見出し画像

もしももしものストーリー 2024/07/12(13) -2

最近、16歳とか17歳とかの女の子と出逢うことが多い。
そういえば、今月末にも会う気がする。

今日は、とある場所でそんな歳の女の子と一緒になった。話を聞いていて思ったことは、これまでにも考えたことのあることで、でも今のわたしには何やら少し違う響き方をすることだった。

わたしの勝手な推測であるがという前置きをした上でそのまま書いてみるが、なんだかその子のお母さんという人はわたしと同じくらい・・・さらなる勝手な推測を盛り込むとわたし±5歳くらいなのではないかと思われた。これは本当に当たり前のことといえば当たり前のことなのだが、わたしは成人した娘が息子がいてもおかしくないといえるくらいの歳だったりする。書いてみてやはり全然しっくりこないけれど、年齢だけでものを言う、みたいなことをすると、そうである、ということ。高校生の方が現実的ではあるけど、とはいっても前者であった可能性は全然ある。同級生の中に、たぶん来年成人式を迎える息子くんがいる友達がいる。

今日は本当に変な感じがした。その女の子が語るストーリーは、かつての自分のものだった、叶えたかったり挑戦してみたかったストーリーに満ちていて、まるで作り話のようだった。その子のお母さんの話も含めて、わたしがかつて叶えたかった夢の集合体スペシャル!みたいになっていて、多分ちょっと違うけど「事実は小説よりも奇なり」ってこういうことかと思ったりしていた。今この現実が創造される意味よ、とやや呆然としながら思った。

その子は、かつてわたしが欲しかったもの叶えたかったや夢を全て持っていた。そして、どうやらそれを全て叶えられる状況にいるらしかった。今ここにあるものと、これから手に入れるものと、挑戦してみたいものと。全部満遍なく揃っている彼女のことが羨ましく思えた。そして、彼女にこんなにも与えることが出来ているその母親の存在もまた、謎に眩しく思えた。

ないものについて嘆くのは簡単だ。そして、わたしはないものについて嘆きたくてこのエピソードをここに綴っているのではない。

わたしは、そういう歳16歳とか17歳の娘または息子がいない代わりに、歩んできた自分の人生があると思った。自分の人生とはなんだろうと思いながら、孤独に耐えてきた時間を思った。何度も挫折して絶望して、自分のことを後悔して生きてきた日々を思った。わたしは、自分がこの人生を選んだこと、正面から向き合って逃げないために、今のこの状況をひきおこしているのだと思うと、不器用なくせに設定だけはとても行き届いて美しくて、やっぱり何だかんだ自分のことは憎めないなというか、控えめに言っていいなと思った。

わたしはわたしで、わたしであって、わたしであった。
そしてその間に、世界は等しく、あるいは等しくなく回っていて、その分だけたくさんの物語が存在する。
うん、ただそれだけだ。それだけのことが、とてつもなく美しいこともあれば、とてつもなく絶望をもらたすこともあるけど、それもすべて必要なんだ、きっとわたしが思い至らないくらいに色んな意味で。

その子は、とても美しかった。最初に見たときは影があるように見えたのに、別れるときはキラキラしていた。あの影は、わたしの中にあった、未言語の現れで、それを改めて感じさせてもらえた貴重な出逢いだった。

あなたの夢は全て叶うよ。先延ばしなんてしないで、同時にやっちゃえばいいんだよ。だって、きっとその先に、まだまだキラキラしたものは出てくるんだから。既存の枠になんてハマらないで、未来のことを考えすぎないで。今しかないそのときを、欲張りすぎるくらい欲張って楽しんでください。

わたしも、今ここという未来でそうするから。
かつて17歳だったわたしへ。
あなたと同じくらいの娘がいたかもしれない、とここまで書いて、わたしはわたしを生き直したんだなと感じた大人になったのびたまごより。

🥚🚩

少し酔っ払った帰りの電車の中で大半を書いていて、今朝(13日)起きて、一旦別のnoteを書いて落ち着いて&落ち着けて、それからしばらくしてこのnoteを読み直して書き足して、それから投稿することにして、実際に投稿しました。



2024/07/12(13)  -2(166/366)


よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!