見出し画像

「お金はあるうちに使う病」

こんばんは。
のびたまごです。

今回のnoteでは、わたしが昨日ホニャララLIVEを見る前に見つけた、わたしの中にいた(まだいる?)インナーチャイルドの話をします。

この子に向き合ったから、ホニャララを見れたと言っても過言ではありません(なぜなら、正直最初テーマを見たとき、見たくなかったからです)。

ちなみに、お金が全面に出ていますが、これはエネルギーとか、時間に置き換えても全く同じことです。
つまり、自分という資源・価値の扱い方の話。

...ですが、今回はお金に特化して書きます。
今回、インナーチャイルドが浮上してきてくれたのがそこからだったので。

さらに追加しておくと、この問題はわたしの人生において何度も何度も浮上しては消え(というかわたしによって踏み躙られ、見て見ぬふりをされた自分がずっとそこにいた)を繰り返していたことです。

夏至を前に、水星逆行も相まって、きっといろんなタイミングが合ったからこそだと思います(ほんとに根強い問題でした)。

自ら作りだした病

長い前起きはさておき、話を戻しますね。
「お金はあるうちに使う病」の話。

お金って、どういう使い方をするのが普通かって、結構難しいですよね。
欲しいものがあれば買う、なければ買わない。
必要なものがあれば(欲しい欲しくないに関わらず)買う、とか。

で、別に、特に欲しいものがなかったら使わなくてもいいですよね。貯めておけばいいんですから。
でも、「貯めておく」っていう概念(思考?)が、わたしにはない(なかった)んです。

それはなぜか?
それは、《奪われる》と思っていたからなんです。

実際にお金を盗られたり奪われたことはありません(まあ...なくはないかもしれないけど←どっちやねんw)。

でも、ずっと時間やエネルギー、自分の居場所、安心出来る環境は、幼少期のわたしにとっては奪われるものでした。そう「思い込んでしまう」ような出来事、きっかけが多くあった。そしてそれは、積み重なるとあるところから常習化していきますから、思考として定着する前に、感覚的に「また」になるわけなんですよね。

この、『思考として定着する前に、感覚的に「また」になる』っていう状態になってしまうのがほんとに良くないと思ってます。個人的には。

で、その、自分を不幸にしている、「また」と思ってしまう、自分を傷つけていた概念。
それが、わたしの中に「お金はあるうちに使う病」を作ったんですよね。自分で作った概念という病気です。


解はひとつ

その根本原因(解)は、「自分のものは自分のものにしておきたい」という純粋な気持ちです。それだけ。

全てのことやモノは、わたしの知らないうちに(わたしの許可なしに、ということですね、今気付きました)無くなるとか、共有されるとか、分け与えられているとか...という思いこみがある/あったんですね。

それは、わたしが長女ゆえ+うちの家庭の方針+わたしの本質的なもの...同じことの繰り返しになりますが、環境要因とわたしの本質の間に生まれた(わたしが作り出した)方程式なんです。

だから、お金の話に戻ると、「無くならないうちに(自分のものであるうちに)使わなきゃ!!!」みたいなある種の強迫概念がありました。
全てのことは繋がっているので、何に対してもこの概念がついてまわるんです。

先に使っておかないと、搾取されるし、巻き込まれる(断れない)...と、思ってたんですよね。


病のメリット

そして、なんとちゃんといっぱしにメリットもあります。
それは、「他者に分け与えなくてもいい」ということ。

それが嫌だから(そもそもの方程式の根拠となる解は「自分のものは自分のものにしておきたい」です)、この病気を作り出しているわけなので、この病気にかかってる間はそれをしなくて良くなるんですよ。

自分のものを自分だけで使える!誰かの顔色を伺うことも、許可を得ることも無く、全部自分で決めていい!自分の自由にしていいなんて、なんて嬉しいことなんだ!と、開放された気持ちでした。

当たり前のことなのに、そんなふうに思っていました。

でも、それは偽りの開放感でした...。


偽りの開放感

わたしは、「他者に分け与えなくてもいい」ということが「豊かである」「自分を満たす」ことだと、勘違いしました。

これは、循環をとめる思考です。

豊かさをまわりと共有できない。
循環を産まない。

だからその結果、実はどんどん色んな意味で貧しくなるし、ずっと「(何かが)ない」という状態に追い込まれて、そこでもがくことになる。

まあ、これだけ書いてきたので言わずもがななのですが、本当にずっとそれをやってきました、わたしは。
だから、こうやっていろいろ暴露してますけど、こんなことここに書くなんてありえないですね、本当は。
だって恥ずかしいですから。そして、別に書かなくてもいいですからね(笑)

