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交通事故から1年3ヶ月【お父さんありがとう】

お父さん

 お父さんとは、年に1回会えるか、会えないか。(会える距離に住んでいないため)
交通事故にあったことは当時伝えていた。
この1年3ヶ月、悩んで苦しんで、
退職を決めたこと伝えた日を振り返る。



1.なかなか会えない

 近くに住んでいないため、
会えるのは年に1.2回。連絡も頻繁には、
しない。
何かあれば連絡する程度。
でも、お父さんには変わりない。

2.看護師を最初反対していた

 今回、退職を伝えるにあたって約20年前を
思い出していた。そういえば、看護師を目指すときお母さんは、応援してくれていたけど、
お父さんは、反対してたなぁ•••。
私のことを心配して、
お父さんは、当時看護師を目指すのは、
やめなさい。
って私に言った。

•勉強しない
•一般常識をわかっていない
•抜けてる
•ちゃんとしてないから心配
•適当な性格
•そもそも頭が悪い

からかな?•••、、、
自分で書き出していても
自分の子なら心配だよなと思う。
看護師の仕事は、
少しのミスが、命に関わる仕事だから。

でも、最終的には、
看護学校受験したいって意志を伝えたら
応援してくれた。

3.交通事故にあった日

 事故にあった日、お父さんにも状況を伝えた。
車の状態、身体のこと心配してすぐ電話をしてくれた。まず、物損事故で処理した件については、
ダメだぞ‼︎と注意⚠️をされた。

理由は、
•事故当時は、大丈夫と思っていても1週間くらい様子を見ないと身体の状態は分からないこと。
ムチウチは、そういうもんだから。
•大丈夫‼︎と決めつけは良くない。
•実際に、数日後から、調子悪く仕事が
できなくなった。

頭痛、吐き気で点滴


 数日後から状態は悪化。
仕事ができなくなった。
お父さんに言われた通りだった。
ムチウチの怖さを軽視していた。
わかっていなかった。
後日、物損事故→人身事故に変更した。
身をもってムチウチの辛さはわかった。
大丈夫です‼︎で、物損事故処理したけど、
全く大丈夫ではなかった。


4.退職を決めた

 夫の言葉で、
(ドラえもんの話←noteで書いてます)
やっと退職を決意してから数週間後。
お父さんにも、看護師として今働けないから、
退職することを伝えた。

 昼間なのに、すぐ電話をしてくれた。
私も、気持ちが落ち着いていたから、
涙を流さず、ゆっくりちゃんと
自分の思いや考えを伝えれた。

お父さんは、
17年も働いてきて、退職するのは、勿体無い。
環境もいいなら尚更。
休職期間を伸ばして、
身体の回復を待ってみたらどうか。

と心配して、今後のことも考えてくれた言葉だった。

 今までの経緯を説明した。
今回で、4回目の休職•••。
辞めたくなくて必死にしがみついてきたけど、
身体だけではなく、心もついていけなくなってしまったことを
伝えた。

お父さん

『身体がまず大事だからそれからだね‼︎。
お金は、無駄遣いせず、子どもたちにもお金がかかるんだから。大事にしなきゃダメだぞ。』

(↑私がミニマリストを目指して生活しているスタイルを知らない。無駄遣いはしてない笑)

いくつになっても娘は娘なんだなぁ〜って思った。

5.涙

 涙は出なく落ち着いて話ができたが、
電話を切った途端、急に、涙が溢れ出てきた。
止まらない。

あれ?落ち着いていたのに•••。
全然止まらない。
なんだろう、この涙•••。

この涙は、

お父さんに対するありがとう。と、 

本当は、仕事を続けたかった。
諦めたくない思いが少なからずあって
悔しいんだろうな。
でも、今は働けない。
その現実を受け止めきれてないんだな。
と思った。

でも、大丈夫。
これの涙は大丈夫。
泣きたい時は、いっぱい泣いて。
涙が出ている私も私だから。

今は、一歩踏み出してみよう。そう思えた。


6.終わりに


 お父さんと話ができて、思いを伝えれて良かった。いくつになっても娘なんだなぁ。親の気持ちが、私自身、親になれたからわかるなって思った。全然会えなくても、いくつなっても当たり前だけど私のお父さんだな。って思えた。
          ありがとう•••お父さん。


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