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蜀志劉備伝

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コーエーの三国志13攻略日記 劉備の仮想立志伝
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記事一覧

三国志13 蜀志劉備伝 #19

三国志13 蜀志劉備伝 #19

小沛の戦い185年8月

 済北城を黄巾党から奪還した劉備率いる劉焉軍三万八千は小沛の東で交戦中の友軍孫堅軍一万五千の救援の為、小沛城を目指し南進していた。その進軍途上驚くべき情報がもたらされた。小沛に先行させていた偵察隊は、小沛城に黄巾党の党首張宝が総勢二万で入城していると劉備達に告げたのだった。

 8月1日、劉焉軍は小沛の目前に迫っていた。物見の詳しい報告によると、黄巾の軍勢は2つに分かれて

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三国志13 蜀志劉備伝 #18

三国志13 蜀志劉備伝 #18

済北城攻略戦185年7月

 劉備率いる劉焉軍約四万は黄河を渡り済北城に到達、残り僅かな守備兵に無駄な抵抗をしないよう降伏勧告の文を付けた矢を城内に放った。そして三つのことを済北城内に宣言した。一つ抵抗しなければ助命する、二つ逃げるならば追わない、三つ開城後の略奪行為を厳に取り締まる。劉備は抵抗する兵のいない城門の一つだけ打ち壊すよう命じ、残りの城門には逃亡できるよう兵士を配置しなかった。

 「

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三国志13 蜀志劉備伝 #17

三国志13 蜀志劉備伝 #17

黄河を渡る185年6月

 南皮に劉焉軍約四万三千が集結した。攻略目標は黄河南岸の都城済北である。今次出陣の要諦は黄河を無事に渡りきること、そして渡河直後の無防備な状態を黄巾の残党に強襲されることがないよう徐州孫堅軍と連携することだ。陽動として孫堅軍が小沛を攻め黄巾の残党の注意を劉焉軍から逸らすことで黄河渡河を成功させる手筈となっている。

 劉備は全軍の出陣準備が整ったのを見計らって徐州の孫堅に

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三国志13 蜀志劉備伝 #16

三国志13 蜀志劉備伝 #16

剛将文醜185年5月

 徐州の孫堅軍との共同作戦を前に、顔良という冀州随一の勇将を麾下に加えた劉備のもとに、別の在野の士が南皮にいるとの噂が流れてきた。弁舌に優れ博学多才と冀州で評判の田豊という人物だ。劉備は政庁に赴き劉焉に田豊の文官としての登用を打診した。

 「田豊殿を採用しては如何でしょうか、冀州に並ぶ者がいないという逸材です」

 「それ程の賢人がまだ野に隠れているとはな、良かろう田豊を

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三国志13 蜀志劉備伝 #15

三国志13 蜀志劉備伝 #15

勇将顔良185年4月

 徐州の孫堅軍と幽州の劉焉軍との同盟をまとめた劉備は共同作戦の準備の為本拠地の南皮城に帰還した。その途上で呉巨に遇い南皮に武勇に優れた武人がいるとの噂を聞く。黄巾の残党主力との決戦を控えた劉備はその噂の人物を劉焉軍に加えるべく南皮の街中に出て調査を開始していた。

 4月8日、調査から10日後にその名が判明した。徐州からの隊商を襲撃した盗賊数十人が用心棒をしていた若武者に返

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三国志13 蜀志劉備伝 #14

三国志13 蜀志劉備伝 #14

孫堅との絆185年3月

 孫堅から恩人の消息を調べて欲しいと依頼を受けた劉備は、黄巾の残党が支配する預州の小沛に単身赴いていた。孫堅の恩人は賊に村を襲われ行方不明となっていたのだ。幸いにも小沛の治安維持を担当する周倉という義侠の人物によって、襲撃された村の人々は小沛で保護されているという。周倉の協力を得た劉備は保護区域での捜索に取り掛かっていた。

 「孫徐州の恩人とは貴殿のことでしょうか」

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三国志13 蜀志劉備伝 #13

三国志13 蜀志劉備伝 #13

孫堅の依頼185年2月

 徐州の孫堅軍と幽州の劉焉軍との同盟締結を成立させた劉備は孫堅と共同作戦の会議を続けていた。北と南から時を同じくして黄巾の残党を挟撃、劉焉軍は黄河を渡河して孤立する徐州を救援するという共同作戦だ。その上で物資不足の孫堅軍に劉焉軍から物資を供給し、帝都洛陽を包囲せんとする黄巾の主力を東から共に討伐するという構想である。

