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今はいないあなたを 目の前に現して

あ〜〜〜星野源さんに会いたいんじゃ〜〜〜。

7月26日、月曜日。自分は星野源さんとお会いする夢を見た。ラジオブースのようなところで、ただただ焦りながら星野さんに話しかける自分。それを楽しそうに、時には手を叩き体全体で大笑いしながら聞いてくれる星野さん。移動した先でも自分は焦ってるし、星野さんは笑っている。

自分の息が切れる音で目が覚めた。部屋の天井を見つめ、今自分は布団の中にいると認識し、先程の光景が夢だと漸く理解した。今では何を話したか覚えていないけれど、その時強く認識したのだ。

ああ、自分は星野源さんに会いたいのだと。

元々星野さんが作られる音楽や演技を追っていた。ギターやウクレレで星野さんの曲をカバーしたり、星野さん主演のドラマや映画を好んでみた。今では作家としての星野さんも追っている。星野さんの冠ラジオ、オールナイトニッポンも聞いている。すると、様々な人がゲストに呼ばれ、星野さんとトークをする回があることに気づいた。トークの内容はクスリと笑っちゃうような休憩時間の裏話であったり、本番で堪らず爆笑した、俳優さんの全力の演技だったり、好きなお味噌汁の具材だったり。その言葉のキャッチボール、時にはドッヂボールを楽しみにされている聴衆者も多いだろう。

ゲストの方々は星野さんの人脈を表すかのように、多種多様な方々が顔を出す。ドラマの監督さんだったり、音楽仲間だったり、お笑い芸人さんだったり。そこには年上も年下も性別も関係なく、楽しく星野さんとトークをされる。

勿論、共通点はある。星野さんと一緒に作品を作り上げたことがあったり、共演したことがあったり、星野さんのファンです!と自分を売り込んだり。宣伝のために足を運ぶ人もいる。けど、そこには広くも浅くも「仕事仲間」という、透明なタスキが見える。そのタスキをかけてる人達はみな、ミスコンの優勝者のように胸を張り真っ白な歯がちらりと見えるほど、笑顔が眩しい。

そんなラジオ番組を聞いて、もしかしたら自分はとち狂ったのかもしれない。自分も、星野さんと接点を持ちたくなったのだ。いや、ここで謙遜するのは良そう。接点だけで満足できる気がしない。お会いしたくなったのだ。お友達になってほしくなったのだ。話を聞いて、相槌を打って、打たれて、笑い合いたくなったのだ。とはいえ、いざ話してみたら、夢のように自分は焦ってばっかりかもしれない。それは、お会いしてみないとわからない。わからないことだらけだ。曲を聴いて、ドラマを見て、ラジオを聴いても、実際にお会いしても、1人の人間のことは分からないだろう。自分の家族でさえ分からないことの方が多いのだ。でも、だからこそ、お会いしたい。

自分がもし、一般人じゃなくなったら。「仕事仲間」となり、正々堂々とお仕事でお会いできるようになったら、お話できるだろうか。一般人じゃなくなれる方法を、星野さんと接点が持てる方法を色々探した。

だが、自分はずるかった。
自分は新卒で入った会社の社長が夜逃げしたことがある。夜逃げしたとわかった時、明日が怖かった。給料が振り込まれるのかわからない不安。次の仕事は見つかるのかという心配。自分が無能だから、こんな目に遭うのかとの自嘲。自分だけがなぜこんな不幸な目に遭うのかと理不尽な世の中への怒り。ネガティブな感情は全部爆発させた、情緒が安定しない、2ヶ月だった。このただ塞ぎ込んだ2ヶ月があるから、会社員という安定を保ったまま、星野さんと接点を持てる方法を死にものぐるいで探した。

その中の一つに、エッセイがあった。そんな、自分本位な理由がエッセイを書き始めたきっかけでもある。エッセイを選んだ理由は他にもあるが、それはまた別の機会にでも。

星野さんが作られた「Hello Song」という歌にこんな歌詞がある。

いつかあなたに いつかあなたに
出逢う未来 HelloHello
笑顔で会いましょう

いつか星野さんに会う日が来るまで、このエッセイは残しておくのだ。当たり前だが現時点で星野さんは自分のことを認知してないし、自分だけが好意を握りしめて、高嶺の星野さんに会おうと崖をよじ登っている。興味のない人からの好意は得体の知れないものだ。知っている。知っているけれども、オタク的気持ち悪さは話し方によっては笑い話になることも知っている。どうか笑い話になるようにお話するので、笑顔でお会い出来ると嬉しい。

この世に蔓延る不安を乗り越えて、笑顔で、会いましょう。

※タイトルは、星野源さんが作られた「夢の外へ」の歌詞からの引用です。

熱量高めのエッセイを続々更新予定です。お仕事の依頼はなんでも受けます。なんでも書きます。ただただ誠実に書く、それだけをモットーに筆を執ります。それはそれとしてパソコンが壊れかけなので新しいパソコンが欲しい。