた登場人物が、独りでに喋りだす。「わたし」のありきたりなようで鋭い視点が、手に取るように分かる。

noteの「#心に響くエッセイの書き方」という、もう1年以上前のイベントを視聴した。そこで登壇されていた、エッセイを仕事にされている方々の文章を読むと、まるでひとつの映像を見ているようだ。筆を取る本人たちも、心のスクリーンに映ったものをしっかり届ける、ということを心がけているようだった。自分以外のものをすぐにカテゴライズしようとするのはぼくのわるい癖だが、これはもはや小説ではないかと思えるほど、そのストーリーが淀みなく進んでいく。

恥ずかしながら、あるいは誇らしくも、自分の伸び代を感じられた。これまで1年半以上noteを毎日更新してきたけれど、なんだか淡々と日々を振り返っているだけで、“読みもの”として成立しているのかを考えたことがなかったな。ましてや、たとえば映像を思い浮かべて伝えるなんて。

イベントに登壇された方々のnoteを読むと、エッセイは「書く」というより「描く」だと感じた。たしかに目の前の“紙とペン”と向き合うことも大切だが、もっと広い感性を持つこと。読んで字のごとく、描写すること。よし、これから改めて、ぼくはどんどんエッセイを“描いて”いこう。書くのはほどほどに、描いていくんだ。エッセイを。





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