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花の魚

 昔々あるところに、たいへん豊かな王国がありました。その国には王様とお妃様と、ひとりの愛らしいお姫様がおりました。このお姫様が十五歳の誕生日を迎えようとしていた、ある日の午後のことです。お姫様がお城の近くの、氷に閉ざされた泉の前で一人遊びをしていると、突然泉の氷が割れて、とても良い香りがしてきました。そしてたちまち、見たこともないほど美しい花と光に覆われた、とても大きな魚が現れました。魚は言いました。
 「かわいいお姫様、私にあなたの靴をください」
 お姫様は履いていた靴の片方を、泉の中に投げました。すると花の魚は靴をぱくりと飲み込み、代わりに自分の鱗の輝く花びらを一枚ちぎってお姫様に渡しました。

 花の魚は何も言わずに水の中に帰っていき、割れた氷は何事もなかったように元通りになりました。お姫様は急いでお城に帰ると、王様に花の魚のことを話しました。この王様は、自分の後に国を治めることになる息子を持っていませんでしたし、お姫様も良い年頃になってきたので、そろそろ次の王様になる若者を探さなければいけないと考えていました。ですから賢い王様はお姫様の靴の話を聞くと、すぐに素晴らしいことを思いつきました。お姫様のなくなった靴を取り戻した者には、お姫様と結婚して次の王様になる権利を与えるという知らせを、国じゅうの教会の広場に貼りださせたのです。
 ところが実際は、王様よりも賢かったのはお姫様の方でした。というのも、この王国にとても腕の良い靴職人がたくさんいることを知っていたお姫様は、彼女のなくなった靴そっくりに偽物の靴を作る者がいることも、予想していたのです。ですからお姫様は、本物の靴からは花の魚のとても良い香りがすることを、誰にも言わずにおきました。

 明くる日から、王様のお城にはたくさんの若者が、皆小さな美しい靴を持ってやってきました。しかしそのどれも、お姫様が持っているもう片方の靴と対になるものはありませんでした。そして、国じゅうのほとんどすべての若者が出尽くしたのではないかと思われる頃、お城から一番遠い町で二番目にお金持ちの、毛皮商の息子がやってきました。彼は今までの誰が持ってきた靴よりも、お姫様の持っているものにそっくりの靴を持ってきましたので、王様は大喜びでお姫様に言いました。
 「これこそが、お前のなくした靴ではないか」
 しかし賢いお姫様は言います。
 「いいえ、違います。よくご覧になってください、お父様。私の靴は長いこと履いていますから少し古びていますのに、この靴は真新しくて、かかともリボンも少しも擦り切れていないではありませんか」
 王様は心底がっかりしてしまいましたが、実際この靴は、毛皮商の息子が高いお金を払って腕の良い靴職人に作らせた、偽物だったのです。毛皮商の息子は町に追い返されてしまいました。

 次の日、同じ町で一番のお金持ちの、宝石商の息子がやってきました。彼が持ってきた靴は、毛皮商の息子が持ってきたものよりもっとお姫様の靴に似ていましたし、かかとやリボンも少しだけ擦り切れていましたので、王様は大喜びでお姫様に言いました。
 「これこそが、お前のなくした靴ではないか」
 しかし賢いお姫様は言います。
 「いいえ、違います。本物の私の靴ならば、光り輝く花の魚の、この世のものとは思えないほどの良い香りがするはずでございます」
 王様はまた、がっかりしてしまいました。しかし実際この靴は、宝石商の息子がとても高いお金を払って腕の良い靴職人に作らせ、さらに毛皮商の息子の話を聞いてうまい具合に擦り切れさせた、偽物の靴だったのです。こうして宝石商の息子は町に追い返され、王様は途方に暮れてしまいました。

 さて、毛皮商と宝石商の息子たちと同じ町に、ひとりの貧しい青年が住んでおりました。青年は夢見がちで心優しく、自然の声に耳を傾けることができました。ある時青年がおもての畑を手入れしていると、貧しい乞食の格好をした、とても背の高いお婆さんが声をかけてきました。
 「お兄さん、ごしょうだから、パンをひと切れくださいな」
 青年は今にも倒れそうなこのお婆さんをかわいそうに思ったので、持っていたたったひと切れのパンをすべてあげてしまいました。するとお婆さんは言いました。
 「ありがとう。お前さんはこんなみすぼらしい老婆にも親切にしてくれたのだから、きっと良いことがあるでしょう。ところで、お城のお姫様の靴がなくなった話を知っているかね?」
 もちろん青年は知っていました。彼はいつも、美しいお姫様やお城での生活に憧れており、そういったお城の噂話は、風や鳥たちがいつでも彼のもとに運んで聞かせてくれていたのですから。お婆さんはまた言いました。
 「すぐに旅に出て、靴を飲み込んだ花の魚を探しなさい。そのためにいいものをあげよう。この指輪をはめて、指輪が向く方向に歩いて行きなさい。私の古い友達の、泉のもとに連れて行ってくれるよ。用が済んだら指輪を右に三回まわしなさい、ひとりでに帰ってくるから」

