久遠のあ
タイトルの通りですが、少し前置きを。 ぼくは子供の頃から、映画というものにあまり触れてこなかった。 (ジブリとかドラえもんとかポケモンとかそういう類のものは観た記憶があるし、普通に楽しんでたけど) 特にミニシアター系の映画というものは存在すら知らなかった。それがここ1~2年で映画館によく通うようになった。 きっかけは映画好きの後輩に誘われて観にいった「エイス・グレード~世界で一番クールな私へ~」という作品。決して派手な映画ではなかったけれど、登場人物のさりげない表情の
全作品追っているわけではないけれど、お気に入りの石井監督の作品ということで、期待値を高めての視聴。鋭い社会風刺や、メッセージ性を感じられる石井テイストでありながら、ややテーマを詰め込みすぎた感は否めないか。原作は未読であるが、パンフレットを読んだ限り、やはり『要素の多層性』をどう扱うかがポイントだったそう(最大の強みであり、映画に変換する上での弱点という記載)。 そういった裏事情というか作品としての意図は分かったうえで、ちょっと勿体ないかな、と思ってしまった。映画化する
良い意味で予想を裏切られた。予告から匂わされる雰囲気は、河合優実扮するカナが暴れまわる、けたたましく賑やかな映画かと思っていた。しかし、その本質はとても静かで力強い作品だった。 物語序盤、カナは友人からの真剣な相談も上の空に聞き流す、二人の恋人を好き勝手に利用し振り回すなど、自分本位の無茶苦茶な人柄であることが示される。しかし、(やる気なさげにみえるものの)仕事には真面目に取り組んだり、二人の恋人を除く他者に迷惑をかけるような振る舞いはしない。社会に許されるギリギリの境
※ネタバレ注意 映画館で吹替版を鑑賞。実は1は当時観ておらず、直近で字幕を鑑賞してからの2、ということになった。(2も字幕で観たかったが、時間が合わず……)尚、1は素晴らしい作品だと感じたため、期待はうなぎ登り。1は頭に潜む感情たちの擬人化という突飛な設定ながら、決して子供向けではない、全世代が楽しめる内容だったと思う。 2では立派なティーンに成長したライリーの、またもや感情たちの目まぐるしい騒動が描かれる。物語の冒頭で、司令部内に大きな警報が鳴り響き、ライリーに
※ネタバレ注意 傷ついた孤独者たちが寄り添い合う群像劇ではあるが、決して湿っぽくならず、各々が互いに寄りかかりあうことはない。その絶妙な距離感がなんとも心地よい。 映画全体の作りが丁寧で上質。1970年のボストンが舞台となっているが、映像の色合いや音楽のセンス、舞台の細部にわたるまで再現度、没入度が非常に高い。特に物語序盤の年末の雰囲気、日本でいう師走の如く慌ただしさを漂わせながらも、浮足立つような期待感が隠しきれない、あの独特の雰囲気の演出が見事だ。観客は自分も登場
※ネタバレ注意※ 予告を拝見したときからずっと楽しみにしていたが、まさしく期待を裏切らない作品だった。最初から最後まで無駄がなく面白く、丁寧に緻密に制作されていると感じた。 ポスタービジュアルもそう。キャッチーなデザインであると同時に、作品中に画として存在するだけでなく、物語としても重要な役割を果たすシーンであり、観賞中でも思い出して唸らざるを得ない。 そもそも、「昼盲症」という実際に存在する病に着目し、暗闇でのみ視力が宿るという設定を生み出し、「梟」というタイトルを付け
※ネタバレ注意※ 事実は小説より奇なり……これが史実を基にしたとは思えないほどに、悲劇的な物語である。尚、実際は更にもう一人兄弟がおり、同様に悲惨な末路を辿っているというのだから、本作はどちらかというとマイルドな内容になっているのかもしれない。 始めに書いておくが、ぼくはプロレスに全く明るくない。アイアンクローという必殺技もなんとなく耳にしたことがある程度で、フリッツ・フォン・エリックの名前も聞いたことがなかった。しかし、フリッツが活躍した時代を駆け抜けた世代の方々
※ネタバレ注意※ 特に前情報を入れずに、ネットフリックスで視聴。 毎回、Netflixプレゼンツでは思うことだけど、とにかく画が綺麗だなと。 セットや映像にお金がかけられてるのが良くわかるし、本作についてはセンスも良いと思った。主要メンバーが集う集会所は、現実とファンタジーの境目を漂っているような幻想的な佇まい。廃観覧車もバーカウンターも映画館もぼくのツボに刺さった。これらのセットがエンディング時には廃墟となる演出も、退廃的で美しい。 一方、設定やシナリオは少々粗
