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Dear me...

親愛なる過去の私へ。

過去の私に送る言葉を書く前にまず問いたい。


過去の私には「親愛なる」という思いがあっただろうか。

思い返せば就活を始めたころだっただろうか。

自分がどんな会社で何をしたいのか。将来自分のやりたいことは何か。就活を始めるにあたって自己分析をしたね。

でも、何度やっても答えはでなかった。情報収集するために、コネクションを増やしたり、Twitterで就活アカウントを運用したり、イベントに参加したりといろんなことをやってきたね。

それでもわからなかった。大学3年の2月から就活のことを意識し始めて、スケジュールぎっちぎちに詰めて。とにかく自分の納得のいく就活をしたかった。だけど、大学4年になっても自分のやりたいことがわからなかった。

完全に心が病んでしまい、しまいには大学を休学することになった。


その当時、私はしばらくひきこもりになったよね。自分のことを信じることができず、そんな自分がみじめに思えて、カッコ悪く、ダサく思えて、親の期待に応えられなかったと感じて、ただただつらかったよね。


このまま本当に何もできずに終わってしまうのか。


そう思ったね。

でも奇跡が起きた。

そんな私を見てくれる人がいた。それが私が今いる会社。あの時は想像もしなかったよね。私が就活の時に志望していた業界でもなければ職種でもない。全く知らない会社。


それでも今こんなに楽しく仕事をすることができるのはなぜだろうか。過去の私からしたら、不思議で仕方ないよね。


就活で苦しんでいる当時の私のところへタイムマシンに乗って、こう声をかけてあげたい。


やりたいことがないというのは、可能性が無限大ということじゃないか。
素晴らしいじゃないか。それじゃあ、なんでもできるね。

今思えば、過去の私は、将来自分がどうありたいか。何をしたいのか。何をすれば自分らしいのか。そういうことに囚われすぎていた。

自分の人生設計を完璧に考えなければ就活はできないと思っていた。


でもその考えこそが根本から間違っていたのかもしれない。


そもそも過去の私は、社会人経験が0なのだ。いくら業界研究したって、会社研究したところで、中のことなど完璧に知ることなんてできない。

ましてや、将来自分が何をしたいかなんてわかるはずがない。社会人として仕事を通して経験値を上げていく中でしか自己分析できないと思う。


それならば、考えることは意外と単純なのかもしれない。


若いうちにいろんなことを学びたいのか。ゆるゆるやりたいのか。


本当にこれくらいおおざっぱでいい。

だって、私が社会人になって同じ中学、同じ高校の奴らと飲みに行って話を聞くと、自分が思っていたほど深く考えている奴なんていなかったぞ(笑)

むしろ、「めちゃくちゃしっかりしてんなあ。」とか、「どんだけ深くかんがえすぎてんねん!」ってつっこまれるほどだったぞ(笑)


だからあまり自分を責めてやんな。


つらくなったら頼ればいい。つらいことをちゃんと「つらい」っていえるのはかっこいいことだと私は思う。


もう一度言う。

やりたいことがなくても心配するな。可能性が無限大ということなんだから。話なら俺が聞いてやる!

ってな



過去の自分にちょっとかっこつけてみたぞ。それができるくらいに、
今は元気にやってるよ。だから気楽にな。





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