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noteでわたしが書いているのは『なに』なのか?ふと立ち止まって考えてみた。

おはようございます。
のびたまごです。

2月1日月曜日。
2月のはじまり×週のはじまり。
何やら、まさに“はじまりはじまり”のタイミングですね。

そんなタイミングに、ふと「noteでわたしが書いているのは『なに』なんだろう」とふと思ったので、少し立ち止まって考えてみました。

考えたきっかけ

きっかけはこちらの、末吉宏臣さんという方のnoteにひょんなことから辿り着き、文章をいくつか読ませて頂いたことです。

わたしも、「何も書けないけど何か書きたいことがある気がするとき」は、とにかくありのままの自分の描写から始めるので(これとかまさに典型的)、よく分からないけど「これでいいんだ!」と。

さらに、ひょんな、と書いた実はさらにその前にあった小さな小さな疑問は、noteのジャンル分けはどうやってされてるのか?タグなのか?内容なのか?…という素朴な疑問から、いくつかの、何人かの方のnoteを経由して、ここに至ることができたのでした。

エッセイの定義と客観性の必要性

次に、エッセイの定義についてわたしもググってみました。

随筆(ずいひつ)とは、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文である。 随想(ずいそう)、エッセイ、エッセー(仏: essai, 英: essay)などともいう。
ーーーWikipedia

Wikiの定義ではエッセイと随筆、随想は随分近い位置に置かれているようです。

その次に出てきた「出版TIMES」さんのページには、こう書いてありました。

文章の形式に捉われず、書き手の思ったことや感じたことを、そのまま文章にしたものがエッセイです。

著者の「心」や内面の世界に焦点が当てられているのが特徴です。

先述のように十六世紀に出版されたモンテーニュの著書「随想録」を起源とするのが定説で、フランス語の「試み」を意味する「essai」に由来します。
書き手の体験や知識と、それに対する着想・思索等で構成される文章が「随筆」です。

国内最古の随筆は清少納言によって書かれた『枕草子』とされ、日本では『枕草子』に鴨長明の『方丈記』と吉田兼好の『徒然草』とを並べて「日本三大随筆」とも呼ばれます。

つまり、わたしのnoteはエッセイと随筆の間を行き来しているという感じなのですね。ふむふむ。
文章によりその比率が変わるというか。
「エッセイってどうやって書くんだ??」と思ってましたが、すでに書いていたのかー(ノv`*)

ただ、客観的な目を無くしたくない、という想いは常に心の中にあり、そう心がけているのですが、やはり細やかな心の機微にフォーカスを当てて必死に言語化していると、没頭しすぎてその視点がなくなってるときはあるなと思いました。

サイトでは、その他作文、コラムとの違いについてもまとめてあり、とてもわかりやすかったです。

●エッセイ 筆者の内面を自由に表現した文章
○随筆 「体験・知識」 + 「感想・思索」で構成される文章
●作文 心象に焦点を当てた随筆
○コラム 「ニュース」 + 「個人の見解」で構成される文章(メディア上の随筆)

完全に余談ですが、学生時代、国語が好きすぎて、国語の教科書はもらったり購入したりしたその日にほぼ全部(さすがに高校生のときは内容が多すぎてむりでしたが)読んでしまってたのを思い出しました。

古典も好きだったなぁ。

漢詩には数学的なロジカルさを感じて苦手な気持ちが拭えなかった(そもそも【言葉】なので嫌いではなかったですが)んですけど…

小学生のときだと思うのですが、わたしは紫式部がなぜかとても好きで(家にあった「日本の歴史」的な漫画を読んでたからかな?)、百人一首で一番好きだった歌も「めぐり逢いて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな」でした。
競技かるたが題材の漫画「ちはやふる」でいうところの、自分の札というやつですね。

『源氏物語』を読めば、どうしても対比として出てくるのが『枕草子』ですし(宮中のあれやこれやがあるので)、そこから時代が移り代わっていき、『方丈記』『徒然草』が出てきます。
日本三大随筆については、3つに共通して特にはじまりの文章が好きなんです。

今までも、色々なSNSで文章を書いてきましたが、そういえばよく引用として使ってました。

さあ、何を書こう。

自分が書いているものは、『エッセイと随筆の間を行き来している』とわかりました。

別に形式はなんでもよかったんですが、あるのならどこに入るのか知りたいな、と思ったこと。

そして、その裏には「できたらたくさんの人に自分の書いたものを読んで欲しい」という気持ちがあること。

そして、その先には、実は「書くこと」を仕事のひとつにしたい気持ちがあること。

この辺はまたおいおい頑張っていきます。
今はまず、とにかく数と量をたくさん書くことだ!


さいごに。

サムネイルの写真は実はわたしです!(だいぶぼかしましたが)
ギリシャのオリンピアでの1枚。
後ろにある白い線は、スタディオン(スタジアムのこと)スタートラインとして地面に埋め込まれている石です。

ここで、古代オリンピックが行われていたんです。

もちろん、1人で走りましたよ!
スタートラインから、ゴールラインまで。
恥ずかしかったけど(だって1人)、当時の選手の気持ちを味わいたかったから。
観客席からスタディオンを見つめることも、そこで寝っ転がって、どこまでも青い空を見上げることも、してきました。

ちなみに、スタディオンを出て少し先、右側にはヘラ神殿があり、今も聖光はそこで太陽光から自然発生させるという古来の方法で採火されていると現地ガイドの方に教えてもらいました。

☟東京オリンピックの聖火採火式の映像です。

ここにいたのか…と思うと(採火式に居たのではありませんが)感無量です。

これからも、自分の表現の発信を続ける、とここに誓って。



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