見出し画像

“自分を生きる”の本当の意味(2021/10/13)

「自分を生きるって?」

この問いについて考えたことがある人も、悩んだことがある人も、答えを得ている人も、それを日々実践している人も、その先にある答えに気付く人も、もはやこのレベルを超えている人も(そうなるとどうなるのかわからないのですけど)、たくさんいらっしゃると思う。

そして、わたしも確実にその中の1人であり、まだまだdevelopingなんですけど。

ただ、確実に今までとは違う、ひとつの答えに辿り着いたような感覚があって、今日はそれを書いてみることにしました。というか、書かないと頭から離れない上に、そのうちすり抜けて消えていきそうなので書いてます(というのが正しい)。


自分を生きる。

それは、自分に好きなことをさせてあげることだし、自分の見たいものを見ること(見せてあげること)だし、自分の願いを叶えることだし、自己実現すること。

その言葉に、ソレジョウモソレイカもなく、ただそれをしたらいいんだと思っていた。昨日くらいまで。でも、確実にわたし自身は行き詰まり(人生で何度目かの!そろそろ行き詰まらないようになりたい、もしくはあまり詰まらないうちに脱出したい)を感じていて、悶々とモヤモヤのあいだでいったりきたりしていた。

その悶々とモヤモヤを打破する光明を、とうとう見つけました!!
それは「飾らない自分がしたいことをする」ということ。たったそれだけのことでした。

なんなら、上記のこれら☟と何が違うの?と思われる方もいらっしゃるかもです。それくらいのことなんだと思います、きっと。

自分に好きなことをさせてあげることだし、自分の見たいものを見ること(見せてあげること)だし、自分の願いを叶えることだし、自己実現すること。

ですが、わたしは気付いていなかった。思い込みが激し過ぎて気付けなかった、ともいえます。ちゃんと引けていると自分と思っていた(引き直せたと思ってもいた)自分と周りの境界線の中に、まだ自分以外のものが入っていた(分けれてなかった)。

それはなぜか?ということについて、勝手なわたしの見解を述べます。
これは、天秤座あるあるなのかもしれないし、自尊心の低さ(セルフエスティーム? by逃○恥)ゆえかもしれないし、愛されることに価値を置きすぎなのかもしれないし、愛情のやりとりが条件付きになり過ぎなのかもしれないし、認めて欲しい(承認欲求)が強すぎたからかもしれないんですが・・・

その結果、何が根本的な問題だったかというと、人から見られる自分と素の自分が混ざってたというか、人から見られる自分(これは人に見せていい自分と同意義です)を素の自分だと思い込んでいた、ということ。で、その思い込みの強さゆえに、人に見せていい自分としての自分の自己実現を図っているんだけど、実は、本当に素の自分というのが無意識の中では別に存在しているから、そこに不一致が生まれて、その不一致が不協和音になって、自己実現を妨げるっていう方程式が描かれていた・・・。

つまり、自己実現する!とうたっているし、行動してもいるのにも関わらず(そして本気でそう思っているからタチが悪いのです。気付けてないのだから当たり前なのですけど)、実現したい自己が本当の自己とズレているがゆえに、どんなに頑張っても現実は変わらず、その結果悶々とモヤモヤのあいだでいったりきたりする、という体験をしていたということなのですね。

このカラクリに気付いたとき、ほんとに放心しかけました。きっかけはたくさん同時にやってきてくれていたので、動揺しながらもどうにか真実の解に辿り着けたのかなぁとも思っています(きっかけを与えてくださったみなさま、状況、環境、タイミング、全てに本当に感謝しかありません...。)。

この夏からの学びの集大成だったなとしみじみしていて、まさにこれぞ怒涛の逆行明け(明けるって漢字これですかね??)、に相応しい感じがしていて、宇宙がわたしのために用意してくれていたこの壮大なストーリーに、ほんとに顎が外れそうです。

昨日のこのつぶやきもそのひとつ。

ほかにもあるけど、代表でこちらを。


振り返ってみたら、それぞれのタイミングでピースとなるキロクをのこしてました。

お片付けグループに参加していたとき☟

もともとあったものの通りに整えるのは得意。
既にあるものを工夫するのも得意。
でも、ここまで0から自分の居たい場所を考えたことは、今までなかった。...というか、自分自身にも、入らせたくなかったのかも知れません。
心の住居軸を、自分に与えなかったのは、自分自身でしたから。


そのあと、夏の水星逆行のときにはこんなこと書いたり!


