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☆満願成就☆



典子(のりこ)


「伊代ちゃんが典子を待っているよ!」

明るい声で典子は振り向く。後に絽美(ろみ)が笑って立っていた。

筋肉質な堅肥りで笑顔が似合う、大学には体育会系の推薦で入学したが怪我が原因で部は辞めてしまったと聞く。

元々社交性があるのか、絽美から典子に声をかけて来て、今はやたら近くにやって来る。

絽美から近寄って来るので典子がわざわざ拒む理由も無く、いつからか、周りから見れば近しい仲ともいえるような関係となっていた。

典子は絽美をロミとかロミちゃんと呼んでいた。

「伊代とは別に約束してないけど」愛想なく答える。

「え?そうなの?」絽美はちょっと拍子外れた顔をした。

「でも、典子と伊代は中学、高校からの同級生でしょう、もう双子みたいで二人仲良くて羨ましいよ」と唐突に続けた。

「やめてよ、ロミちゃん、何度も言うけど私と伊代はまるで似てないじゃない。」

こういう脈略無く話を持って行く絽美の無神経さ、鈍感さが典子は嫌悪していた。

典子は長身のやせ型だったが、伊代は小柄でふっくらしている。典子にとってそんな伊代はだらしなく太っているようにも見えていた。

どこが双子なのよ。。。

でも、もう一つは確かに当たっている。

そうなのだ、典子と伊代はずっと中学・高校と同じ学校だった。

私は伊代より学校の成績もクラスの順位も全て上だったんだから。

本当なら典子はこんな大学では無くもう一ランクも二ランクも上の国立に行くはずだった。

しかし試験当日体調優れず、結局今のすべり止め大学に進学することになった。そこにはこの大学が第一志望で入学した伊代がいた。

典子は伊代より自分が優れていると思っていた、しかし、今は伊代と同等になったかと思うと心の中に忸怩たる思いが過る。

「そろそろインターン先決めないとね」絽美が深刻そうに言う。

来年は真剣に就活を始めなくてはならない、その為にもインターン先を決める時期になっていた。

「典子はどこにインターン行くか決めた?」

「大体ね、何社か申し込んだけど、、、」真剣な顔で絽美が典子をのぞき込む。

典子はイラっとして冷たく答える「絽美は稼業を継ぐのだからインターンなんて関係ないじゃない」

絽美は少し悲しそうな顔をして話題を変えた。

「じゃね、私、これからスピ研に行くから」と絽美が言う。「今日は吉方位の研究なのよ、今度典子もおいでよ」

「ああ、そうね」典子が少し軽蔑したように応える。

絽美はやたら占いやスピリチュアルに凝っていて、時折突拍子もない事を言い出し、それらをまるで信じない典子を辟易させていた。

伊代はその話を真剣に聞いたりしていて、典子はそんな二人を軽蔑していた。

典子から見れば絽美は伊代との方が自分とより仲良いように思えた。

少し歩くと前に伊代がいた、何かブツブツ言っているようだった。

「伊代ちゃん、そこでロミと会って、、、」

典子が声をかけると伊代は険しい顔をして振り返った。

「、、、典ちゃん」

伊代の険しい顔は直ぐいつもの柔らかい笑顔、典子から見るとだらしない笑顔に変わった。

「どうしたの?怖い顔をして」
「え?怖い顔してた?」伊代は驚いた顔をした。
「そうだよ、何か怒っているみたいだったよ」
「あ、お母さんの具合が悪くてちょっと心配だったから」

背の高い典子を見上げ眩しそうに伊代が答える。

「おばさんどこか悪いの?」

伊代の家は母子家庭だった。
父親と離婚したとかで母一人子一人でとても仲の良い母娘だった。

伊代の母親の小太りな、これまた典子にとってだらしなさそうな、どこか緩く、ぼんやり笑む中年女性の顔が浮かんだ。

「うん、大したこと無いと思うのだけど、近頃ちょっとね」と口を濁した。

典子は深く聞くのは辞めた。そもそも伊代の母親に興味などない。

次のクラスまで時間があるので二人して近くのカフェに落ち着いた。

伊代が近くにいると典子は妙にイラつく。スマホを取り色々とネットをチェックするふりをした。

伊代も黙って珈琲を飲み、レポートを仕上げているようだった。

ふと絽美が「吉方位の研究」と言っていたのを思い出した。

「吉方位の神社に願掛けしたらどう?」と典子は自分が思っても見なかったことが口から滑り出た。

「願掛け?」驚いたように伊代が顔を上げた。

「うんそうそう、おばさんの快気願掛けするのよ」典子はスマホで地図を示した。

「ここにある○○神社、私たちの生まれ年の吉方位なんだって。ここに朝一番30日間お詣りすれば良い事あるよ」と適当な話をする。

「〇〇神社?」伊代は珍しく鋭い目つきをした。

へ~伊代もこんな目つきするのだと典子は少し驚きながら、あの神社は石段が100段近くある、そりゃ目つきも鋭くなるかも知れないと心の中でつぶやく。

「そう、毎朝6時位が良いんじゃない、30日連続してお参りすれば良い事あるよ」

伊代の顔が一気に明るくなった。

「有難う典ちゃん、明日から早速お詣りしてみるわ」

典子は思わず吹き出しそうになった。
本当に伊代は頭が悪い。私の言ったことを何でも信じて。

伊代が朝6時に100段の石段を登り願掛けする様子を想像するだけで典子は笑いだしたくなるくらいの快感を覚えた。

「朝6時だと5時には起きなくちゃならないし、石段がキツイけど、願掛けは大変なほど願いが叶うらしいよ。30日したらおばさんきっとよくなるよ」

「そうね、有難う典ちゃん、お母さん良くなったら典ちゃんにもお礼するね」伊代は笑顔を典子にむけた。

典子はその顔をまじまじと見ながらある男子学生を思い出していた。

彼はどうして私よりこんなだらしなく笑う女が良かったのだろう。

心に苦い思いが吹き出してくるのを押さえて典子は珈琲を一気に飲んだ。



絽美(ろみ)