 とても古びたその指輪は硬い透明の石でできていて、不思議な古代文字で言葉が刻まれていました。青年はお婆さんにお礼を言うと、すぐに旅を始めました。

 雪と氷が大地を覆い、太陽は狼を逃れて九回、空をまわりました。

 暗く寒い森の道を何日も進んでいくと、ようやく厚い氷に覆われた泉にたどり着きました。青年が言われた通りに指輪をまわすと、指輪は空に弾け飛んで、もとの道を帰っていきました。そして同時に、泉の厚い氷が割れて、中から白い泉の精が現れました。
 「お姫様の靴を飲み込んだ、花の魚を知りませんか」
 泉の精は答えました。
 「私は彼女を知っていますけれど、彼女は靴を飲み込むと、すぐにどこかに消えてしまいましたよ。今どこにいるかはわかりません。きっと彼女は魚ですから、魚の王国に行ってみなさい。そのために良いものを貸してあげましょう。この槌を持って、槌が向く方向に歩いて行きなさい。そして用が済んだら地面を三回叩きなさい、ひとりでに帰ってきますから」

 その槌はきらきら光る銀と氷でできていて、霜で豪華な装飾がされていました。青年は泉の精にお礼を言うと、すぐに旅を続けました。

 雪と氷が大地を覆い、太陽は狼を逃れて九回、空をまわりました。

 暗い森をあとにして何日も進み、荒々しい海辺に出ました。ごつごつとした大きな岩の隙間をくぐると細い階段が地下に続いており、かなり長いこと下っていくと、ようやく魚の王国にたどり着きました。とてつもなく大きな空気の泡でできた透明なお城です。青年は言われた通り、槌で地面を三回叩いてそれを泉の精に返すと、お城の中に入りました。一番奥の立派な椅子に座っている、この世のすべての魚を治める男に尋ねました。
 「お姫様の靴を飲み込んだ、花の魚を知りませんか」
 男は答えました。
 「私は彼女を知っていますが、彼女はもう長いこと、ここを訪ねていませんよ。今どこにいるかはわかりません。きっと彼女は花ですから、花の王国に行ってみなさい。そのために良いものを貸してあげましょう。この雪靴を履いて、雪靴が向く方向に歩いて行きなさい。そして用が済んだらつま先で三回、地面を蹴りなさい、ひとりでに帰ってくるから」

 その雪靴は古いトネリコの木の皮でできていて、あかがね細工の小さな飾りがついているのでした。青年は男にお礼を言うと、すぐに旅を続けました。

 雪と氷が大地を覆い、太陽は狼を逃れて九回、空をまわりました。

 海辺を離れ、凍てつく氷と雪の中を、広く豊かな野原を目指して何日も進んでいくとようやく、明るいのどかな花の王国にたどり着きました。色とりどりの草花と柔らかい雲でできたお城です。青年はまた、言われた通りにつま先で地面を三回蹴って雪靴を返してから、一番立派な椅子に座っている、この世のすべての植物を治める男に尋ねました。
 「お姫様の靴を飲み込んだ、花の魚を知りませんか」
 すると男は答えました。
 「私は彼女を知っていますが、もう長いことお目にかかっていませんね。ですがおそらく、彼女は火の橋を渡った先の白い世界にいるはずです。そこへ行くのに良いものを貸してあげましょう。この羽衣を着ると、空を飛ぶことができるのですよ」

 その羽衣はとても古びていましたが、たった一枚の羽のように軽やかで、何層にも重なった氷のように透明で細やかな飾りがありました。青年は男にお礼を言うと、羽衣を羽織って空に舞い上がりました。

 雪と氷が大地を覆い、太陽は狼を逃れて九回、空をまわりました。

 何日も空を飛び続けるとようやく、何色ともつかない美しい色に燃え上がる火の橋を見つけました。橋を越えた雲の向こうには、何もかもが光り輝く白い世界が広がっていました。どこからともなくすばらしい花の香りがしてきたと思うと、目の前に、見たこともないほど美しい花と光に覆われた、とても大きな魚が現れました。

 「私はお姫様の靴を返してもらいにきました」
 「あなたこそが、真実の愛のために勇敢に旅をした青年ですね。靴を返す前に、一つお願いがあるのです。私の背びれの一番大きな花の裏に隠れている、金のりんごを取ってください」
 そこには確かに、輝く大きな金でできたりんごがありました。言われた通りにそのりんごをもぐと、花の魚はたちまち、お姫様の靴を持った美しい女神様の姿に変わりました。靴には、輝く花びらが一枚入っていました。女神様は言いました。
 「あなたのおかげで魔法が解かれました。お礼にその金のりんごを差し上げます」

 こうして青年は、本物のお姫様の靴と金のりんごを持って、遠い故郷の王国に帰りました。王様は、目の前のみすぼらしい青年がお姫様の靴を取り戻したとは思えませんでしたので、はじめからがっかりしてしまいましたが、お姫様の目は輝いていました。あのすばらしい花の香りがしていたからです。
 「お姫様、これこそがあなたのなくなった靴でございます」
 輝く花びらを靴の中から取り出して見せると、お姫様も持っていた花びらを見せ、見守っていた人たち皆に、それが本物の靴であることがわかったのです。

 そしてもう一つ、青年は金のりんごを王様に差し出して言いました。
 「王様、これは私が旅の間に得た金のりんごです。これをあなたに差し上げます」
 これを見てようやく王様は、この貧しい青年が次の王様になるべき人だとわかりました。この金のりんごが、国をさらに繁栄させると考えたからです。こうして王様は心から、二人の結婚を祝福することができました。しかしその後本当に国を繫栄させたのは、この金のりんごではなく、ほかでもない青年の、優しく強く誠実な心だったのですが。

 それから盛大な結婚式と舞踏会が開かれ、皆はいつまでも幸せに暮らしました。この豊かな王国は、今でもどこかで続いているのだそうです。

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