セニングなんて〜その1
「ベーシック万歳」の続編になります。
終ることのないミーティングの続きは果たしてどうなるのか。
コラムというか、ショートストーリーというか…
サロンで良くあるミーティング風景です。
あくまでフィクションですが,多くの美容室では問題となっている様な事ではないでしょうか。
時代の変化によって何を捨て、何を大切にしていかなければいけないのかを考えたいと思います。
※※※
まだまだ、とある分業制を行うサロンの話をさせて頂く。
ようやくベーシックの在り方についてスタイリストのなかである程度共有ができ、ミーティングも終わりを迎えると思ったその時、店長の西川さんは行った。
西川「セニングについてはどうなんだろ?」
自分「ん! セニング?」※セニング…毛量を減らすなど量を調節するテクニックのこと
西川「セニングはどうやって教えるべきなんだろ?」
人間の髪の毛をカットする為に必要な技術、ベースカット(GとLのコントロール)、似合わせ(顔周り)、セニング、2セクション、ディスコネクション、あげれば他にもあるのだろうか。それぞれに原理原則みたいなものがあるのだろうか。表面的にしか理解していない自分としては、「あるのだろう」というあやふやな考えしかなかった。
ここでサロンのトレーニングシステムの話に戻るが、10スタイルのチェックをうけたあとその総括となるベーシックテスト①が行われる。テストに合格するとヘアカタログなどを用いたスタイルカットトレーニングが行われる。その後ベーシックテスト②、これは似合わせのテストだ。
①②が終ると、実際に人頭へのカットトレーニングに入るわけだ。一つの疑問は、これまでGとLの原理についてはベーシックというくくりの中でコントロールすることを教えていく。
では、セニングのベーシックというものはあるのだろうか。
これまた自分が最近入社したという客観的な立場の意見として、この段階に入るアシスタントを対象に1度勉強会を開けば、まずは基本的な手の動き、立ち振舞、ハサミの使い方を共有できるのではないかと思った。だれかの手さばきを勉強すべき人たちが見れば,同じものを同じようにインプットできると考えるのは、当然の事ではないだろうか。
この意見にほぼ全員が「そうだね」と賛同してくると考えていた。
だがそれは違った。
カッター全員が口をそろえて「それは必要ない」と言うではないか。例え最近入社した自分と言えど約10年の美容歴のある自分としての感覚的な意見にだれも賛同してくれないのはある意味事件である。火曜サスペンスドラマのおなじみの音がなりだした。
だがそれがなぜなのかを考えてみた。
自分のイメージとしては手始めに一括して学ぶことで技術の平均化、いやスタートラインを揃えることは集団教育の中では当然のことだという認識だからだ。これはもはや古い学校教育的な発想なのか。
ベーシックテストを終えたアシスタントには1人のカッターがマンツーマンでトレーナーとしてつくことになっている。
カッター全員の意見は、つくトレーナーが教えればいいという意見、いや教えればいいという表現は間違いで、トレーナーなりのやり方と考え方で「1」から教え込むことがいいという考えである。「はぁー、なるほど」そういう事か、自分は「1」から教えるという言葉に共鳴できる感覚を持ち合わせていた。
つづく
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