絽美は大学のゼミ室まで歩きながら痛む膝を庇った。

絽美は自分の名前が嫌いだった。

両親は二人ともかつてはそこそこ名の知れた体操の選手で、絽美が将来体操選手として世界で活躍しても分かり易いようにと、この名前を付けたのだった。

しかし絽美は体操ではなく陸上に進み、しかも両親の期待虚しく、練習中に怪我をしてしまい選手生命は終わりを告げた。

両親は落胆し、怪我をした絽美に冷たかった。

絽美は両親の過大な期待から解放されホッとした時には、両親の関心は妹に移っていた。妹は両親の望む体操の世界で学生選手として活躍していた。

陸上部を離れてしまうと絽美には部活以外で友人と言える人間が学内に1人もいない事に気が付いた。

ぽっかりと時間が空いた。

そんな時に絽美は伊代から声を掛けられた。

「もし良かったら次の時間まで一緒にレポートまとめない?」

同じクラスにいながら絽美は今まで伊代の存在に気が付いていなかった。

小柄でふわふわしたふっくら体形、くせ毛の髪の毛を肩まで垂らした様相が彼女の優しさを強調させているようだった。それに笑顔が飛び切り綺麗な女性だった。

何て良い笑顔をするのだろう。

絽美は自分には特別な感覚があり霊感があると信じていた。幾つかの神秘体験もしている。

伊代には何かがある、直観的にそう感じた。

二人きりになった時、絽美は伊代に自分の不思議な感覚について話してみた。伊代は否定もせず黙って聞いてくれ、絽美の伊代への友情は益々強いものとなった。

「私には良く分からないけれど、ロミちゃんが特別な能力を持っているの、本当に羨ましいわ」

伊代のその言葉は陸上部を退部し全てを失っていた絽美を狂喜させた。

そう、これは感覚じゃなくて能力なんだ。立派な霊能力なのよ!

絽美はもっと伊代と沢山話してもっと親しくなりたいと思っていたが、伊代には沢山の友人がいて、なかなか二人きりで話が出来なかった。

しかも絽美が伊代と二人で話したくても、伊代はいつも典子を探していて、典子を見つけると走り寄って行ってしまう。

絽美にとって典子は鬱陶しい存在だった。

絽美は典子とも仲良くしなくてはと思ったが、典子との間には厚い透明な壁があるように思えた。

典子は絽美に対していつも上から目線で、自分はこんな大学にいる存在ではない、と口にし、クラスメイトからも煙たがられ孤立していたが本人は全く気にしていない様子だった。

伊代はそんな典子を好いているのか、伊代の方が典子の近くいたそうに見えた。

そして二人はどことなく似ていて、時折双子のように見える時が絽美にはあった。

理由は分からない、私の霊感がそう告げている、と絽美は信じた。



伊代(いよ)


自宅に戻ると母が機嫌よく鼻歌を歌いながらキッチンを片付けていた。皿数が複数ある。

「お父さん戻って来ていたの?」

伊代に今更気が付いたように母は振り向いた。

「そうなの、仕事の合間に戻って来たのよ」うなじに絡まっていた髪を嬉しそうに抑える。

「教えてくれれば良かったのに」不満そうに伊代は母親に向かって言った。

「だって急だったのだもの」

伊代はイライラした様子で、これ見よがしに開け放たれた母親の寝乱れた寝室のドアを閉めた。

「また具合が悪いとか言ってお父さんを呼び出したんでしょう」

伊代の声が少し尖った。

「だって、、、」母は上目遣いで伊代を見て言った「なかなか戻って来れないからお願いしたのよ。」

「仕方ないでしょう、仕事忙しいだろうし、それに、、、」と伊代が言いかけたところで母親が言葉を被せて来た。

「戻って来れそうなんですって。」

「え?」

「やっぱり〇〇神社さんの願掛けは聞くわね。」

母親はふふふと嬉しそうに笑った。

「戻って来るってここに?」伊代の声も一オクターブ高くなった。

母親は真顔になって「当たり前じゃない、他にどこがあると言うの?」と強く言った。



典子(のりこ)



