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「対立が力に」子どもの対立を学びに変えるために大人が考えることは?

こんにちは、EDUCAMPの曽雌です。

先日、探究教室の授業の中で面白い場面がありました。

高学年のクラスでの出来事です。

グループで一つテーマを決めて、テーマに対して様々な問いを出していこうというグループワークを行っていました。

そこでとある男の子2人がテーマ決めが上手くまとまらず、言い争いを始めたんです。

今回のテーマ設定は、過去、現在、未来と様々な時間軸の中で多様な問いを考えることが今回の目的だったので、問いのテーマはなるべく広いものがオススメと伝えてありました。

その中で、二人がやりとりをしていたのがこんな会話です。

「僕は食事について考えたいな」
「え~食事だとテーマが狭すぎるから文化の方がいいよ」

「それだと僕が考えたいことが考えられなくなる」
「いやいや、文化の中には、食事って含まれるでしょ。だから食事について出せるじゃん」

「いや、、、なんかスッキリしないな~」
「なんで!?ちょっとこれを見て。食事がこの円の部分だとしたら、文化はそれよりも大きな円の中にあるでしょ?だから食事も考えていいんだってば!これでどう!?」

「いや、まだしっくりきてない」
「なんで!!?だから食事も書いていいんだってば!何がスッキリしないの!?その理由を言ってよ」

「いや、だって広すぎたらたくさん出すぎて分からなくなるでしょ!?それは嫌じゃんか」
「だから!!食事で書いていいんだってば!」

「なんでそんなに怒っているの!?」
「怒っていないってば!理由を話しているの!」

「怒っているように聞こえるんだって!!」
「それはゴメン!でも・・・!!」

こんな感じ。二人とも真剣なんです。
見ていて本当に面白い。
ついついニヤニヤしてしまうぐらいには(笑)

しかも何が面白いって、言い合いのの論点自体はすごく良い視点について話し合っているんですよね。

問いの広さをどのぐらい狭めるかによって、出てくる視点が変わってくるという。

これ自体は今回のワークの中でも、かなり本質的に近い部分です。

ただ、お互いに議論と感情が行ったり来たりするから、なかなか答えが出ない。また面白いのが、ちゃんと非を認める部分は、お互いに認め合っていること。しかもどちらも怒り口調で(笑)

凄く器用なことをするな~
なんて思うと本当に面白い。


授業の時間も限られているので、残り時間をみつつ、少しだけ介入することに。

これがキャンプなんかみたいに、時間がたっぷりとあれば、もう少し見守っておくのですが、今回は時間が限られているので、少しだけ介入します。

「二人ともちょっと話の途中だけどいい?」
「二人が話している内容自体はすごく良いと思う。そのまま話してもらってもいいんだけど、授業の残り時間があと15分ぐらいしかないから、ここで一回だけ相談しておくね」
「このまま残り時間を二人でトコトン話し続けるか、大人の手を借りながら進めるかを選んでみて。二人ともが大人の手が必要なく、トコトン話し続けたいっていう気持ちがあるならば、トコトンした方がいいと思う。ただ、その場合残り15分で決着がつかない可能性もあるから、時間切れで終わる可能性も見越しておいてね。ちょっとそこだけ二人で決めてみて」

そう二人に投げかけました。

二人の中では
「このままだと中途半端で終わりそうだから最後までやりきりたい」
「僕もまだスッキリしていないからこのまま二人で話したい」
との結論が一致しました。

おお~!ここはすぐに一致するのか~と思いましたが笑

「OK!ならあと15分トコトン続けよう!15分経ったら終わりになってしまうので、そこだけよろしくね!」

と伝えたところ、またまた白熱した?議論を始めていきました。
もはや議論というよりは、いかに相手を論破するかという感情の方が強い気もしますが、残りの見通しをもって自分たちで決めてもらったので、それはそれで見ていて面白いですね。

結果、、、
15分経っても結論は出ず。

「はい~!終了~!!!」

二人ともすんなり議論を終えます。
少しだけふり返りを。

「二人とも今どんな気持ち?」
「まだ消化不良な感じ」
「うん。まだスッキリしていない」

「そうかそうか~。途中一度だけ入って止めたけど、最後まで自分たちで話すことを選んだよね。その選択に対してはどう思う?」
「そこは良かった。言いたいことを言えた気がする」
「僕も」

「なるほど。そこのスッキリした感じはあるんだね。次同じ場面があったとしたら、何があればもっと良いと思う?」
「う~ん。あと10分。いやあと2時間、時間がほしい。」
「時間もそうだけど、誰かに入ってもらう方がいいかもしれない」

「なるほど。ならそのあたりから話し始めてもいいかもしれないね~」

終わってみると、話途中で終わった消化不良はあるものの、お互いに言いたいことを思いっきり言い合えたことへの、スッキリ感は結構あるとのこと。


この出来事を見ていて、すごく色んなことを考えさせられるな~なんて見ていて思ったんです。

もしもこの言い合いを途中で無理やり大人が止めて、介入した上で解決してしまったら、ここまで二人で気持ちを言い合えたという感情は生まれないでしょう。

良くある場面です。
お互いに「ごめんね」と謝ろうねという終わり方をするちょっとムズムズした感じです。

それこそ幼児期の最初であれば、人とどうやり取りをするかを考えるモデルを提示するためと考ると、まあそれも一つだとは思います。

ただ個人的には、小学生同士のやりとりで、大人が解決したものを無理やり答えにした上で一件落着したみたいな感じになっているのを見ると少しだけムズムズしてしまうんです。

大事なのって、当事者たちがどうしたかったのかだと思うんです。

自分たちで最後まで解決をしたかったのか、手助けを必要としているのか。
これを自分たちで考えらえることが本当の意味で、自分で考える力の第一歩だと思います。

別に大人の力を借りるのが悪ではないですもんね。
大人に限らず、人の力を借りたほうがいいとお互いに思うなら、その選択をとれることって大事だと思いますし。


何でもかんでも自分たちで考えさせるというのも難しいですよね。
いや、難しいというか、結局のところ時間と回数の問題な気もしますが。

キャンプのように時間がたっぷりとあれば、自分たちで考えられるチャンスがたくさんあります。だから究極のところ、ほっといても学びになるチャンスはたくさんあると思うんです。

ただ時間制限がある中、もしくは、子どもたちに自分たちで考える準備ができていないときに無理やり考えさせても、その失敗体験はあまり学びにはなりにくいんじゃないかと思います。

例えばあと5分しかない中で、君はどう生きたいのか?なんて大きな問いを投げかけても上辺だけで終わってしまいますよね。

それと同じで、子どもたちが考える準備ができているかどうかで、失敗体験が学びになるかどうかが変わってくると思うんです。

だからこそ、限られた時間の中で子どもたちに考えさせるならば、ある程度枠組みが必要になってくると思います。

時間がたっぷりあったり、何度も何度も再チャレンジの機会があるならば、枠組みはめいいっぱい大きくても大丈夫だと思いますが。

自分で考えさせるって、本当に難しいですよね。
子どもたちに良かれと思って問いかけて考えさせようと思っても、子どもたちに準備ができていなければ、強制された失敗になってしまいますもんね。

そんなことを考えさせられた場面でした。

だから野外活動やキャンプって人との関わりを学ぶのに良い体験なんだと思います。時間が長くとれるのと、これをしなければならないっていうのが少ないですからね~

今日はここまで。
次回もお楽しみに!

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曽雌


株式会社EDUCAMP
https://noasobikids.com/

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