やたらとジャスミンに偏った実写版『アラジン』初見感想

今日公開の実写版『アラジン』を観てきた。
昨晩予習しようと思ってアニメ版を観直していたのだが、時間がなくてジーニーが出てくる直前までしか観られなかった。たぶん3分の1ぐらいだろう。だからウィルスミスとオリジナル版ジーニーの比較とかは今回できない。ウィルスミスは良かったと思う。

そもそも私はオリジナル版『アラジン』があまり好きではなかった。ジャスミンは大抵ディズニー・プリンセスに数えられているし、同時期のアリエルやベルと性格が似ているものの、この作品はタイトル通りアラジンの物語であってジャスミンは主役ではない。「私は勝ち取られる賞品じゃない!」と憤るジャスミンは格好良かったのだが、ストーリーは彼女の知らないところでジャファーやアラジン、ジーニーの手で動かされており、状況に翻弄される彼女の願いといえば概ね「外に出たい」「恋愛結婚をしたい」だけだったと思う。彼女の願いはアラジンの魔法の絨毯と父王の許可によって叶うという形だ。結局ジャスミンはあの宮殿で、制度下で無力じゃないかと思っていた。

名曲「ホール・ニュー・ワールド」は素晴らしい曲だし、歌詞も印象的で優れていると思うのだが、歌い出しの"I can show you 〜"はどうにも好きになれない。複雑。最近バズっていたように、ジャスミンはアラジンに見せてもらわなくても、一人でも世界を見て回れる強さを持っていると思うのだ。実写版でもあの曲とミュージカルシーンはどう考えても外せないから仕方ないのだろうなとは思いつつ……。

以下、実写版ネタバレなので未見の方はご注意。

ジャスミンの願いと彼女を抑圧するもの

今回の実写版では、ジャスミンの夢がアニメ版とは大きく変わっていた。また、彼女を束縛し抑圧するものがより鮮明に描かれていた。

先に触れたように、アニメ版でジャスミンが政略結婚に抗っていたのはそれが「愛のない結婚」だからだ。逆にいえば、もしも求婚してきた王子にジャスミンが恋をしたなら、話はそれで終わりだった。彼女が求めていたのは「王女が恋愛結婚する権利」だ。

しかし、今作のジャスミンは違う。彼女は「王女の結婚時期と相手を指定する法律なんて間違ってる!」からもう一歩踏み込んで、「なぜ王妃でなく女王になれないのか」と憤っているのだ。彼女は統治者になる準備をしてきたと自負し、自分にはその能力と民を愛する心があるという確固たる自信も持っている。彼女が反抗するのは「好きな人と結婚したいから」というより、「女であるために蔑ろにされているから」であるというように描かれている。

今作のジャスミンが明確に女性蔑視に抗議するキャラクターであることは、彼女を抑圧する言葉にもわかりやすく表れている。
「女の役目は見られることであり、聞かれることではない(=男のために美しくあれ、意見など言わず黙っていろ)」
今作のジャスミンはこの言葉に抗い、「女はもう黙らない」を強いメッセージとして背負うキャラクターとして描かれているのだ。この辺りは近年の社会情勢をよく反映していると感じる。

「見られる」で思い出したが、前作ではアラジンが初めて市場でジャスミンを「見つける」場面で、美しい彼女を遠くからうっとりと眺めるという描写がある。この描写は今作ではなくなっていた。気づかないところで彼女が鑑賞されている描写はなんとなく気分のいいものでなかったので、この変更も私は嬉しかった。

ジャスミンの夢と「ホール・ニュー・ワールド」

諸々の変更に伴い、ホール・ニュー・ワールドのミュージカルシーンも違った味わいがある。

前作ではジャスミンが不自由さを嘆き、外に出たいと願う描写が(ちゃんと見直してないのでたぶんだけど)印象深かったことにより、この曲の世界旅行は未知の領域を(好きな人と)自由に飛び回る喜びに満ちていたと思う。
一方今作では、ジャスミンの願いが変わったことでこのシーンがいささか唐突な印象を与えるというか、浮いていたというか、そんな気がする。実写の映像の美しさは素晴らしかったが、ジャスミンの一番の夢はここで叶ってはいないからだ。このあたりがリメイクの難しいところ。

むしろ今回のジャスミンにとって重要だったのは、ジャスミンが女王となり統治するに相応しいということをアラジンがてらいもなく肯定したことだった。アラジンがジャスミンの愛と信頼を得たのはこのときだったのだろうと思う。それは女を蔑ろにする王室の伝統と孤独に戦う彼女の側に立つという宣言だったからだ。