典子が自宅で本を読んでいると階下からガタガタと音がした。

「お母さん?」

階段を降りると母が疲れた顔でダイニングに立っていた。

「今日帰って来るの早いね?」典子がそういうと母は驚いたように振り向いた。

「あら?帰っていたの?」

典子が頷くと母は「貴方の年齢なら大学の友達と遊んで来るものなのに」と呟いた。

典子はムッとして「大学に友達になりたいような人達いないし」と返した。

「何言ってるの、伊代ちゃんと仲良いでしょ」

「やめてよ、あの子が勝手に纏わりついてくるだけなんだから」

伊代の名前が出て来て典子は思わず強く答えてしまった。

母は少々驚いたように典子を見たが、直ぐに手元に広げた食材で夕食を作り始めた。典子も黙って母の隣に立ち手伝う。

そうだ、母は子供たちに興味がない、愛情が無いわけでは無いのだろうが、他の母親たちとは少し違う。

勉強しろと言われたこともないし、ああしろ、こうしろと言われたことも無い。しかし放任主義でもない。

典子には4歳離れた兄がいる。母親は男の子に甘いというが、自分の母は兄に対しても自分に対しても同じ扱いであった。

兄は優秀で国立大学に現役で入り、今は大手企業の本社勤務になリ自宅を離れた都市で1人暮らしを満喫している。

自分もその国立大学に入るはずだったのに地元の冴えない大学にいる。

同じ兄弟なのにな。。。

母の端正な横顔見ながら典子は思った。

母にもう少しでも似ていたらもっと異性から声を掛けられたかな。

兄は母に似て綺麗な顔をしていた。典子は父親似であった。

このひとは自分と自分の仕事にしか興味がないのかもしれない、と自分の母親に対して常々典子は感じていた。

母は地元の総合病院で診療放射線技師として働いている。病院でも随分嘱望されていて順調に昇進もしているようだった。

父は医療機器メーカー勤務で、まだ20代の時に母の勤める総合病院の営業担当で母と出逢い、父が猛烈にアタックして結婚したと聞く。

父の方がぞっこんだったのが両親のその後にも影響しているのか、母は子供たちに向けたのと同じような関係性を父にも向けているように典子には映った。

父を愛していないわけではない、大事にしているし、母なりに妻の役割は立派にこなしている、でも、やはり母は父より母自身が大事なんだろうと思わせる。

反面、父はとても子煩悩だった。

兄の事も可愛がったが、世の父親がそうであるように、父親は典子を溺愛した。典子も父が大好きであった。

「何見ているの?」母はふっと笑って典子を見て続けた「その顔お父さんにそっくり」声が優しく響く。

「うん、別に、、、」母の横顔見つめた自分に気が付き典子は苦笑いした。

母は手際よく夕飯を作り皿に盛るとテーブルに置き冷蔵庫から缶ビールを出した。

「飲む?」
「ううん、要らない」
「そう?」

母1人グラスにビールを注ぐ。母の細く長い指と綺麗な白い手を眺める。

「冷めないうちに食べたら?」母は言う。
「あ、そうだね」

母はビールを飲みながら典子を見た。

「何かあったの?」

「何もないよ」母に急に言われて戸惑いながら答える。

「あ、伊代のお母さん具合悪いとか言ってた」と自分でも用意していない言葉が口から転がり出して来た。

「伊代ちゃんのお母さん?」母の端正な顔がゆがんだ。

伊代の母親は母が勤める総合病院に一時清掃係で勤めていたことがあり、母は直接関わりは無かったが顔は知ってるようだった。

また、もしくは典子の中学高校のPTAやら学校行事で会っていたのかもしれない。尤も典子の母は仕事重視で余り参加していなかったが。

典子が大学に入ったばかりの時、母が同僚ナースを家に招いた事があった。

典子も一緒にいた食卓で、彼女は伊代の母の話を始めた。

話の内容は極めて衝撃的であった。

伊代の母は随分前に夫と別れていたが、勤務先の病院で2度も堕胎し、浮気相手はその産婦人科の担当医師では無いかと言われていたこと、その他色々問題を起こし退職させられたこと、それでもこの町に留まっている厚顔な女だと。

彼女は、私と同僚達で伊代の母親を病院から追いだしてやったのよ、と自慢気に話していた。

その話を聞いたせいか、典子には伊代の母も伊代も、だらしない、気持ちの悪い存在に映る。

いや、そんな噂話を聞かなくても、あの母娘の笑顔は心底気持ちが悪い。絽美が「綺麗な笑顔」と言ったのを聞いて耳を疑ったほどだ。

「、、する?典子?」

「あ、ごめん」母の声ではっと我に返る。

「お替り、いる?」

母は新しいビール缶を開けていた。

「ううん、要らない。もうお腹一杯、ごはん美味しかったよ」

母は黙ってグラスに注がれたビールを飲み干す。余り食べていないようだった。

「ねえ、あのナースの人元気かな?」
「え?誰?」
「ほら、お母さんと仲良かった、うちにも遊びに来たじゃない、伊代のお母さんを嫌いだった、、、」
「ああ」母は再び顔を歪めた。

「亡くなったのよ」

「え?いつ?どうして?」

「去年かな、体調崩して手術受けたのだけど、急変してしまってね」

典子は、家に遊びに来た、彼女の明るく元気そうに話をする姿しか思い出せない。

母は伊代の母親の話を聞いてどんな反応していたのだろう、これも思い出せない、、、元々噂話など興味無い人だし、、、そうだ、父も一緒に食事していたのだった。

伊代の母親の話を聞いて母より父の方が驚いていたのを思い出した。

父もその総合病院が担当だったから伊代の母親を見かけた事があったのかもしれない。それか、、、伊代の母親の、自分が勤務する病院で2度も堕胎する大胆さを、男として恐怖したのか。

「お父さん驚いてたよね、伊代のお母さんの話を聞いて」
「そうだった?」
「お父さん、伊代のお母さん知っていたのかな」

母はちょっと考えるような顔をしたが「どうなのかしら」と興味無さげに応えた。

父は数年前に昇進をして本社勤務になり単身赴任をしている。兄とは住まいも近く、時々食事をしたりして会っているようだった。

多忙ながら、週末には必ず自宅に帰って来る。家族を大事にする理想的な、典子が大好きな父であった。

「お父さん今週末何時ごろ戻って来るのかな?」

典子は今度の家族旅行の相談をしようと思った。
家では数か月に一度家族旅行をする。近頃兄は不参加が多いが典子には楽しみな家族のイベントであった。

「お兄ちゃんに聞いてみたら?お父さん、今日か明日お兄ちゃんと食事する予定だから」と母が答える。

「近頃お父さんとお兄ちゃん仲良いよね」

今までお父さん、私の方が大事だったのにな、とチクリと心が痛む。

「ああ、そうね、ちょっと仕事関連の相談があって、二人で打合せするそうよ」母が典子の気持ちを察してか付け加える。

「仕事?業界違うじゃない?」典子が少し驚いて聞く。

「うん、なんか、弁護士さんを紹介して貰うとかで、会社の中でもまだ公に出来ない案件があるのでしょ、それ絡みのようよ」母にしては珍しく歯切れ悪い口調で説明した。

「ふ~ん、社内弁護士使えないなんて物騒だね。」

兄も社会人になって活躍しているのだな、と典子は自分だけ置き去りにされたような気がする反面、何をやっても優れている兄を誇らしくも思う。

でも、私は、、、

自分は後数年で社会人だけど、、、何の目標も無い、どうしたら良いのだろう。。。

典子は自分の将来が暗く淀んでいるように見えた。

「お父さんがね」典子を現実に戻すかのように、母が珍しく神妙なトーンで話出した。「もう単身赴任嫌なんだって」

「え?でも本社で良いポジションにいるのでしょ?」

「うん、だからお母さんが今の病院を辞めて、お父さんの住むところから通える病院に移ってくれないかって言うのよ。お父さんが良い条件の病院を探してくれて、お母さんもそこなら良いかなって。典子の大学まで頑張れば通えない距離でもないし、もうそんなにフルに授業もないでしょう?」

今まで自宅から自転車やバスで30分位で通っていたが、父の住む場所からとなると一時間半はかかる。

でも家族一緒に住めるなら、、、あんな大学中退してもいいかもしれないと典子は思った。

何と言っても伊代の気持ち悪いだらしない笑顔をもう見なくて済む。


絽美(ろみ)


