『ルックバック』見たことだし創作人生でも振り返る
見たよ〜『ルックバック』
遊田乃愛です。
見ましたよ、ルックバック。
見に行く前日、私の大好きな方に「仕事を辞めたこと」と「辞めた理由」を話した際、絶対に見に行くよう言われた作品でございます。
なんやかんやバタバタしていて見に行けなかったのですが、先日やっと見に行けました。
藤本タツキ先生の絵がマジで好きなので、速報や予告を見た段階で「タツキの絵が動いてる⁉」になりました。(すみません、敬称略)
そして、エンドロールに並ぶ名前の少なさ……。
同作は約60分と、劇場アニメとしては短編に入る作品ではありますが、この人数は……。
と月並みに驚いてみて、作品を通した感想と自分自身の創作に関わる人生を振り返っていこうと思います。
追う背中・預ける背中
こちらの記事をご覧になってくださる皆さんの大半が、すでにルックバックを読了済み、または視聴済みであると思いますので細かい説明は省きながらつらつらと語ります。
なお、以下はすべて私個人の感想と解釈です。こういう考えもあるんだな〜くらいで読んでくださいね〜。
「京本も私の背中みて成長するんだなー」のセリフ。
このときにはすでに、京本と藤野は肩を並べる存在であったと思います。
けれど、京本にとって藤野はいつまでも追うべき存在で、自分にあらゆる選択を与えてくれた先駆者なんですね。
藤野がいたから外に出られた。
美大へ行って、もっと絵がうまくなりたいと思えた。
背景美術に興味を持てた。
呼び方が「藤野先生」から「藤野ちゃん」に変わっても、京本にとってのヒーローはずっと藤野だったのでしょう。
一方で、藤野にとっての京本もまた、藤野の世界を作り変える一因だったと思います。
純粋な称賛、自分の作品を細部まで見て興奮しながら語る口調、作品を作っていることを告げると止まらない「見たい」コール……。
これだけ熱狂的なファンが近くにいて、誰が書くことを辞められるというのか……。
藤野は途中、4コマ漫画の連載を辞めてしまいます。
その理由を「新人賞に応募する作品を書くため」と言っているのは、京本のためのウソではあったと思います。
ですが、結果的にそのウソは2人分の人生を変えていきました。
新人賞への応募に向けて漫画を描き始めた二人。
藤野は自らの勉強机で。京本はサイドテーブルで、背中を預け合って執筆を進めていきます。
漫画の執筆中は自己との戦いではありますが、このときの二人は相棒として互いを信頼していたのだなと思うと胸が熱くなります。
藤野の作業環境が変化していくのも結構注目したいところでした。
きっと、京本が藤野と共にプロになることを選んでいれば、あの広いマンションの一室で背中を預け合いながら作業をすることはなかったんじゃないかなと思います。
京本が美大進学を決めた時点で、二人は背中を向けたままでいるんだな〜。
創作者、なぜ作りはじめたか教えてくれよな
見出しの通り。
創作に心血を注ぐ皆さま、そのきっかけを覚えていますか?
私は覚えていません。
影響を受けた作品はいくつもありますが、この作品には人生を揺るがされたな〜と思うことはありません。
それは決してマイナスの意味ではなく、基本的に私は誰かに憧れて背中を追うということがありませんでした。
覚えている限りで、初めて創作らしきものをしたのは小学校低学年の頃です。
当時爆ハマりしていたドラゴンクエストと、児童書『エルマーのぼうけん』のクロスオーバー漫画をプリキュアの自由帳に描いていました。
友人の誰に見せるではなく、母や弟に見せていただけでしたが、母が褒めてくれたこと、隣で弟も同じように漫画らしきものを描いていたことで、なんとなく描き続けられたものです。
漫画家になりたいとは思っていませんでした。
その後、成長するごとに様々なアニメや漫画にハマりました。
だいぶ影響を受けた能力バトル小説をルーズリーフに書いたり、使えるようになったばかりのパソコンのメモ帳に綴ったりしていました。そのときのデータも、多分もうありません。
これがおそらく中学生くらいの頃かな。
信頼できる友人には見せていたはずです。捏造記憶だったらマジでごめんすぎますが、今地元で俳優としても活躍している友人が一番褒めてくれた記憶があります。その頃から、この友だちとは何かやりたいと思ってたんですけど、私の歩みが牛歩すぎて今やっと……もう少ししたら何か誘えるかな……って感じのとこまできました。まだ何も言ってないですけど……固まるまで地元に帰らないと決めているので……。
高校生になってからは長編が少し書けるようになりました。
初めて公募に出したのも高校生くらいだったかな。もちろん音沙汰はなく、けれど書く楽しさは覚えられました。
この頃にはネット上に小説を投稿することを覚え、見知らぬあなたから感想をもらえたりして、もっと書きたいと思えるようになりました。
大学生になってからも同様です。
課題で絶対書かなきゃいけない、締切厳守の場に身を置くことで、締切を意識することもできましたし、テーマに沿った内容を意識できるようにもなりました。
この頃にも、私の作品を好きだと言ってくれる方がいたので、なんとなく書き続けてきました。
いずれの頃にも、好きな作品や作者がいました。
同じように創作をする同年代の友人で尊敬する人もいました。
けれど、私は傲慢なので、彼らを尊敬して背中を追うということはありませんでした。
一緒に何かやりたいな、と肩を並べることだけを夢見てきましたし、今もそうです。一緒に何かやってみたい人がたくさんいます。
私は成長課程で小説を表現媒体に選びましたが、映画だって撮りたいし舞台もやりたいし漫画原作もやりたいんです。
自分の頭の中にある妄想が最良の形でアウトプットされるなら、いろんなひとを巻き込みたい。
まあ、そう思えるようになったのは少し大人になってからですが……プライドとかいろいろが邪魔をした時期もありましたしね……。
書き始めたきっかけは覚えていませんし、なかったかもしれません。
正直言って、漫画やアニメにハマった連中は、授業中にルーズリーフやノートの切れ端に絵や小説を書くフェーズを絶対経ると思っているので、私もその一員だっただけです。
でも、書き続けてきた理由はわかります。
どのライフステージにおいても私の作品を好きだと言ってくれる人がいたことが、私の一番の幸福です。
だからルックバックを見たときに、私が一番ぐっときたシーンは……。
藤野が「なぜ漫画なんか描いてしまったのか」と京本の死を受けて後悔し、そして自分の作品を読んで笑う京本の姿を思い出したところ、です。
私にとっての藤野はちょっと思いつかないけれど、私にとっての京本はたくさんいます。ありがたいですね。
そして幸いなことに、その京本たちは今も何かしらの形で創作に関わっています。
だから、肩を並べて、ときには背中を預けて何かできたらいいなと思うんです。
今月もたくさん書けた
そんなわけで、皆が私と何かやりたいと思ってくれるような実績を早く作らなきゃと思っています。
公募のための話も書いてますが、同人誌的なものも出したいですよ。
私と文フリでコンカフェSFを書いてくれる人を大募集中です。
ほな!
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