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三国志13 蜀志劉備伝 #16

剛将文醜

185年5月

 徐州の孫堅軍との共同作戦を前に、顔良という冀州随一の勇将を麾下に加えた劉備のもとに、別の在野の士が南皮にいるとの噂が流れてきた。弁舌に優れ博学多才と冀州で評判の田豊という人物だ。劉備は政庁に赴き劉焉に田豊の文官としての登用を打診した。

 「田豊殿を採用しては如何でしょうか、冀州に並ぶ者がいないという逸材です」

 「それ程の賢人がまだ野に隠れているとはな、良かろう田豊を登用せよ」

 劉備は劉焉からの裁可を得ると、すぐに田豊のもとを訪ねた。

 「初めまして、劉玄徳と申します」

 「ほほう、貴殿が劉玄徳殿か、何か不思議な魅力を漂わせる御仁じゃな」

 劉備の人徳が初対面の田豊の警戒心を解きほぐし、数年来の友人と会う時のような温かな雰囲気になっていく。

 「さて、ご用の向きを伺おうか」

 「貴殿のような賢人が野に埋もれるのは大きな損失です、黄巾党によって荒廃した冀州の復興にご協力いただけませんか」

 「いいでしょう、冀州の復興はこの田元皓にお任せ下され」

 劉備の仕官の勧めに田豊は即決で応じた。田豊は朝廷で官僚として務めていたが、宦官や外戚による国政の壟断、政治の腐敗に嫌気が差し職を辞して故郷の冀州に帰ってきたそうだ。冀州の復興という才能を発揮する場を与えてくれるなら喜んで仕官するという。

 「貴殿のような賢人に仕官頂けるとは、劉幽州もさぞ喜ばれることでしょう」

 少しの間言葉を交わしただけであったが、劉備は田豊が義を重んじ、私欲をもたず公明正大な人物だということを好ましく思った。如何に政治の才能が優れていても使う方向が間違っていては民が苦しむ。その点、田豊ならば黄巾党に蹂躙され荒れ果てた冀州の復興に最適な人材であると劉備は直感していた。

 田豊の登用を成功させた劉備に義弟の張飛から在野の武人を見つけたとの知らせが届いた。南皮近郊の小さな集落を黄巾党の襲撃から一人で守り抜いた剛の者で名は文醜という。

 「義弟の張飛が南皮近郊で文醜という剛勇の士を見つけました、武官として登用いたしましょう」

 「軍のことは全て其の方に任す、その剛勇の士とやら、すぐにでも登用するが良い」

 劉焉からのお墨付きを得ると、早速劉備は説得の為文醜のもとを訪れた。

 「剛勇の士、文醜殿にお目にかかれて光栄です」

 「劉軍師の勇名、この田舎にまで轟いてるぜ、普段つまらぬ者には会わねえが、お主ならば話は別じゃ」

 ここでも劉備の人徳が初対面の文醜の警戒心を解きほぐした。

 「ところで俺に何の用だ」

 「貴殿の剛勇、黄巾の残党討伐に貸して頂けませんか」

 劉備は文醜に黄巾の乱平定への熱い志をぶつけた。

 「理屈などどうでもいい、お主程の武人を前にして俺は血潮が滾って治まらんわ」

 文醜は全く此方の話を聞いていない。ただぎらぎらとした眼で劉備の武の力量を測っているようだった。

 「この俺を武で従わせてみろ、そうすればお主が命ずるなら虎の子でさえ楽々と取ってきてやるわい」

 これは顔良殿と同じ猪突猛進の御仁だな、力づくでやるしかないなと劉備は言葉で説得することを諦めた。

 「いいでしょう、その一騎討ち受けて立とう」

 文醜は身の丈八尺の大男、筋骨隆々としていて全身から闘志が漲っている。武の力量はほぼ顔良と同等の怪物であると劉備は見立てた。この一騎討ちも顔良戦と同じく武で劣る劉備が圧倒的に不利な戦いになるに違いなかった。文醜に勝つのは遠くから針穴に糸を通すほど至難の業、ただ一つの道は猪突猛進な文醜の性格を逆手にとることか。劉備は顔良戦を参考にこの戦いの作戦を組み立てた。

 「これは挨拶がわりじゃ」

 文醜は幅広の大きな刀を右手に持ち、劉備に向かって襲いかかってきた。文醜の力任せの一撃に馬ごと吹き飛ばされる劉備。一騎討ちは文醜優勢で始まった。

 「ぐっ、あの膂力はまともに受けるとまずい」

 とにかく、文醜の猛撃を凌いで一瞬の反撃の隙を衝くしか道はない。

 「俺の一撃を喰らいやがれぃぃ」

 一合目、文醜が放った重量級の攻撃は劉備の柳のようにしなやかな剣捌きによって上手に受け流されてしまった。文醜の頭に血が上り真っ赤になって闘気が沸騰している。痛手を受けたが上手に捌いたことで劉備の闘志が一つ漲る。劉備は次に文醜が勝敗を決するため必殺の一撃を繰り出してくることを悟った。

