見出し画像

欲する物ほど手に入らない

出張で過去に住んでいた地域へ足を踏み入れ、かつて歩いた道をなぞってみた。ある意味、自分のルーツを辿る旅となったような軌跡だった。

僕は友達が少ない。殆ど居ないと言っても、過言ではないだろう。中学の頃も高校の頃も、それなりに友達と言うべき人はいた。しかしながら、振り返ってまで会いに行く相手はいなかった。過去を懐かしんだり、共有する相手はいなかったのである。

そうこうする内に中学の友達と言うのは居なくなり、高校の友達と言うのも2,3人になった。大学時代の友達と言うのも、殆ど居ない。数年に一回も会わないのが普通の仕事ではあるが、そもそも友達なのか?なんて疑問符も湧くような関係の希薄さであった。

これはそもそも、僕が過去を振り返ってこなかった、と言うことなのだろう。学校が変わるとか生活の場が変わるとか、そう言う節目で僕は人間関係をリセットすることに慣れていた。大抵、良い思い出なんかより悪い記憶が多かったからなのかも知れない。せっかく人生やり直せるなら、やり直したいと思っていた。

そんな訳だから、過去は忘却する。忘却しなければ、保てないのだから仕方ないけど、都合悪い日々を思い出さないようにしてきたのだ。その結果、自分がどう言う人間だったのか、よく分からないことになった。そして、今の自分の在り方に迷った時、僕はとうとう過去の自分に会ってみたくなったのだ。

高校の校舎を眺めたり街並みを散策したり、同級生と話もしてみた。少しずつ思い出される記憶は、思ったよりも風化しておらず、でも、思ったより情動を掻き乱さない物だった。

そして、そんな記憶を辿る旅で僕は唐突に自分自身の変わらなさに気付かされた。一つ、自分のことが好きではないが、仕事の能力だけは信用している。一つ、好きになった人が幸せになって欲しいと言う気持ちは常に変わらないが自分が不幸になることは諦めつつも辛いと感じている。一つ、心から欲した物こそ捕まえられないものは無い、つまり、僕が心から愛した人は僕の元には残らない。

そう思うと、ああ、これは仕方ないことなのだなと、自分の現在を受け止められた。仕事にしか熱意を傾けられない不出来な人間が他人を幸せにできる道理など無く、それ故に、本当に愛した人に手を伸ばせない。

多分、人の形は変わらない。諦めろ、これが僕の人生なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?