親友ダリア

孤独といえば、前作のジャスミンは本当に孤独だった。というか、親との間に問題を抱えた孤独なヒロインが運命の恋人と出会い幸せになるというのは、ディズニーのプリンセスものの伝統でもあった。女友達のいるヒロインは『プリンセスと魔法のキス』のティアナが初とかだった気がする。

安心して頼れる親も理解してくれる友達もいない多くのプリンセスたちは冷静に考えるとかなりかわいそうで、そんな状況下でも自分を曲げない彼女らの強い意志が際立つのだが、そこで彼女たちを助けてくれるのがいつも「恋愛」「王子様」というパターンなのはやっぱりよろしくないように思われる。

今作ではジャスミンの侍女であり親友でもあるような新キャラクター、ダリアが登場する。ダリアに愚痴をこぼし、アラジンのことを相談するジャスミンの様子からは、ダリアがジャスミンにとってなんでも話せる親しみと信頼のおける相手であることが見て取れる。ジャスミンのこのような姿を見ることができたのは嬉しかった。(正直ダリアとジーニーのくだりは別になくても良かったのでは?と思うところもあるが…冒頭のウィルスミスは面白かったしいいか)もうちょっとシスターフッドの絆が見たかった気もするけど、ぶっちゃけちょっとよく覚えてないとこもあるのでまた観てきて考えます。

[追記]
ダリアの登場によって、ジャスミンとアラジンがより対等になった感じもするなあと思う。

前作では、ジャスミンの心をアラジンが懸命に射止めるのをジーニーが手助けするというプロセスばかりが強調されて、観客の関心は「アラジンはジャスミンを手に入れられるか」というところに向けさせられる。そのあたりがやっぱりジャスミンは対象物だったというか、どうも恋愛の主体として見なされてなかったように思う。ジャスミンはアラジンに騙されるばかりだったし。

今作ではジャスミンと恋バナしてくれるダリアがいるおかげで、またジャスミンが最初に咄嗟にダリアのふりをするおかげで、ジャスミンの側の働きかけや心の動きがより印象深く描かれている気がする。今作でもジャスミンは「アリ王子が本当の姿だ」というアラジンの嘘を信じるが、ダリアからの「信じたの?」「盗人とは結婚できないから信じたいのでは?」という問いかけが、「騙されること」を「疑いがあっても信じることにするというジャスミンの選択」としていてよかった。

ジャスミンの夢の叶え方

またジャスミンの夢の話に戻るが、前作と同じくジャスミンの夢は最後に父王によって叶えられる。とはいえ、その中身は結構違っている。

前作では確か王女の結婚に関する法律を変えることを父王が認め、ジャスミンとアラジンの結婚を許すという話だったと思う。これは結局ジャスミンの結婚は父の許可なしには成立しえないということを端的に示しているようで、私はなんだか嫌だなと思っていた。

今作では、父王は自分がこれまでジャスミンを抑圧し、一人前として扱っていなかったことを認め(子ども扱いしていたという感じの表現だったけれど、やっていたことは女性蔑視だっただろ)、ジャスミンの強さを認めて彼女に王位を譲ることを告げる。結婚に関する法律は王になった彼女自身が変えるようにと言うのだ。

この結末は父王から与えられるという形ではあるものの、ジャスミンにとって夢の叶ったハッピーエンドだった。彼女は能力と自信、責任感に見合った役職を得たし、自己決定権も手に入れたのだ。これは単に「アラジンとの結婚」という個別の案件について父に了承をもらっただけのアニメ版とは全く違う結末なのである。

気になるところ

ざっと語ってきたように、ジャスミンに注目して一回観ただけでも気づくアップデートが今作にはたくさんある。

とはいえ、気になったところもやっぱりいろいろある。

そのうちの一つが、(プリンセスものでそれいう?って感じはすごくするけど)王政そのものへの批判はないんだなーっていうところ。ヒロインの王族としての自覚や責任が描かれるようになればなるほど、「統治者かぁ……」と思ってしまう。昔のようにそういうものを描かず、プリンセスはロマンスや冒険に憧れてればいいというわけではもちろんなくて、これからは「プリンセス」じゃない女の子たちを楽しい(アニメ)映画で描くこともますます必要になってくるんじゃないかなと思っている。モアナ路線というかなんというか。

長くなったので今日のところは一旦終わり。
またそのうちアニメ版を観直して、実写版も何回か観たいなーと思ってます!

#映画 #アラジン #映画レビュー #感想

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