 「どぉぉぉりゃゃゃぁ」

 文醜の渾身の一撃が劉備を襲うが、既に必殺の一撃を繰り出してくることを予測していた劉備の守りは堅く、敢え無く文醜の太刀筋はずらされた。防御が成功したことで劉備は闘志をまた一つ漲らせた。 

 互いに二合目を打ち終えて、文醜は無傷のまま優勢を維持するもその闘志は潰え、劉備は手傷は負うものの逆に闘志は十分に漲っている。

 潰えてしまった闘志を漲らせるべく文醜は精神を集中させようとしていた。劉備はその僅かな文醜の隙を見逃さなかった。

 「ここで一気に崩すっ」

 三合目、劉備は文醜が集中する僅かな隙を衝き、双剣の牽制により文醜の体勢を大きく崩し、かすり傷を与えることに成功した。この崩れ方だと文醜は次に必殺の一撃を放つことも防御することもままならないだろう。

 「千載一遇の勝機っ」

 文醜は崩れた体勢が立て直せずに劉備の動きにほんの一瞬だけ反応が遅れた。劉備の雌雄一対の双剣が煌めいた。

 青白い火花が散り、すれ違いざまに文醜の鎧は切り裂かれていた。四合目のこの煌めきが劉備の勝利をほぼ確定的にした。文醜は痛撃を喰らって劉備に逆転されたことを知る。この一撃で劉備は闘志を全て出し切った。あとは優勢のまま最後の打ち合いを防ぎきることだけだ。

 「このままでは終わらんぞ」

 最後に文醜は苦し紛れの攻撃を繰り出してきたが、劉備はこの一撃を難なくいなして防ぎきり、優勢のまま一騎討ちを締め括った。

 「文醜殿にも辛うじて勝てたか」

 勝つことはできたが、文醜の武の力量は劉備より遥に格上だった。

 「いやぁ負けた負けた、お主の武技には驚いたぞ」

 文醜は劉備の技量を褒め称えた、明らかに劉備を見る目が尊敬の眼差しに変わっていた。

 「この文醜の命、お主に預けよう」

 剛将文醜は劉備の麾下に加わることを快く承知した。これで顔良と文醜による劉焉軍の突進力は計り知れないものになるなと劉備は頼もしく思った。

 

 5月18日、劉備は徐州孫堅軍との共同作戦開始の裁可を得るため政庁に赴いた。劉焉軍は黄河を渡河して南進する、その際渡河直後の最も無防備な状態の劉焉軍に黄巾の残党が集中攻撃をしないよう徐州孫堅軍が小沛に牽制攻撃を行うという作戦である。

 攻略目標の済北の守将は主将の波才を含め4人。守備兵は約七千と少ない。度重なる官軍主力との激闘により負傷兵も三千程いると密偵は報告した。

 「黄河を渡るのは今をおいてありません、済北攻略を進言致します」

 「劉備に済北攻略の指揮権を授ける、速やかに済北を攻略せよ」

 劉焉の裁可を得て、劉備は劉焉軍の各将軍に伝令を飛ばす。

 全軍南皮に集結せよ。

 5月27日、南皮に続々と各地の劉焉軍が集結してくる。城壁から遠くに見える友軍の士気高い人馬の土煙を見て劉備はこの作戦必ず成功させなければと決意を新たにした。

登場人物

劉備 ・・・ 主人公。字は玄徳。劉軍師とも呼ばれる。幽洲涿郡涿楼桑村の出身。漢の皇帝の末裔であったが、父が早く亡くなり家は没落、筵を売って生計を立てていた。身の丈七尺五寸(約173センチ)、大きな耳をしている。武器は家宝の双剣『雌雄一対の剣』。現在は劉焉軍の軍師として孫堅軍との同盟を締結させ、共同作戦の開始準備を進めている。

劉焉 ・・・ 字は君郎。劉幽州とも呼ばれる。漢室の末裔で幽州を統べる刺史(行政長官)。文官としての才能には秀でるが軍事には疎い。その為、黄巾の乱鎮圧に優秀な武官を必要としている。性格は冷静沈着だが強欲。子に劉璋がいる。現在は本拠地を冀州の南皮に移し、私財を増やす為部下に南皮での収奪を密命した。水面下で十常侍と接触し、黄巾の乱平定後の未来を強欲に画策し始めている。

