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プロレスラーブランディング

かつて、わたしは化粧品会社の商品企画部にいた。
そこそこ若かりし私は、品行方正で真面目だけが取り柄の黒髪ストレートで、面白さの無い新人だった。
偏差値に振り回される人生を送ってきたことで、企画職というクリエイティブな場においても、数字や理論が絶対だった。

ある日上司が、ギャルと呼ばれる読者モデルとのコラボ商品担当になるからとアシスタントに入った。
現行品の中から、彼女の好みを探る意図もあり「忌憚なき意見」を賜ることとなった。

会議室にはお菓子が盛られ、ギャルたちが5人くらい。
既にお菓子を食べたり、商品を開けたりしながら自由に会話をしていた。
横でその商品を担当した先輩がメモを取り、30代の男性上司が「これはどう?デザインとか」と友達のように話しかけていた。

先輩の顔は明らかに不機嫌そうだった。

「やばくない?」「やばいやばい」「こっちがやばい」「ほんとだまじやばい」
席に着いて議事録代わります、とタイピングした文字列はこんな感じだった。

ほぼ全ての会話が「やばい」で成り立っている。
読み返して読解出来なかったことに焦って、やばい○、やばい×と記号を付けた。

唇を震わせながら離席した先輩は、そのまま戻って来なかった。

「どの辺りがやばいと思ったのでしょうか?」
私はいつものように質問した。
「どの辺りって、いやもう無理でしょ。ダサいし」
そんな返答だった。

「どこを改善したら使ってみたいと思いますか?」
「なんかダサい、みたいな。どこっていうか全部ダサい」

とりつく島もない。
しかし議事録はつける。
パチパチとタイピングをしながら、私は初めて気がついたのだ。
世の中には理由のないこともあるのだと。

彼女たちは、決して性格が悪いように感じなかった。
むしろ素直で真っ直ぐな印象。

理由は語れない嫌悪感。
感性での判断基準という大きな壁に触れた時の脅威は、ここから始まったのかもしれない。

そして「ギャルはどうせこういうのが好きなんでしょ?」という思惑がうっすら見えるデザインは、媚びとも見下しているとも取れ、そういうものに女の子たちは敏感なのだと感じた。

もうひとつ勉強になったことがあった。
当時ギャル雑誌でカリスマと言われていた子の1人がその座談会にいたのだが、私に対して綺麗な敬語だったのだ。
「ギャル」という言葉で全員を括っては駄目だ、と思った。
「“私は“肌も焼かないし、つけまもナチュラルめが好きですし、見た目はかっこいいより可愛いを重視します」

ここでタイトルに付けたプロレスの話に初めて触れるけれど、プロレスもいろいろ広いと色んな団体を観れば観るほど思う。

そんなプロレスを「プロレス」という一括りにしてしまうのは、それぞれの正解を無理矢理押し付けてしまっているように思う。

「やばい」にも色々あれば、ギャルも色々いるし、デスマッチだったり、路上プロレスだったり、ヨシヒコとの対戦だってプロレスだ。
そして完全にファン目線になって気がついたのは、好き嫌いに理由など後付けでしかないということ。

さらに推しとかオタクの存在で、自分や家族以外の誰かを溺愛するという心理。

今ノアというプロレス団体は、若いプロレスラーのブランド育成と、ノアという団体のマーケティングに力を入れ始めた。
というのも、わかりやすく投資し始めている。

自己プロデュースが上手いレスラー達が熱狂させた時代は変わり、今会社として面倒を見ないといけない時代だ、と時代のせいにするのは年寄りっぽいけれど。

現在プロレスリングノアのプロレス観戦とは、デジタルやSNSマーケティングも含め、楽しめるエンターテイメントカテゴリーの時期なのかもしれない。

マーケティングに携わる全ての方へ、今改めてプロレス観戦をおすすめしたい。


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