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2023上半期 覚書7

好きなことを「好き」と人にいうことが苦手だった。
自分は好きだけど、それを人に言うことに自信が無かった。

相談員や高校生たちが堂々と「私はこれが好き!」と言っているのを見て、すごいなぁと思った。
すごい、というか、羨ましいというか。
その姿はとてもキラキラしていたから。

ある日、探究の授業のため高校生がやってきた。
丹後の伝説について探究しているという。
まさに私が好きな分野のひとつであった。
しかもこれから、専門知識を持つ人達が彼女のために集まるという。私も一緒になってゾクゾクしながら話を聞かせてもらった。
彼女たちはフィールドワークにも出る予定だという。彼女もワクワクしていた。
知らないことを知って、それが繋がってくると楽しいよね、よく分かる。

その日はすごく面白く楽しい日だったが、「好き」なことだとははっきり言えなかった。
帰ってから、こっそり図書館で借りた丹後の歴史関連の本を読みなおしたり、地図で聞いた場所を確認したりしていた。
なんて根性無しなんだろう。この回想でも可笑しくなってくる。

学校のコーディネーター兼相談員の2人から、近くに相当この辺りの歴史に詳しい方がいると教えてもらった。
正直こわくて(何を恐れていたんだろう)、1人じゃなぁと思っていたところに、先程の彼女がインタビューする前に、コーディネーター兼相談員のひとりが訪問するという。
そこに、同行させてもらうことにした。

数日後、私は布団屋さんの一角に座っていた。
丹後の歴史と神社の好きなBさんは、人好きのするえびす顔で話をしてくれた。
Bさんはフィールドワーク派で、実際に行ってみないとすっきりしないところが私と意気投合し、お互い行ったことある神社仏閣についてとても盛り上がった。
Bさんが、「いつからそんなにこういうの好きになったの」と聞かれ、ふと考えてしまった。
だいたい若い女が歴史や伝説について意気揚々と語ったりすると、歴女だのアニメオタクだのといったカテゴリーにされてしまう。
でもこの人はそんなこと関係なく素直に平等に聞いてくれているのだと思った。

私が答えると、Bさんは
「そりゃすごい!学者だよ。好きを貫けるのはそれだけで凄いことだ、もっと周りに言ったらいいのに。色んな人が教えてくれるよ。少なくとも僕は話せて楽しかった。」
と、言ってくれた。一緒にいる相談員もうなづいている。

そうか、言ってもいいのか。少なくとも今私の周りにいる人たちには、自分の好きを「好き」と言っても大丈夫なんだと思った。

高校生たちの「好きを好きと言える」安心感。
私も同じ安心感を感じ、体験することが出来た。
私もそんな環境をつくれるようになりたい、そんな安心感を感じてもらえるような人になりたいと思った。



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