 2月5日、陳留を強襲中の黄巾の残党は官軍の主力と激

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三国志13 蜀志劉備伝 #12

三国志13 蜀志劉備伝 #12

孫劉同盟185年1月

 劉備は孫堅が出兵を巡って大将軍何進と配下の陳珪との上下板挟み状態になっているのを知る。碌に物資も支援せず出兵しろと出鱈目な命令をする何進、物資窮乏を理由に出兵を渋る陳珪に孫堅は頭を痛めていた。劉備はまず孫堅の鬱憤を一騎討ちで発散させ、悩みの根源である物資不足を劉焉軍が補うことで問題が解決できるよう、孫堅軍と劉焉軍の関係構築に奔走していた。

 

 1月9日、黄巾の残党が

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三国志13 蜀志劉備伝 #11

三国志13 蜀志劉備伝 #11

孫堅の武184年12月

 下邳での宴席を契機に、孫堅陣営の諸将にも劉備に親しみを表す者が出始める。劉焉軍からの物資援助に懐疑的だった一部の幕僚も考えを改めざるを得ない流れになってきた。黄河の南に蔓延る黄巾の残党を一掃する為に劉焉軍は河南での協力者が必要で、孤立する孫堅軍は金銀兵糧などの物資が不足していた。孫劉は連合すべし、その流れを劉備は作り出していった。

 「玄徳殿、今度は兵糧に困っておるの

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三国志13 蜀志劉備伝 #10

三国志13 蜀志劉備伝 #10

下邳宴席184年11月

 親善の交渉は続いている。いずれ来る黄巾残党討伐の際に、黄河を渡河し南進する劉焉軍には孫堅軍の協力が不可欠なのだ。劉備は孫堅と何度も協議を重ね、友好関係を深めていった。劉備が観るに、孫堅の徐州軍は強力だが官軍主力との連携を断たれて孤立しており、特に物資の面で窮乏が深刻のようだ。孫堅と友好を深める契機はこの点にあると劉備は考えた。

 そして11月中旬にもなると、親善の交渉

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三国志13 蜀志劉備伝 #9

三国志13 蜀志劉備伝 #9

江東の虎184年10月

 冀州の都城『平原』を解放した劉備勢の将兵は、民衆から大歓待を受けていた。『平原』で略奪を繰り返していた賊将『張燕』は劉備達が『甘陵』へ追い払った。また指導者『張角』を失った黄巾の残党は暫くは守勢にならざるを得ない。冀州一帯には束の間の平穏が訪れていた。この間に、連戦に次ぐ連戦を戦い抜いた将兵達へ十分な休息を与えなくてはと劉備は考えていた。

 10月2日、劉備は戦死者を

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三国志13 蜀志劉備伝 #8

三国志13 蜀志劉備伝 #8

南皮城防衛戦184年9月

 南皮城攻略戦の勝利の余韻に浸る間もなく、黄巾の騎馬隊迫るとの一報は劉備勢に一応の動揺を与えた。しかし、劉備の的確な指示により、攻略時に破壊した城門を昼夜を徹して修理した結果、ある程度の耐久力を取り戻すことができ、軍中に安堵感をもたらしていた。

 「敵が騎馬隊ならば城攻めには不向き、我が方が優勢でしょう」

 関羽は的確に彼我の情勢を把握していた。

 「我が隊に連戦

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三国志13 蜀志劉備伝 #7

三国志13 蜀志劉備伝 #7

南皮城攻略戦184年8月

 黄巾党の張角勢に潜入させていた密偵が帰還してきた。報告によると、数日前に張角勢は大慌てで『冀州』の『鄴』方面に転進し、『南皮』には数千の守備兵と傷病兵しか残っていないという。

 「南皮城にはまともに戦える兵は残っていません」

 「兄者ぁ、南皮城攻め俺にやらせくれぃ」

 「まさに好機ですな、ただ・・・」

 「雲長よ、我らは攻城の備えを欠いている」

 もともと中

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三国志13 蜀志劉備伝 #6

三国志13 蜀志劉備伝 #6

対張角戦184年7月

 劉備、関羽、張飛の三義兄弟の心は一つになっていた。目前の敵首魁『張角』を打ち破り、天下を大いに乱している『黄巾の乱』を一刻も早く終わらせると。数でも劣勢、敵黄巾軍の主力が待ち受けていたとしても、劉備勢の将兵に漲る士気はその程度のこと軽く吹き飛ばしてしまうだろう。

 「狙うは、敵首魁張角の首ただ一つ」

 劉備の号令に、全軍が哮り立ち一匹の猛獣のように動きだす。

 7月

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