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【映画感想】『キル・ボクスン』

※ネタバレ注意※

Netflixで視聴。韓流映画らしいクールな演出と激しいアクション、そして魅力的なキャラクター達にとても楽しませてもらった。

まず物語のオープニングがなんともキャッチー。特に日本人にとっては、怪しい片言の日本語と、ステレオタイプな日本のヤクザ像にくすりとさせられるに違いない。
主人公であるキル・ボクスンの強さとシングルマザーであるもう一つの顔を際立たせるためのシーンだろうけど、物語に引き込ませるためのフックとしては十分だと思う。この映画の楽しみ方を分かりやすく提示している。(日本以外ではどこまでウケるのだろうかとは思うが、、)

物語序盤は、シングルマザーとしての側面にスポットを当てたリアルな子育てモノと、ファンタジーな殺し屋稼業を描いたノワールモノが継ぎ接ぎされているような印象も受けた。異なる映画同士を張り合わせたような不協和音を感じつつも観続けていると、パズルのピースが嚙み合うように、物語が重なったシーンがある。

キル・ボクスンの娘であるジェヨンが、同級生であるチョルを刺したこと悔みながらも、こう告白する。

『自分に正直でいたかったの』

それを聴いたキル・ボクスンは一瞬驚いたような表情をしながら『カッコいい 私の娘』とジェヨンを讃えるのだ。
その直後、キル・ボクスンはジェヨンに殺し屋という正体がバレそうになってしまうが、なんとか隠し通すことに成功し、安堵する。
いや、この時のキル・ボクスンはただ安堵しただけではないはずだ。自分に正直であることがカッコ良いと嘯きながらも、自分は何より大切な娘に対して正直でいることができない。「子育て」と「殺し屋稼業」という二つの要素が孕む矛盾に苦しんだに違いない。

ただし、個人的にはこれが正解だと思っている。子供は自分に正直に生きることができるし、それがカッコ良いかもしれないけれど、大人は、そして親はそうはいかない。それは何も殺し屋であるキル・ボクスンに限った話ではないのではないだろうか。自分に、そして子供に正直に生きる親が必ずしも良い親というわけではないと思うのだ。

正直に生きる娘を讃えながら、自分はそうは生きられない。これは同じような矛盾を抱えて生きる人々にも響くシーンだったのではないかと思う。そしてこのシーンこそがキル・ボクスンという人物、そして映画を最も象徴的に表していると思う。

本作は挿入歌(Herb Alpert)こそあれ、劇伴がほぼなく、過剰に感動や激情を煽ることなく、それが良い効果を与えている。最近思うけど、ぼくは劇伴がない映画が好きかもしれない。

ラストは考察のしがいがある。キルボクスン vs チャ・ミンギュの師弟ラストバトル。マルチバースのような演出は、どの未来を予知しても、実力ではミンギュを倒せないということを表しているのだろう。しかし、キルボクスンは、ミンギュのたった一つの弱点を見抜き、勝利を収める。ミンギュがキルボクスンに惚れていたというのはドラマ性があって面白い。ミンギュ視点のスピンオフがあれば是非見てみたいと思う。

そしてラスト、ジェヨンがキルボクスンの決闘を”見た”かどうかは明確に提示されていない。が、最後のあのやり取りから、”見た”と思う。これから親子二人の関係は変わらず隠し事が纏わりつくのかもしれないが、それでもきっと乗り越えられるだろう。


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