絽美は暗い気持ちでとぼとぼと歩いていた。

折角のスピ研の日であったが、クラブの同級生達は就活の話ばかりで絽美は置いてかれたような疎外感を味わった。

絽美の将来は両親がやっている子供用のスポーツクラブを継ぐことでほぼ決まっている。

それが両親の希望だから。。。

少子化の昨今、しかも田舎町の事だ、いつ潰れてもおかしくないスポーツクラブだが、僅かながら町からの補助金で食いつないでいた。

大学を卒業したら、この都会の衛星都市から離れて、片田舎に戻らねばならない。みんながみんなを知っている小さいコミュニティ。想像するだけで気分が暗くなる。

妹が継げばよいのに。。。

怪我をしてから手の平返しで冷たい両親に対して虚しい気持ちになった。

絽美の脳裏には自分の両親の垢抜けない姿が目に浮かんだ。

いつも自分が正しいと信じている命令口調の父、自分のいる狭い世界が最高だと信じて疑わない母。

あの息苦しい世界に戻るしかないのか。

絽美は狭いアパートに戻る気も起らず裏道を歩き出した。

日が暮れるまでまだ時間はある、少し気晴らしをしたかった、こんな気持ちのまま家に戻りたくない。

が、アッと言う間に痛めた膝がずきずきして来た。
もうそろそろ怪我から一年経つのに一向に良くならない。

もう少し歩けば〇〇神社の角に行ける、そこにベンチがあったはず。

漸くベンチまでたどり着きのろのろと腰を下ろす。全身汗まみれだ。

怪我をしてから一体自分はどのくらい太ったのだろう。考えるのも億劫になり、着る洋服もだぶついた服装ばかりになっていた。

「もう少し着るものに気を使ったら?」

典子の冷たい視線と突き刺さるような言葉を思い出し絽美は嫌な気持ちになった。

典子の兄が有名国立大に現役で合格し、典子もその国立大学を受けていたと聞きかなり驚いた事も思い出された。

うちの大学が滑り止めとは言え、有名国立大学と併願するのも不自然だと絽美は思った。

浪人は嫌だからこの大学に在籍のままもう一度願書を出したが、受験当日再び体調不良になり受験すらできなかったと言っていた。

嘘ばっかり。

嘘でなくてもいいきみだ、と絽美は思い、不機嫌そうな典子の顔を思い出しほくそ笑んだ。

典子の家は両親ともエリートでかなり裕福そうだった。両親の愛情を一身に受け、お小遣いも潤沢、バイトする必要も無く、いつも高そうな服を着て、絽美には手が届かない良いものを沢山持っていた。

ある日典子が品の良いラベンダー色のペンとペンケースを持参していた。

絽美の知らない何処かの高級ブランド製らしい。

「典子、素敵なペンを持っているね、新しいヤツ?」と絽美が典子に聞くと典子は嬉しそうに「うん、父親がお誕生日に買ってくれたんだ」と答えた。

絽美はそんな典子の様子を意外に思って眺めた。

典子もこんな嬉しそうな顔するんだ。

いつも不機嫌そうで、ちょっと冷たい話方をする典子にもこんな面があったのかと新しい発見をした思いだった。

私の父親もこんなセンスの良い贈り物をくれたなら、、、絽美は典子の白くて細い指に持たれたラベンダー色のペンを横目で見た。

羨ましいとか妬ましいという気持ちとは違い、自分の置かれた環境と比較すると何ともどんよりした暗い気分になる。

絽美は元々スポーツ推薦であったから退部した今、授業料その他、両親に迷惑をかけてしまっている。しかも足の怪我でバイトもままならない。

今日だってカフェでお茶をしたかったがそのお金ですら節約している。

そういえば典子に比較して伊代は、、、

伊代は普段は質素な服装をしているが、たまに高価な海外ブランド品を身に付けていた。

典子の良質で高価な持ち物とは違い、誰がみてもブランドと分かる、正直センスは無いが高そうなものだった。

典子がラベンダー色のペンを利用するようになり、ある日伊代も似たような色のペンを持って来るようになった。

似ているが何だか野暮ったいペンだった。

クラスメートが「あれは○○のペンだよ」と伊代のペンがとても高価な海外ブランド品だと言っていたのを思い出した。

そういえば、クラスメートが伊代のブランド品のバックを見て「パパ活しているんじゃない?」と冗談混じりに言われ、珍しく伊代が激怒したことも思い出された。

「違うわよ、これはお父さんが私に買ってくれたの!嫌な事言わないで!」伊代はバックを大事に抱きしめるような仕草をした。

「私のお父さんホント優しいの。。。」うっとりするように伊代は言う。

それを聞いて絽美は「あれ?」と思った。

誰が言ったのだろうか、典子だろうか、伊代の家は母一人、子一人だと。確か離婚したと聞いたような気がする。

でも本人から聞いたわけじゃないから。。。

それでもしつこく揶揄する同級生がいたせいか、伊代は相当腹立たしく思ったようで、スマホを操作して父親の写真を出してみんなに見せた。

「これが私のお父さん!」

「へ~」クラスメートは伊代のスマホをみんなで回し、感嘆の声を上げながら伊代の父親の写真を眺めた。

絽美は伊代に対して失礼な気がして遠くからちらっと見た程度だった。

「すげえ、イケオジじゃん」

遠目なので顔は良く分からないが、長身のすっきりした雰囲気で、女性にモテそうな中年男性が写っていた。

奇妙なのは伊代が見せたのは、家族写真ではなく、父親1人が写っている、まるで隠し撮りしたような写真だった。

写真を見たみんなも同じように感じたのか「でもこの写真隠し撮りみたいじゃない、父親をこんな撮り方する?それに、、、このひと伊代に似てないよ」ずっと意地悪く話をする子が続けた。

「だって家族写真は自宅に置いてあるし、、、この間お父さんと待ち合わせした時、驚かせようと写真を撮ったのよ、私母親似なの!」

ムキになる伊代を見ていて絽美は胸が苦しくなった。どうしてみんなそんなに伊代を責めるようなことを言うのだろう。

「もう良いじゃない、意地悪な話は辞めようよ、伊代ちゃんがパパ活するわけないでしょ」絽美はみんなに言った。

皆の反応はそれぞれだったが、意地悪な彼女は「へっ」と鼻でせせら笑った。

なんて感じ悪いんだろう。

そうそう、その彼女、あとからパパ活しているとか、危ない組織と関わっているとか、良からぬ噂が立ち、その後大学に来なくなり退学したのだったっけ。

ひとの事色々詮索するからだよ、自分が危ない人間だったのじゃない。

絽美は密かにその噂を聞いて、あの意地の悪い女子学生の顛末にいい気味だと思った。

と思いながらも、ひとのことをいい気味などと思うから、私も怪我がなかなか良くならないのかな、と痛む膝に触れる。

絽美は深くため息をつき神社の長い階段を見上げた。

誰かが降りて来る!