さらにさらに、「居場所」については、3月にもこんなnoteを書いてました。
キーワードは“委ねる”
実はこの辺から、答えの片鱗は見えてました(今読むからわかること)。

山の方は、あるんです。いまも。
力強く、わたしを支えてくれていて、守って/護ってくれてる。そんな気がする。例え、どんなに時が流れていても。
ということで、答えはまさかの山ということに🗻🌸

その真意は、身を委ねられるから、でした!
あー、自分の思考の展開にびっくりした。
ずっと海が好きで、山にはあまり魅力を感じなかったのに、びっくり。


でね。
このカラクリ?の最大のシンクロというかすごいなぁと思うことは、今日の時点でもうすぐ逆行を終える木星が、わたしのネイタルでは丁度アングルを通過するタイミングだということ。

それはなんと、ICなんですね。
だから、これだけ居場所問題(問題ゆーてしもてますけど🥲)が勃発していて、そこに徹底的に(?)向き合いまくっている、と。

そこに双子座のドラゴンヘッドも絡んでますから(ドラゴンヘッドリターン中です!)、そりゃまぁオオゴトになるかもね!というのがわたしの今の見解ですw

木星がいったりきたりする水瓶座後半〜魚座前半で、木星ともドラゴンヘッド(こちらはネイタル・トランジットともども)とも、アスペクトが多発&乱発しておりましたので。

星のいいところは、こうやってぜーんぶ終わった(終わったんかな?)ところで俯瞰で答え合わせができることですよね。ピースが面白いくらいにパチパチハマっていったことを実感できるところが好きです。渦中はそれがピースであることに気付かないのに、終わったらピースだったと気付くことも楽しいし、自分の成長や変化が客観視できて嬉しいなぁと思います。


と、いうことで。
これからは、「素の自分」としての自己実現と、「見られたい自分」としての自己実現をしっかりと分けて捉えて、さらに多角的に自分をみつめていきたい!し、みつめていけるという確信もあるし、ほんとにわくわくしてます。
静かなわくわく、は、すきなわくわくです😌💖✨

まずは、目に映る世界を自分の好きにする。
みんなが言ってたこと、何度も何度も言われてきたこと、見てきたこと、知識としては知っていたことでしたが、やっと自分の血肉になってくれたのかなと思います。
感慨深い。。。

自分が見たい世界、そして自分が自分に見せたい世界を描く。
この視点は、今までわたしの中にはなかったものです。
このイメージだったら、いろいろすんなりでてくるかも。もちろん最初は練習いるかもだけど、出してもいいと思ったら、出そうと思わなくても意外とすんなり出てくる感覚もあるし。
だって、正解を外の世界に求めたり、確認したりしなくていいんだから。今まではそれが前提としてあったから、そもそも出さずにいました。素の自分のしたいことなんて出しても意味ないみたいに思ってたみたいです。
これ気付いたとき本当にショックでしたけど、でも気づけてよかったから、よしとします。
これから叶えて、見せてあげたらいいので(;ω;)✨


あ、根底の部分が変わるって、こういうことだったのかな。
少しずつ、チューニングしていけたらなと思ってます☺️

このblogの続きはこちら☟


ということで、いつもながらyujiさんの言葉にたくさんたくさんたくさんたくさん...(以下∞)ヒントをいただきました。
本当にいつもありがとうございます🦋🦋🦋

いつか、ご本人にお会いして直接お礼を申し上げたいです。
それまでは言葉で書きます。


ということで、おしまい。


この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!