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人の気配、残像、景色に色を足す〜①

カラーリストになるということ、
なったことで変わったこと、
そして最近感じることを書いてみました。
全部で2600文字くらいあって長く感じてしまいそうなので3回に分けます。

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 全てがグレーだったあの頃、赤色を選ぶという選択肢すら持ち合わせていなかった。
 

 色を感じたという記憶をたどるとそんなに思い出せない。記憶の中にカラフルが存在しなければ、配色という言葉もない。なぜならば幼少期から十代の頃、色を意識して生活はしていなかったし、色に触れるのは小・中学校の時のスケッチ大会と称した絵画展に応募するためのものでしかなかった。正直面白くも何ともなかった。小学校五年生のとき県の展覧会で入賞し奨励賞をもらった。グラバー邸を先生に言われるがままに描き、塗り、そして受賞した。色を混ぜ合わせ瓦のグレーを作り、背景はいろんな色を混ぜ合わせ色を濁らせ、水で薄めた。そのとき生まれて初めて意識的に色を混ぜるという行為に及んだのだ。
 

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 憶えている景色は山奥にある実家の屋根瓦から見下ろす森緑と海の色、そして天気の良い空の色。日曜日の昼間に瓦の上に布団を敷き太陽の光を浴びながら遠くの海を見ながらうたた寝をしていた。そこから見える景色の色、そして太陽の光を浴びる布団の匂いは今でも覚えている。その時の記憶は時とともに色褪せつつあるが、絵の具で混ぜるとグレーに原色をほんの少しだけ混ぜ、水で薄めながら塗ったような淡い記憶でしかない。


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 色彩というものをしっかりと意識し認識し始めたのは言うまでもない、カラーリストという存在に他ならない。色を専門にしている人なわけだが、人に合わせる、混ぜ合わせる行為にとても興味をもった。カラーリストという響きが、自分の色への興味をより掻き立てていたのかもしれない。
 

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 断片的な色の組み合わせがくみあわさり自分の作り出す配色になっている。グレーしかなかった色に鮮やかさのある色が入り込み、初めは適当に置かれていた色たちもそれぞれの所在を見つけ、大きさを感じとり、配慮し発色するようになった。高校生の頃に母が作ってくれていたお弁当の無彩色な色合いしか知らない自分にとって、妻が娘に作るお弁当の彩りはとても楽しげに感じる。赤いトマトが添えられるだけで色合いが華やかになるという感覚を知った。配色が人に与える楽しさや刺激があるということを、大人になるまでは気にもしたことがなかった。

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つづき↓


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