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【トリニティ論part1】三位一体の現段階での考察(2024)

三位一体とは


三位一体とは、キリスト教で、父と子と聖霊は、一つの神が三つの姿となって現れたものだという考え方です。いわば「すべてがひとつであること」なのですが、この解説では問題点がいくつかあります。

この三位一体を解説するときに、よく使われる図があります。コンパスのようなあの図です。

三位一体(よくある図)

ここからはキリスト教の三位一体の考えを完全に淘汰して、個人的な三位一体の再定義をしますので、この異端を受け入れられる自信がない方は、回れ右していただけると、身のためかと思います。

言いましたからね!!

それでは問題点をいくつか、挙げていきます(増えていくかも)

問題点(現段階2024)


1、女性排除的であること
2、聖霊と父と子では違いがありすぎる
3、この三つ以外はGODではないのか?

前提として、この三位一体という考え方はよく完成されたもので、図式的には分かりやすく、かつキリストから始まる宗教としてとても正しいものであると思います。しかし問題は、そこではありません。三位一体の考えが正しいとされているからこそ、そこを淘汰しなくてはいけないのです。

私の目的は「すべてはひとつであること」を証明すること、「大いなる存在」を学術的に証明することです。大いなる存在は私たち自身であり、「すべてはひとつであること」は大いなる存在の証明につながります。(この詳しい解説もまたします)すべてがひとつであるためには、散乱している「存在」を整理しなくてはならない。宗教、宗派、思想が本当は同じであること、「神」などと呼ばれる存在はすべて同じであり、ひとつであること。人間の求める真理なのです。今回は、キリスト教の三位一体を取り上げますが、まぁ、それも長い研究の旅の始まりということです。

そもそもセイレイ論を現在取り扱っている私にとっても、関わりの深い内容ですしね。

3という数字は完全数として、自然界でも、建設の点でもよく使われていますね。形式化したものとして、三位一体は限りなく正しい。しかしこの形式以外認めない排他的でもあります。キリスト教によくある形です。


女性排除的であることの問題点


ではでは、今回は1の女性排除的であることの問題点について議論していきましょう。

これは一神教の宗教全般に言えることですが、女性排除的すぎるというのが現在の宗教の問題点です。事実として、生物学的に男女が同等の数存在しているのに、すべてをつくったとされる神が(ここはキリスト教の考えに寄せて)不平等にするわけない。役割の違いやろ!と言われるかもしれませんが、現状、制限されすぎている。ここはフェミニズムの話と結びつきますが、一神教の考え自体が、正解が一つしかないので、結果的に一つの正解、一つの種類が正しいとされ、人間のノーマル状態が男になるわけなのであります。

「すべてはひとつ」というのは一つが正しいというわけではありません。もちろん、それぞれ種類はあります。性別、人種、年齢、それぞれです。が、それをも包括してしまう「大いなる存在」のもと、「すべてはひとつ」なのです。私たちは三次元の世界に住んでいるので、三次元の世界の言葉でしか説明できないのですが、四次元の世界の具体こそが、「すべてはひとつ」の体現なのです。うう!!難しい!!😣

つまり、この三位一体をこの定義で考えると、The Fatherも、The Motherも含めるべきだということです。いやいや、親の形って、父と母だけじゃないだろ!片親だったり、同性だったり、そもそも性役割をするのは間違ってる!!はい、その通りです。が、子供が生まれるのは、精子と卵子が結びつく、つまり生物学的なオスとメス、父と母が必要なのです。

キリストは(一応)神の子ということですが、つまり、人間的な結びつきがあるのはマリアのみ。人間の父はまぁ一応ヨセフですが、よくある俗説として、マリアが強姦され孕った子供がイエスだ、とか、マリアが浮気した、とか、父親は本当は軍人だ、とか。

よくよく考えてみたら、人間の男性、排除しすぎじゃないですか?キリスト教。面白いのは、神の子イエスは神とマリア(体を貸しただけ?)の子で、本当だったら、マリアは女性だから、マリア様すげ!!女性ってすげ!!ってなるはず?なのに、いやいやマリアは処女妊娠だから、「人間の男性」に汚されてないから、てなことになるわけです。おかしいじゃんそれ〜

なぜ、神聖とされる女性を汚すことのできる「人間の男」のみが聖職者になれるのか。なぜそもそも「女性」は純粋であることに意味があるのか。

子供には、男女どちらも必要です。もし、イエスがThe Sonなのであれば、彼の誕生には母であるマリアと、人間の父が必要なのです。もしかしたら、聖霊パワーで生まれちゃったのかもしれない。だとしたら、聖霊=父じゃん?だったら女性はどこにいくの?普通に考えて、処女妊娠なんて無理なんですから、処女であるマリアはあり得ないわけです。

ここら辺は「キリスト教」の問題点にもなります。本当のイエスはどんな人だったのか、これは「キリスト教」からの目線のみではよく分かりません。ですが、キリスト教はよく整理されている。から分かりやすい。

今日のまとめ

三位一体は処女妊娠を正当化するための武器。これは神聖さとか、教え、とかではなく歴史を見て事実(FACT)を見なくてはいけない。とはいっても昔すぎるので本当のところはわからない。そこは織り交ぜながら。

三位一体の考えは、まぁ、合っているのです。「すべてはひとつ」の観点からみれば。だが排除的すぎる。そこは証明に取り入れられません。

続きはpart2で。

それではまた、



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