絽美はその姿に目を吸い寄せられ動けなくなってしまった。

神社の階段は100段近くある、そろそろと降りて来る人間が段々近づく姿を見て絽美は驚いた。

「伊代ちゃん!」

伊代は絽美がいるのに気付いていたのか、華やかに笑って近寄って来る。

「ロミちゃん、こんなところでどうしたの?」

「あ、うん、ちょっと考え事していて」伊代の綺麗な笑顔を見て絽美は先ほどまで思い出していたことを気づかれたかとドキドキして答えた。
「伊代ちゃんこそ神社で何を?」

「ん?お願いごとよ、願掛け。」
「えっ?この階段上って?何を願っているの?」

伊代はちょっと表情を険しくして「お願事は人に話したらダメなのよ」と答えた。

「あ、ごめんね、つい」
「ははは、大丈夫、冗談よ、でも叶ったらお話するね。」伊代は悪戯ぽく笑った。

「もう私、1年近く○○神社で願掛けしているのよ、時々来れない時もあるけどほぼ毎日。でもそろそろ願いが叶うかな。」

真顔で答える伊代を見て絽美はなぜか怖くなった。

「雨の日も寒い日も暑い日も、、、この階段上がるの根性いるよね」絽美は階段を恐る恐る見上げた。

「簡単だとお願いがかなえられないでしょう。私のお母さんはもう10年近くこの神社で願掛けしているわよ」

「え?10年も?」絽美は驚いた、なんという執念なんだろうと。

伊代はコクリと頷くとひとり事のように言葉を吐いた。

「誰かに見られてしまうと最初からやり直しなんだって。だから10年もかかっているのよ。でももう直ぐ叶いそうだって。」

誰かに見られたらやり直しって、、、呪いと同じじゃないの。

「今度ロミちゃんの足も治るように願掛けするね」伊代がにっこり笑った。

その笑いが絽美にはなぜかとても怖く映った。

「あ、ロミちゃんは典子が好きなんだよね」と伊代がポツリと言う。

「え?私?」急に言われて絽美は戸惑った。

「わかるのよ、憧れっていうのかな」伊代は続ける「もっと仲良くなりたいのでしょう?」

え?何それ、私が仲良くなりたいのは典子じゃなくて伊代なのに。

「今度二人もっと仲良くなれるよう願掛けしてあげる、でも見ちゃだめよ、見られてはダメなのよ」伊代は微笑みを浮かべながら話す。

見るも何もこの神社には滅多に来ないし、と言おうとして絽美はある映像が頭に浮かび上がって来た。

神社での真っ暗な階段、、、

そして思い出した、、、あれはいつの夜だろう、陸上部の部員と、あと他に誰かと、、、一緒に肝試しに深夜の○○神社に行ったことを。

そうだ、その一角に誰かを見かけた、誰だったのだろう。

なぜ忘れていたのだろう。

暗闇で見かけたのは誰だったのか、そして、誰と一緒だったのか、その先を何も思い出せない絽美は激しく混乱した。


伊代(いよ)


「伊代ちゃん、伊代ちゃん」母親の甲高い声で目が覚めた。

「今何時?」寝ぼけた声で伊代は起きる。

「何時でも良いでしょ、お父さんが、お父さんが、お父さんがね、、、」母親の声は涙声になっている。

「お父さんがどうしたの?」
「こちらに戻るのは無理だって。。。」
「でもお母さんはこの間お父さんはうちに戻って来るって言ってたじゃない」

母親は返答せず伊代に抱き締め泣き出した。

「ああ、誰かに見られたのかも、また願掛けやり直さないと。。。ああ、悔しい、私を見た奴に願返しをしてやらなくちゃ!」

母親は悔しそうに伊代を抱く力を強めた。

「お母さん大丈夫だよ、今度は私も願掛けしているから」

母は黙って伊代を見た。

「一年間ずっと願っていたの、そろそろ満願になるはずよ、お母さん」

伊代はにっこり母に笑いかけた。



典子(のりこ)


「こんな早く呼び出しっておかしいでしょう?」典子は不満そうに言った。

「仕方ないでしょ、イレギュラーなのだから」母親は静かに溜息をついた。

母親の依頼で典子の運転で勤務先の病院まで送り届ける事になった。

空は白んでいるとはいえまだ夜明けまで行かない時間だ。しかも典子は車の運転はそんなに得意ではない。文句の一つも言いたくなる。

それでも見慣れた街を眺めながら運転すると、文句を言いたい気持ちは抑えられ、今更ながら感慨深い気持ちになった。

母も同じ気持ちなのか「もう直ぐこの街ともお別れね」と小さく呟いた。

生まれ育った自宅は運よく借りるひとが出て来て、新しい街で父と暮らす家も見つかり、転居話はトントン拍子に進んでいる。

典子も新しい家から大学まで通学時間はかかるが、家族一緒が良いとも思うし、大学自体に未練はない、両親や兄の勧めで海外留学することも検討し始めていた。

「あら?こんな早くに神社にお参りする人がいるのね」母が呟く。

車はちょうど○○神社近づいていた。

「え?」典子は〇〇神社の方に顔を向けた。誰か小柄な女が階段を上がって行くのが目に入った。

「伊代だ!」と言おうとしたが運転に慣れていないので直ぐ前の道に目を戻した。

伊代って本当にバカ。私の言ったこと真に受けて毎日願掛けしているんだわ。

典子は腹の底から笑いが出て来て抑えられなくなった。口からクックと声が出てしまった。

「何なの?気持ち悪いわね」母が気味悪そうに言った。
「うん、ちょっと思い出し笑い」

今度伊代に言ってやろう、私の事信用した?あんなのウソだよ、騙されたんだね、て。

その時の伊代の惚けた顔を想像して典子は心底おかしくなった。
そして高校時代の苦い思い出を反芻し、同級生の男子の顔を思い浮かべた。

アンタが選んで、、、そしてアンタを捨てた、そのオンナは本当にバカなんだよ、そんなのに捨てられてざまあみろ。



絽美(ろみ)