※ネタバレ注意※ Netflixのドキュメンタリーは良質なものが多いので、期待しつつ視聴。それを裏切られることなく、ドキュメンタリーであるのに映像は美麗で凝っており、流石といったところ。また、テンポ、リズムが素晴らしいと感じた。インタビュー、再現ドラマ、当時の映像が交互に淀みなく流れ、それにDM着信を模したピコン!がアクセントになっている。 前半部分はマッチングアプリを発端に整備士であるデイブがシングルマザーであるキャリの執拗なストーキングに悩まされる話。大々的にマッ
※ネタバレ注意※ Netflixで視聴。 これまであまり伝記映画を観たことがなく、音楽にも疎い。本作のレナード・バーンスタインも申し訳ないが存じ上げなかった。さてどう楽しもうかと思索しながら視聴開始。恐らくバーンスタイン氏と思われる老人のインタビューから幕を開け、彼の記憶を辿る様に時代は過去へとワープし、モノクロの世界へ。 途中までは一人の男の成功を描いた平坦な伝記映画かと失礼ながら肩肘をつきつつ鑑賞。バーンスタインとフェリシア、容姿端麗で才能あふれる二人の男女が
「戦争が、終わったんだ」 なんて憎いキャッチコピー。戦争は簡単には終わらないのだと叫んでいる。 戦闘機が飛び交い、砲撃の雨が降り、あげく核爆弾が弾ければ、国一つが一瞬で亡びる――――戦争から想起するこれらのイメージは間違ってはいない。けれど、もし仮にそれらを乗り越え、終戦を迎えたとしても、それで全てが解決するわけでは決してないのだということを本作は教えてくれた。 本作で描かれている全ては、形式的には終戦後の世界でありながら、紛れもない”戦争”だと確信できる。復員兵は、
年明けから素晴らしい映画に出逢ってしまった。 大きな事件も事故も起こらないのに、一瞬たりとも画面から目が離せなかった。平山の日常は”映画にありがち”な派手なものではないけれど、平穏でもなければ、つまらないことも決してない。とても尊く、そして美しく彩られた日々。 特筆すべきは、彼が生きる世界はパリでもニューヨークでもサハラ砂漠でもアマゾンの奥地でもない、日本の東京の下町だ。これは、当然ながら東京の下町を卑下しているわけでなくて、ぼくたちが当たり前に接している、ともすれば見
※ネタバレ注意※ Netflixで視聴。単純に最後まで飽きることなく楽しめた作品。間延びを感じさせる瞬間も確かにあったが、一貫して張りつめた空気が支配していたように思う。 物語は見えざる敵からの攻撃に晒される2つの家族を軸に描かれる。と言っても、戦争もの、ディザスターものというよりは、極限状態の人間の心理、により焦点が当たっているように思う。加えて、所々に派手な演出のシーンも織り込まれており、大味にも薄味にもならない、全体的にバランスの良い作りになっている。(これは好み
※ネタバレ注意※ 面白い、こういう殺し屋映画もあるのか。 全編通してマイケル・ファスベンダー扮するクリスチャン/ザ・キラーに焦点を当てて描かれる、殺し屋ドキュメンタリー、殺し屋密着24時である。 まず開幕の独白部分から異色を放っている。一般に、殺し屋と言えば自分を曝け出すことなく淡々と任務を遂行する、そんなイメージがあるが、果たしてそれは本当だろうか? 殺し屋だって一人の人間である。己の流儀があるし、自問自答もする。そう言わんばかりの長い独白。しかし、立ち振る舞
※ネタバレ注意※ Netflixで視聴。 ウェス・アンダーソンはアステロイド・シティで初めて出逢い、その独特で浮世離れした作風に驚かされた。淡いパステルカラーな色彩設計、観客を置いてけぼりにするようなスピード感、現実と虚構をふらふらする寄る辺なさ。慣れるまではやや抵抗感があったものの、そのお洒落で先鋭的な絵と、「よく分からなさ」がくすぐってくる探求心がなんとも癖になった。 二作目ながら、本作もまさにウェス・アンダーソン監督の作品。矢継ぎ早に語り手が変わってくスピード
※ネタバレ注意※ 良い意味で予想を裏切ってくれる映画だった。序盤は感情移入しにくい主人公の”ボク”に当惑させられながらも、観ている内に、そして観終わってからもじわじわと湧き上がってくる感情に……響いちゃったなぁ。 男女で感想というか評価が分かれる映画かも?とは思う。それはやっぱり主人公であるボク目線で話が進んでいき、このボクは万人に愛される好青年では決してないから。まなみちゃんに幾度となくプロポーズしながらも、他の女の子にもふらふら愛を振りまき、まなみちゃんへの想いす