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イミテーション⑧

今日も一人で歩いて帰る。

 結局全部何かの真似なのかな。友達一緒にいるのも模倣。喧嘩するのも模倣。彼氏をつくるのも模倣。感情からの言動も模倣。
本当の私はどこにいるんだろう?そもそもどこにもいないのか?

 特に才能のない私にできることなんてたかがしれている。私の存在意義なんて模倣集団の一部であることくらい。そんなの嫌だな……


歩いてるうちにだんだんつらくなってくる。
結局言葉を使う限り、模倣からは逃れられない訳で、だって言葉って私が考えたものじゃなくって私より何年も前に生きてた人たちが作ったもので、けどその人たちもたぶん自分たちで考えたんじゃなくって何かを模倣して作ってて。ってことは何一つ私たち自身が考えたことなんてなくって全部誰かからの借り物ってことになる。なんなら私の命さえ何かの模倣なんじゃないか?だって人間ってほとんどの人がおんなじ体の形してる時じゃん。そりゃ太ってる痩せてる、身長が高い低いの違いはあるけどさ。なにかの型があってそれに押し込められてるだけなんじゃない?それってモデルがいるってこと。つまり模倣じゃん。
ああー。ああー。
頭がおかしくなる。いやもうおかしいか。


帰る途中少し寄り道して近くの川沿いを歩くことにした。こういうときは自然を見るといいって……
それも模倣か。

川の流れる音。鳥のさえずりを心地よいとも思わずなんとなく聞いていた。

その時だった。

河川敷で幼い男の子が父親と一緒に遊んでいた。二人は野球をしていた。父親がボールをトスする役、男の子はバットで打つ役。結局それも模倣なんだよなーと私は通り過ぎようとしたが、なぜだか二人の会話が聞こえてくると思わず足を止めていた。
 
「全然打てない!なんで空振りばっかりするの‼」
「鈴木選手の真似しすぎだって。もっと肩の力抜いて」
鈴木選手とは現在メジャーリーグで活躍している野球選手のことだ。私は野球に詳しくはないが二枚目であり「王子様」とはやし立てられる彼のことをSNSで嫌でも目にしていたから知っていた。
 
「いやだ!僕も鈴木選手みたいに打つ!」
「うーん。確かに鈴木選手は上手いよ。けど、俺はまさのバッティングフォームも見たい。鈴木選手の打ち方だけ頭でイメージして体は目の前のボールを打つことに集中してみてほしい」
「……わかった。やってみる!」
 
カーン
 
木製バットの打球音が聞こえた。
「わーすごい!打てた。打てたよ!」
「すごいじゃないか、まさ!よし、続けよう!」
 
 
その後男の子が空振りをすることはさっきよりも少なくなっていた。
 
私は今の一連の流れを見ていた。野球に興味が芽生えたのではない。それよりも今の男の子の過程に興味があった。
 
私はまた歩き始めた。男の子は模倣をしたままだった。頭の中でイメージしていたということは模倣しようとはしていたってこと。あの時変えたのは体の動き。つまり行動。
———模倣か?あれは本当に模倣だったのか?
 
………………‼
 
なんで気付かなかったんだろう。違和感の本当の正体がわかった。模倣の欠点も。私の考えは完璧じゃなかった……
あぁ、そっか。
「そういうことか……‼」
私の気持ちは一変した。
 
晴れやかな気分で家に帰った。ずっとわからなかった数学の問題が解けた。そんな感覚だった。
 
今思えばこの日は人生で一番密度の濃い一日だったのかもしれない。

この後に起こったことも含めて———

続く


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