絽美はそろそろと陸上部の部室に立ち寄った。

退部して一年、その間一度も近寄ったことすら無かった。だが、どうしても肝試しのことを確認したくなったのだ。

「絽美!」部室にいた部長を含め部員が一斉に駆け寄って来た。

「怪我の具合どう?」みんな異口同音に心配そうに尋ねて来る。

「うん、、、一年経つのになかなか良くならなくて、まだ痛むのよ」

みんな一瞬息を飲むように「へっ?」と言った。

「一年?何言っているの、一か月前でしょ?」部長が不思議そうに答えた。

「一か月前?!」今度は絽美が驚く番だった。

「学内でも松葉杖無しで歩いているから随分早く良くなったのだと思っていたけど。」部長が訝しげに話してくる。

「松葉杖?」

自分が松葉づえを使っていた記憶が無い。しかも怪我したのが一か月前?頭がクラクラして来た。

「大丈夫、絽美?」

絽美はへたり込むように部室のベンチに座りこんだ。

「みんな心配していたんだよ、携帯にも出ないし、メッセージの返事もないし、いつも大学で1人でいるし、話掛けても上の空だったから、、、、」

そうだ、この子は陸上部でとても仲良かった、、、えっと名前が、、、。

「私、退部したんだよね?」

周りが息を飲むのが分かるようだった。

「違うよ、休部だって。怪我が治ったらまた復帰出来るって。お医者さんもそう言ってたじゃない。とにかく怪我が完治するまで大事にしないと治りが遅くなるよ」仲が良かった彼女が言う。

「で、でも私、こんな太ってしまって」絽美は自分の身体を両手で抱き締めた。

「太った?逆でしょ、こんな痩せちゃって」仲が良かった彼女は絽美の手をとってさすった。

「絽美、明日にでも一緒に病院に行こう、怪我で色々とショック受けているのかも知れないよ」部長が目線を合わせて同じく座りながら話掛けて来た。

「私、肝試しで怪我したんだよね、、、」

周りが目配せをしているのが分かった。

「誰かと一緒にいたと思うのだけど。。。」

誰だろう、誰といたのだろう、思い出せない。

あれ?さっき大学で1人って、、、いつも典子や伊代と一緒にいたのに。どうして一人なんて。。。

「私、クラスでは伊代ちゃんと一緒に、、、」

「伊代ちゃん?誰かしら?」部長が同学年の子達に目を向けた、みな首を振る。体育会の学生と一般学生はさほど交流は無いかもしれない。

部長がはたと気が付いたように言った「お母さんと二人で暮らしている小柄なぽっちゃりさんかしら」

部長が続けて、その子なら分かると思う、と言った。

部長は今、伊代の母親の職場でバイトをしていて、娘が同じ大学にいると聞いて写真も見せてもらったことがあると話した、が、伊代自身の事は良く知らないようだった。

「伊代は小柄だし目立たないかも、、、優しい子なの、クラスでも人気者だけど、、、典子は?典子、背が高くてやせ型の。」

絽美は必死になりみんなを見まわした。

みな一斉に俯き黙ってしまった。



伊代(いよ)と典子(のりこ)


典子はその日夜明け前に起き、家を出て〇〇神社に向かった。

今から起こるだろうことを想像するとおかしくてたまらない。

多分バカな伊代は今日も夜明け前に神社に向かい願掛けに行くに違いない。

そこを呼び止める私、
思いっきりバカにしてやる私、
笑い転げる私、
あっけにとられる伊代、

あ~なんて愉快だろう。

伊代は中学・高校時代からやたら絡んできて本当に鬱陶しいオンナだった。

なぜかいつも同じクラスになり私の周りに纏わり付き、伊代が自分の近くにいるだけで不快な事が起きるようにすら思っていた。

でもこれで最後。この街を出れば伊代に会う事も無いわ。

典子が〇〇神社に到着した時には外は既に明るく時刻も6時過ぎになっていた。

案の定階段を上る小柄の女性が見えた。

伊代だ!

典子は後から付けて行く。最初はウキウキした気分だったが、流石に100段もの階段を上るのはしんどい。

「伊代ちゃん!」

大きな声で呼び止めたが振り向かず階段を登って行く。

何なの?聞こえているくせに。

まるい背中を見ていて典子は段々腹立たしくなってきた。

「伊代ちゃんったら、待ってよ、聞こえているんでしょう」典子は息を切らせて叫んだ。

伊代の背中がぴたりと止まった。もうほぼ階段上り切ったあたりだ。

「伊代、こんな願掛け毎日やっていたの?願う叶うと思った?私の言ったことまるっと信じてバカじゃない?」と言い終わらないうちに伊代はくるりと振り返った。

「そう、一年願掛けやっていたの」

にた~と笑い伊代は典子に指を刺すように手を伸ばした。

えっ、なになに???