とまあ、わたしの独り言はこのくらいでほっておいて(笑)話を戻すと、この病は、確かに一時的にはわたしを満たしました。

まずは自分を満たすことが大切なのは心や魂、在り方などを学び、体感(体験)していけば、必ず出会う答えのひとつでもあると思います。

自分が得たもの、自分のものは、全部自分のものになって、自分だけの為に使えばいい。なんて幸せな事だ...と(就職して初めてお給料をいただいた頃の話です)。

ひとりだからお金は有り余るほどありました。
だから、じゃんじゃん使いました。
使えることが嬉しかった。さっき書いたように、全部ひとりで使えるって、正直快感でした。
で、そのうち歯止めが効かなくなりました。 

「自分のものが奪われた/奪われ続けた」だけでなく、「本当に欲しいものは買ってもらえなかった」という気持ちもありましたから、クレジットカードという魔法(使い方によっては黒魔法)のカードの存在のおかげで、どんどん買えたんですよね。ある時期までは。

そしてその先は、ほんとによくある、カードの返済地獄に追い込まれていくわけです...🥲


自分責めの極地

ただ、無駄にわたしが賢いと思うのは、ギリギリを責めてたこと。ギリギリ払えない、ギリギリ回せない。どうにかすればなんとかなりそう、だけどできない。少し遅れたら払える、とか。回せてないようで、回せてる気になるというか...。

ただ、この『ギリギリ』がある意味1番エグいです。
だって、最大限自分のことを責めまくれるから。
お金の問題だけじゃなく、ちゃんとしてないからだとか、自分を責める理由だけは山のように増やせるわけなので。。。

それに気付くためなのか、何度かリセットをしてはまた...を繰り返していたんですが、それは本当に今回(の転職からの流れ)で最後になりました。つまり、最後の山(いわゆるお試しのようなもの)だったのかな...?と思っています。


転機がきた

「欲しいものがない」と思うようになってきたんです、最近。
「あれ」と思いました。

もっというと、
「欲しいものがない。あれ、おかしい?」です。

そして、「どうにかして欲しいものを見つけなくちゃ。」という気持ちから、某密林や某楽天を見まくったり、某ZOZOとかね、そういうのも見てました。

本当の本当には欲しくないけど欲しい気がするものや買わなきゃいけなそうなものを探しては買おうとしてはやめ、買ってみても決済が失敗してたり(めちゃ確認したのに過去の期限切れのカードにしてたり)。

必死にタロットカードやオラクルカードを買おうとしてみても、いざ買おうとしたら昨日まであった在庫がなくなったり、レジが混んだり(笑)
※リアルでこの話わたしから聞いた人はぷぷっ((( *艸))💨てかんじだと思います😂

で、考えましたよね。
ここまで同じこと(買おうとしてるのに買えない)が起こると。

で、気付いたんです。
「買わなくても(お金は)なくならない」から、「安心して欲しいものに巡り合うまで待ってていい」ということに。

まあ実は(すこし話がズレてしまうのですが)、予算以上のものがきたりしたこともあったんですけど、それはそれで何とかなりました。
そう。なんとかなる。要るものは手に入る。

だから、「お金が無くても欲しいものは手に入る」もしくは「そのためのお金がやってきてくれる」っていう概念も、最近新しくわたしの中に加わりました。


本当の自分と一致していること

だから。これが1番大切なことで、これだけわかってればいいんだなと思いました。

最初の方で、こう書いていました。

「自分のものは自分のものにしておきたい」という純粋な気持ち

人のもの、自分のもの、とかそういう制限を超えて、わたしがわたしと認識するモノは必ずわたしのところにくるし、残る。
勝手に無くならない。だってわたしだから。

お金の話は、《自分の在り方》の話でした。
そして、幼い頃に自分が嫌な目にあったから、それから自分を守るために作りあげた自分を守ってくれるものでもありました。

やっと、ほんとうの自分に気づいて、解放することができると思ってます。
ひとりの世界は辛かったです。でも、自分のものが大切だという想い自体は、自然と自分のことも他人のことも尊重できる姿勢につながっていました。

そして、わたしの本質は他者ありきであるということ。
他を生かすなんて、言葉にするとおこがましいけど、それがわたしなんだということ。

1周(いや、もっと?)まわって、逆走もしまくって、やっとスタートラインに立てた。
今はそんな気持ちでいます。


安心して大丈夫。
もう、奪われることはない。
勝手になくなることもない。
自分の本音を無視して、誰かの言いなりになることもない。
自分虐待は、もうしない。

だから、怖がらずに、どんどん、色んなものを生み出していこう。
わたしはここに、確かに存在している。
それは、わたしが奪わないかぎり、そして明け渡さない限り、誰からも決して奪われない。

そういうことです。
改めてよろしくね、わたし( ´ ▽ ` )ノ🌱✨



2021.06.21 夏至の前日に
のびたまご


この記事が参加している募集

振り返りnote

よろしければサポートお願いします!!!いただいたサポートは、必ず循環させていきます!!!