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"移動"と"体験"にお金を惜しむな

我が子が小学一年生となり、久しぶりに僕も「夏休み」というものを身近に感じている。

夏休みの宿題に追われる息子とそれをさせようとする親の葛藤。

そして僕らが子供時代に比べて圧倒的に家の中に娯楽が溢れているのが現代。

僕が子供の頃はプレステくらいしかなかったから、家の中にいたらゲームするしかなかった。

でも、令和時代の子供は家の中で何不自由なく「ムダな時間」を永遠に過ごすことができる。

そんなダラダラした子供に親もまたイラつくんだろう。

夏休みと言えば、そんな休みのダラダラ解消という意味もあり、家族で遊びに行く機会が増えるのもまたこの時期。

ただし、長く続く不景気でカネはないし、最近ガソリンはたけーし、外はマジで昨今あちーし、コロナとかもまた増えただの言ってるし、どこに行くにもマスクしろと圧力かけてくるし、そもそも大人だって家にいりゃ金もかからず色んな娯楽をダラダラ楽しむことができる。

ということで、大したことせずジッとしてる家族も多いんじゃないかな?

でもこれだけはハッキリ言える。

移動と体験に金をかけれないヤツは終わってる。

仕事人としても、親としても、ともかくこの2つに対するお金は渋っちゃいけない。

移動コストは、すなわち新しいこと(世界・景色)を見たり感じたりするためのお金だ。

ここにお金をかけない人は、ずーーーと自分の半径数百メートルのいわゆる"地元"にしかいない。

だから知見も考え方も広がっていかない。モチロン新しい価値観を受け入れるだけの器量も育たない。

何でもネットで調べりゃ分かった気になれる今の世の中では、実際にやったことがあるということが大きな価値を生む。

だから体験のコストもまたケチっちゃいけない。

家でじっとしてるだけで楽しめる世の中に甘んじてる人とそうじゃない人。その体験格差はものすごい勢いで広がってる。

親の体験格差はすなわちそのまま子供の体験格差に繋がる。

会社を通じて社会とつながってる大人はまだましだけど、子供は家庭と学校の延長でしか基本つながっていない。

そして言わずもがな学校は社会とは繋がっていない。

だから家庭をとおして、家族と一緒にあらゆる体験や新しい価値観に触れる機会がなければ、グローバルな令和の時代においてクソ閉塞的な田舎人間を育ててしまう。

色んなところに行って、色んな世界を見て、色んなモノを見つけて、色んな人に出会い、色んな体験をする。

そうして人間力が磨かれる。

"移動"と"体験"の値段は必要経費だ。

ここはケチっちゃいけない。


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