典子は伊代の指から逃れるように体を逸らそうとしたがバランスを崩してしまった。

「あっ!」声を出す暇もなく典子は石段を転げ落ちた。

典子の目には伊代の気持ち悪い笑顔が写りその後全てが暗転した。



典子(のりこ)と絽美(ろみ)

絽美は部長と一緒に街の総合病院に診察に行った。

医師からは、怪我はもう少しで良くなるし、陸上も続けられるかもしれない、今は大切な時だから足に負担をかけないよう杖を使うように勧められ、定期的に診療に来るように言われた。

「部長、私、怪我した時の事思い出せないのです。何だか夢の世界にいたのか、狐に騙されたのかと思う位、記憶がぐちゃぐちゃで。。。」

医師からは階段から落ちて頭を強く打ったせいだろうと言われていた。

「仕方ないわよ、色々あったのだし。頭もちゃんと検査して異常も無いのだからゆっくり癒すことだよ。病院もちゃんと行くんだよ。絽美はスポーツ推薦でしょう、部を簡単にやめるのは良くないよ。一緒に頑張ろう!」部長は慰めるように絽美の肩に手をかけて語りかけた。

絽美はふと典子の母親がこの総合病院に勤務していることを思い出した。

「確か典子のお母さん、この病院に勤めているはず。医師ではなかったような、、、何の仕事かな、、、部長はご存知ですか?」

部長は少し考えるような顔をして「ちょっと待っててね」と言った。

大夫待たされてから部長が背の高い中年の女性を連れて戻って来た。

その女性は端正な顔立ちをしていた、典子と似ていないが、雰囲気で典子の母親と分かった。

「お医者さんも典子に会った方が良いって、典子のお母さまよ」

絽美は要領を得ないまま頭を下げた。

典子の母親は泣きそうな顔をして絽美を見ると「今まであの子と仲良くして下さったのね、会ってやってください」と、部長と二人招かれるままエレベーターに乗った。

通された病室は個室でそこに典子はベッドに寝かされていた。意識は無く苦しそうな表情で色々な医療機器に繋がれていた。

「の、、、典子!」絽美は悲鳴に似た声を出してベッドに駆け寄った。

「ど、どうしてこんなことに??」

「神社の階段から落ちてしまって、、、」

落ち着いた男性の声が病室に響いた。

声の方に顔を向けると1人の中年の男性が立っていた。その男性は典子に良く似ていたが、典子より愛嬌のある人好きする印象があった。

女性にさぞかしモテるだろうなと典子の父だと自己紹介する長身の男性を見て絽美は思った。

あれ?どこかで会ったことあるかしら。。。

思い出そうとしたが、典子の父の声で、過去の記憶を検索するのは遮断された。

「陸上部の皆さんと真夜中に〇〇神社へ肝試しに行ったらしいのですが、生憎暗い中だったので、階段を踏み外してしまったと。絽美さんにもご迷惑をお掛けしてしまいました、申し訳なかったです。絽美さんのご両親にもお詫びしたのですが、なかなかお許しが出なくて、陸上選手で怪我は大変な事ですよね」

典子の父親は静かに語った。

絽美は益々混乱した。

え?典子と私が話すようになったのは、私の怪我の後だったはず。怪我する前は私は陸上部以外の友人なんていなかった。。。

「絽美のご両親も心配していたよ、絽美と連絡が取れないって」部長が付け加えるように話した。

違う、違う。

両親とはもう随分話もしてないし、連絡も無かった、私が連絡しても電話にすら出なかった、やっと話せても私の怪我に対しても興味無さげで冷淡だった。

「他の部員さんから聞いたのですが、典子が足を踏み外した時に、絽美さんの腕を引っ張ってしまったらしいのです。それで二人で石段を落ちてしまって、、、本当にご迷惑をおかけしました」典子の父は深く頭を下げた。

今度は母親が震える声で答えた。

「もう一か月意識が無くて、、、このままだと多分後数か月で、、、」

一か月意識ない?

そんな、この間典子と話したよ、典子元気だったよ、いつも通りいけ好かないヤツだった、、、でもいつものかっこ良い典子だった。。。

そうなのだ、私は典子に憧れていたんだ。伊代のように典子の近くにいたいとずっと思っていたのだ。

絽美は再び立っていられなくなり号泣した。


伊代(いよ)と典子(のりこ)

典子は暗い部屋にいた。

自分がどうなったのか、良く分からない、目を開けるのも億劫だった。

でも自分が暗い中にいるのが分かる。

薄く目を開けると、母親がいた、泣いている、隣に父親が、、、一生懸命私に声を掛けている。お兄ちゃんは、、、冷たいなあ、いないのかなあ。あ、いたいた、お兄ちゃん、、、あれ後にいるのは、、、絽美、、、悲しそう、その横にいるのが、、、伊代?笑ってる?

手を伸ばそうとすると再び暗転した。

次に意識が戻ると誰かの声が聞こえて来た。

誰の声だろう?聞いた事ある声、、、甘ったるい女の声、二人の、似たような女の声だった。

「、、、お父さん、会いたかった。」
「ふふふ、この子は本当にお父さんが好きだから。」

伊代だ!伊代と伊代のお母さん!

急に意識がはっきりした。目を開けて声をする方に顔を向けた。

典子は目の前に広がる光景に愕然とした。

「お父さん、、、」典子はかすれた声を上げた。

半裸の伊代と伊代の母、そしてその二人に囲まれ抱き付かれている父はほぼ全裸だった。

父は恍惚な表情を浮かべている。もう何も見えてないようだった。

「お父さん!」典子は必死に声を上げようとしたが声にならない。

伊代は気が付いたのか、典子の方に目を向けるとだらしない、そして勝ち誇ったような笑顔を典子に向けた。

そして伊代の母親も典子に目を向けると同じような気持ちの悪い、だらしない笑顔を浮かべ、そしておかしくて仕方ないとばかりに大きな声で笑いだした。

「このひとは私たちのモノよ」

伊代も伊代の母親もだらしなく破顔して笑っていた。

父がこちらを見たようだ、恍惚の表情は消えていて口をパクパクしている。

「た・す・け・て」

父の口は確かにそう動いているように見えた。

「た・す・け・て」

父は僅かに手を上げようとしているようだが、再び恍惚な表情になり、目から光が失われた。

典子は何か言おうとしたが、声にならず、誰かに強く引っ張られ深い闇に引き込まれて行った。


絽美(ろみ)と伊代(いよ)

