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記録の為の旅行記〜果てしなく続く砂漠へ2

モロッコ行きの飛行機は当然のごとく、アラビア系の人種が多くいたような気がする。日本行きに日本人が乗っているようなものだ。ロンドンにいてもアラビア系の人と接する機会はほとんどなく、心なしか香辛料的な香りのする飛行機で、すでに旅は始まっているということを感じさせてくれた。

隣の席にも当然、モロッコ人とおぼしき20代の青年。おそらく自分と同じ年くらいか。英語で話しかけると、英語で返してくれた。何を話したかは覚えていないが、おそらく「モロッコでなにするの?」「砂漠を見に行く」みたいなことは話していたと思う。空港からフェズの市街地まで。どうすればいいかは調べていない。何とかなるさ、という自信は持ち合わせていた。どうやら話を聞くと空港から市街地までは車での移動になりそうだ。あわよくばという市街地まで車に乗せてくれないか、みたいなことをお願いすると快くOKを出してくれた。

一度ニューヨークに行ったことがある。それは一人で海外に行く初めての体験だった。その時も何も下しらべもせず、行ったことを覚えている。初めての体験すぎて、ニューアーク空港についてからどうすれば、ニューヨークというところに行けるのかさえも知らなかった。自由の女神のあるニューヨークがどこにあるのかさえも。どうすればマンハッタンに行けるのかさえも知らない、無謀な、いや時間の無駄なことをしていたなと思う。

感覚的には、成田に着陸し、どうすれば、渋谷のハチ公までいけるのかということを、調べもせず降り立ってしまった外人になっていた。世間知らずとはこのことで、本当に恥ずかしい限りだ。

そしてまたしてもモロッコで同じ状況になっている。4年くらい経過してもそう簡単に人は成長できないということが証明されていた。


入国審査を通過し、荷物は預けていなかったので、すんなりと到着口に出ることができた。外を見ると陽は落ち、暗くなっている。先ほどの青年を待つこと20分。青年の家族であろう人たちと数人でこちらに向かってくる。「やっぱり車に乗せることはできないよ、ごめん」予想外に多い家族が迎えにきたみたいで、人数的に部外者が外される、当然の成り行きである。さぞ青年も心苦しかったことだろう。こんな無計画で不躾な日本人が話しかけてしまったがために、断らなければいけない嫌な気分にさせてしまった。「タクシーに通訳してあげるよ」と最後の 親切を与えてくれた。


ほとんど照明のついていない空港の外は、無計画な自分に不安感しか与えてくれなかった。青年が通訳し、フェズの旧市街地まで送り届けてくれることは確約されている。安心してる場合ではない。この後、ついた初日にアラビックの洗礼を受けるのだから。


メーターもついていないタクシーに乗ってしまっがために、いくらの運賃が適正なのかは定かではなかった。おそらくボラレていた。そして運転手がホテルの主人に話し、宿の主人から提示された金額は日本円すると5000円くらいだったか、モロッコにしては高額な値段だった。夜も遅くこれ以上のタクシーの運賃と体力を消耗するには得策ではないと考え、今夜はこの安宿でもない中途半端な高級もどきホテルに宿泊せざるおえなかった。

あとあと冷静に考えると、タクシーの運転手は紹介料としてのマージンを得るために、それなりのホテルに連れて行った。ここはおそらく提携している。そしてタクシー代とマージンを得た運転手の親父はきっと家族に美味しいものを食べさせたに違いないと、勝手に解釈をすることにした、というのは今このnoteを書いている時に思った。


さあ、明日からが砂漠への第1歩が始まる。今日は寝ることにしよう。


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一人旅での教訓

1, 旅に出発する前に初日の宿を予約する

2, あらゆるものの相場をあらかじめリサーチしておく


いつか書いておきたいと思いつつ、ほったらかしにしていた案件を少しずつ書いていくというnote記録です。

気の向くままに、
少しずつ
砂漠までの道のりを記していきます。


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