田豊 ・・・ 字は元皓。冀州随一の知恵者と評判の若者。朝廷で官僚勤めをしていたが、宦官や外戚による腐った政治に嫌気が差し職を辞す。故郷の冀州に戻ったところを噂を聞きつけた劉備の仕官の誘いに乗り劉焉軍の文官として登用された。弁舌に優れ博学多才で義を重んじ、公明正大な人柄。

文醜 ・・・ 剛勇を誇る身の丈八尺(約184センチ)の大男。一騎討ちは達人の域に達している。黄巾党から小さな集落を守ったことでその噂が広がった。劉備に仕官を勧められるも、強い者にしか従わないと一騎討ちを挑んだ。武術の実力は劉備を凌駕するものの、猪突猛進の性格を逆手に取られ僅差で敗れる。劉備の説得を受け入れ劉焉の武官として仕官した。

関羽 ・・・ 字は雲長。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(次兄)。司隷河東郡解県の出身。なによりも義を重んじる豪傑で、極めて優れた武勇の持ち主。身の丈九尺(約207センチ)、赤ら顔で鳳眼、長く美しい髭をたくわえている。武器は重さ八十二斤(約18キロ)の大薙刀『青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)』。現在は南皮にて劉焉軍の軍事重臣を任されており歩兵の調練に務めている。 

張飛 ・・・ 字は翼徳。桃園の誓いを結んだ劉備の義兄弟(末弟)。幽洲涿郡の出身。猪突猛進で直情径行な暴れん坊。関羽に並ぶ程の卓越した武勇の持ち主。酒乱。身の丈八尺(約184センチ)、豹のような頭にギョロっとした目、顎には虎髭という容貌。武器は一丈八尺(約413センチ)の長矛『蛇矛(だぼう)』。現在は平原にて呉巨と国境警備の任に就いている。

顔良 ・・・ 河北を武者修行中の若武者。勇猛を誇る大刀の使い手。一騎討ちは達人の域に達している。隊商の用心棒をして名だたる盗賊数十人を返り討ちにしたことから南皮で評判となっていた。劉備に仕官を勧められるも、強い者にしか従わないと一騎討ちを挑んだ。武術の実力は劉備を凌駕するものの、猪突猛進の性格を逆手に取られ僅差で敗れる。劉備の説得を受け入れ劉焉の武官として仕官した。

孫堅 ・・・ 字は文台。孫徐州とも呼ばれる。揚州呉郡の人。孫子の末裔を自称し、十代での賊討伐を切っ掛けに頭角を表す。若くして出世し、現在は徐州刺史。統率力、武勇に優れ、知勇兼備の英傑である。性格は豪胆。多くの兵士を従える威風を全身から発している。戦においては獅子奮迅の働き振りで自部隊の攻撃や士気を極限まで高め、周囲の部隊に兵撃を与える戦術を使う。武器は名品古錠刀。孫策、孫権の父。劉備とは朋友の絆を結んでいる。

波才 ・・・ 黄巾党の頭目の一人。地方豪族出身なのか、優秀な武人で槍兵の扱いに長ける。戦場では槍兵の行軍速度を大きく上げることができる。政治には興味がない。性格は豪胆。以前南皮攻略戦で劉備達に敗北し南皮から撤退した。現在は済北の守将を務めている。


用語説明

黄巾の残党 ・・・ 太平道の教祖である張角が主導した大規模反乱の勢力。目印に黄色の頭巾を被った。主導者の張角は既に処刑され、現在は弟の張宝が跡を引き継いでいる。残党と言われるも依然勢力は強大。

徐州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東方の州。徐州の都城は下邳、琅琊、広陵。現在は孫堅が州刺史として各都城の太守を監督している。

幽州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの東北の州。幽州の都城は薊、北平、襄平。現在は劉焉が州刺史として各都城の太守を監督している。

冀州 ・・・ 漢代中国の十四に分かたれた行政区分のうちの黄河の北に位置する州。冀州の都城は南皮、中山、鉅鹿、甘陵、鄴。現在黄巾党から奪還した冀州の都城は劉焉が監督している。

南皮 ・・・ 冀州の都城のーつ。後漢から三国時代の華北における重要な都市。黄巾党から劉備が奪還した。劉焉はここに本拠地を移した。

済北 ・・・ 兗州の都城のーつ。劉焉軍の攻略目標で現在は黄巾の残党が占領している。

小沛 ・・・ 豫州の都城のーつ、下邳の北西に位置する都市。沛県は漢の高祖劉邦の出生地でもある。現在は黄巾の残党が占領している。

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