「伊代ちゃんに会うのはお葬式以来だね」絽美は神妙な顔をして伊代にお悔やみの言葉を続けた。

静かなカフェに絽美の声が響く。

伊代は「お焼香に来て頂いて有難う」とバックから葬儀参列のお礼を出してきた。

テーブルに置かれたお礼の目録を目に端に止めながら、絽美の頭の中では、このつい最近の出来事がグルグルと目まぐるしく展開していた。

旅行で数日留守にしていた伊代が自宅に戻った時に、伊代の母は部屋で亡くなっているのを発見された。

死後2-3日経っていて亡くなったのは伊代の旅行中であったらしい。死因は伊代からは聞いてないが、巷では心不全ではないかと言われていた。

絽美は伊代の母親が急逝したニュースを部長から聞いて驚いた。
部長はバイト先から訃報を聞いて絽美に連絡をくれたと言っていた。

絽美は部長の案内で慌てて葬儀場に向かい、そこには知っている大学の仲間もいた。

葬儀場では伊代の家では親族がいないのか、伊代がぽつねんと祭壇の横に1人座っている姿が哀れだった。

しかし良く見ると、その姿は悲しみを表しているというより、何処か遠くを見て誰かに語りかけているようにも感じた。

哀しくないのだろうか、それともまだお母さんの死を実感出来ないのかしら。

絽美は何とも言えない違和感を覚えながら、華やかに笑う生前の故人の写真を眺めながらお焼香をした。

お焼香を済ませた帰り道に部長が「あれ?」と言う。

「どうしたのですか?」
「え、ああ、典子のご両親がお焼香に来ていて驚いたのよ」

娘の同級生の母親の葬儀だし、伊代と典子は中学・高校と一緒だったから、入院中の典子の代わりに葬儀に来ていても不思議では無いだろうにと思っていると部長が「実はね、、、」と語り出した。

部長のバイト先が伊代の母親の勤務先でもあるので、以前から伊代の母親の話は沢山聞いていたと。

部長から聞いた話は絽美には想像もできない内容であった。

伊代の母親は10年近く典子の父親にストーカー行為を繰り返していた、

ストーキングのやり方は巧妙で、顧客へ訪問する途中や、なぜか出張先のホテルやふと立ち寄った店先、飲食店など、どうして分かったのかと不気味に思われる行動が多かったらしい。

何度も注意や対策をとったが、それでも収まらないので、典子の両親は対応に苦慮し、父親は転居したり、会社側に自身の担当地区を変更して貰ったりした、

それでも効果が無く警察に被害届を出し、今は、裁判所から接近禁止命令が出て居るという、

また、伊代の母親がストーカー行為をしていたのは典子の父親だけでなく、同じような被害者が多数いる事、

その為、伊代の母親は同じような理由で職場を転々としている事、

女手一つでは生活が厳しいので住んでいるアパートに色々な男を呼び、身を売っている噂すらある事、

そして殆ど収まる事を知らない伊代の母親の行動に、典子の父と兄で弁護士と相談、他の被害者達とも協力して、証拠集めをし、いよいよ実刑が下るかもしれないという時に伊代の母は突然この世を去ったのだった。

伊代のお母さんが10年近く○○神社に願掛けしていたのって、、、。

「いらっしゃいませ!」

店員の声の方を向くと電気車いすで典子が入って来た。

「典子、具合どう?」

絽美は涙出そうになりながら立ち上がって典子を迎えた。

典子は車いすに座ったままゆっくり話した。

「まだ自分じゃない感じなのだけど、、、少しずつ戻っているかな」

典子はほぼ意識不明のまま数か月過ごし、多分このまま衰弱死していくのでは無いかと思われたが、伊代の母が亡くなってから暫くして意識が戻り、リハビリを続け、今は車いすで移動出来るまで回復していた。

絽美は密かに伊代の母親の死が典子を助けたのでは無いかと思った。

きっと伊代のおばさんは何か典子に祟っていたのよ、おばさんがいなくなって典子は元気になって来たのだわ。

だが、そんなこと誰にも言えない。

今日典子に会うのは久しぶりだった。

典子が入院中に絽美は何度かお見舞いに行ったが、変わってしまった典子を見るのは辛かった。

今はまだ車いすだが、元気になりつつある典子が目の前にいる。

「典子が元気になって良かったよ」絽美は心から言葉を紡いだ。

「ロミちゃん、、、有難う」典子は嬉しそうに答えた。

しかし、気のせいかもしれないが、何だか以前と違う。

以前は上から目線で人を小ばかにする、冷たいひとと思っていた反面、実のところ周りと迎合しない典子に憧れもあったかもしれない、でも今は何だろう、冷たさが抜けて、柔らかくなったのかな、ぼんやりしていそうで、それでいて抜け目ないような、、、。

色々と考えあぐねている絽美を典子はじっと見つめ返して来た。

どうしよう、何か話さねば。

絽美は落ち着かないまま、今度は伊代に話かけた。

「おばさん、急に逝ってしまって寂しいでしょう、これから、、、伊代ちゃんはどうするの?」

絽美はどこまで聞いて良いか分からず慎重に言葉を選んだ。

伊代はまっすぐ絽美を見つめると横にいる典子に視線を移した。

「うん、でも私には典子がいるから大丈夫、これから典子のお世話は私がするのよ。」

「えっ?どこに住むの?典子はお母さんと一緒に引っ越したのでしょう?自分の家族と離れて住むの?」絽美が驚いて尋ねると

「伊代ちゃんの家に住むの。お父さんもたまに来てくれるって。」典子がゆっくりと話す。

絽美は息を飲むほど驚いた。

典子は知らないのだろうか、伊代の母親が典子の父親を10年近くストーカー行為を繰り返していたことを。

その母親が死んだ部屋に住む?

正気の沙汰ではない。

ああ、でも典子のご両親は典子と伊代が仲が良いので、典子に知らせないよう努力していたのかもしれないし、、、絽美は頭の中がグルグルして眩暈を感じた。

そんな絽美を見ながら、伊代と典子は目を合わせてにた~と笑った。

この顔何処かで見た、、、この二人は、伊代と典子は、もう双子では無くてまるで母娘。

母娘?

絽美はハッとしてまじまじと二人を見た。

伊代と典子は再び絽美に向かってにた~と笑った。

二人揃って言う。

「絽美ちゃん、心配しなくても大丈夫よ、願掛け成功したから。満願成就よ。」

再び二人は笑う。

それは典子が嫌っていただらしなく気持ち悪い笑顔だった。

満願成就、、、

絽美は2人の笑い顔を見ながら独り言のように呟いた。




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