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#01 ブートキャンプ

生存戦略ってなんなんだろうな?
生き残っていくために必要な事ってなんなんだろうな?

私は生き残りたくて、Xデザイン学校に入った。
それはデザイナーとしての生存戦略。
だけど本質は違うらしい。
生き残るってなんなんだ?ってなった第一回。

私の生存戦略遍歴。

デザイナーを目指してみようって思った2020年。

私はそうそうに挫折した。
デザイナー、難しい問題。

デザイナーってなんでも屋さんみたいな側面がある。
あるよね?
あるんだよ。

当時通っていたデザインスクールでは「デザインはセンスじゃない、理論だ」って謳っていた。だから私はそこのデザインスクールに通うことにした。
でも、やっぱセンスは出る。
いるんじゃなくて、出る。
これまでやっていた経験だったり、目に触れてきたものとか、如実に出る。

やっぱ理論もだけど「目」は良くしていく必要がある。

そして、だ。
デザイナーって求められること多くね?問題にぶち当たる。

なんでホームページデザインして、コーディングして、パンフレットも作って、ロゴも作れないといけない?
あと色彩とかもなんやかんや言われるやん??
ついでにパッケージもできたら尚良ってなにごと?????

なんで?

しかも全部ツールが違う。
ルールも違う。

そして思った。
私は10年選手に叶わない。
叶おうとも思わないし、思えない。

当時教えてくれていたデザイナーのメンターと同じところで戦える気がしなかった。

私はWEBデザイナーになるのを辞めた。

会社員になってみようと思い立った2021年。

未経験転職ながらUIデザイナーになれた。
今思うと本当に奇跡だと思っている。
今の会社には本当に感謝している。
5月末で会社を辞めるけれど、本当に感謝をしている。

私の転職軸は2つ。
Figmaを使っている会社。
アプリのデザインができる会社。

今でこそFigmaを使っている会社は多い。
だけど当時はクソ少なかった。

そして未経験なんて取ってくれる会社もなかった。
で、そこで仕事をする。

仕事をしていて思う。
私、デザイン作るよりも、その前段階すごい好きだな、と。
考える時間が凄く好き。
なんならUI作り込むより、企画を作り込みたい。

最高のUIを作るよりも、どうやったらコレが最高のものになるかを考えている時間の方が楽しい。

そして知った。
UI作ってるほうが楽しいデザイナーが多いんだということ。
じゃあ、逆に行けばいいんじゃないか?と思った。

その時に見つけてしまった。
「私はデザイナーを名乗っているが、デザインなできない」とかいているUXデザイナーがいること。
「実は色覚特性がある」でも自分はデザイナーをしているという人がいるという事。

デザインしないデザイナーになりたい。

恐れずにいうと、私が今目指しているデザイナーはこれ。
最終的にはここに行きたい。

Photoshopの技術とか、Figmaの力量で仕事を取れる人に私はなれないと思っている。
多分永久的に無理。

理由はいくつかある。
自分よりも優れているデザイン感覚のデザイナーはいっぱいいる。
そしてそこに勝てる要素が思い浮かばない。
そもそも「美しい」というものに対しての興味と探究心が薄い。

その興味を持てないものを伸ばすよりも、自分の興味関心のあるところを伸ばしたほうが良いと思っている。

それが私の生存戦略。

そんなこんなでUXを勉強しようと思ったのですよ

デザインしなくていいデザイナーになるために。
「Photoshopの使い方下手ですね」とか言われたくない。
「なんかアナタの作ったロゴって10年くらい前に流行ったニュアンスですよね」とか言われたくない。

そんなこんなでいきついたUX。
UXって手法はいくつも紹介されている。
だけど、UXの手法って現実的じゃない。

ペルソナの作り方は紹介されているけど、ペルソナの効果的な使い方は教えてくれない。
ユーザーシナリオとか、ジャーニーマップも同じく。

そして挙句の果てには「ユーザーの潜在意識の中に答えはない」って書いている本まであった。

でも我々はユーザーのためにデザインするんですよね?
ユーザー起点でサービスは作られるんですよね?

それを教えてくれる先輩はいなかった。

そしてどうも違うらしい。
いつまでも「ユーザーのために」って言っていると、本質的なことを見失うらしい。
そもそも「本質的なこと」を解決したいサービスなんかあるんだろうか。

Xデザイン学校に入ってからというもの、デザインなんてそんなにやってきてない若輩者にも関わらず、頭を殴られっぱなしだ。

話は逸れるが、私は疑問に思っていることがある。

なんでUXって、
UIって、
デザインするプロセスって、
日本独自のものってないんだろうね?

なんか、根本が海外から入ってきたものじゃない。
なんでそれがまるっと日本でもうまくいくと思っているんだろうね?

これ、私の疑問なのですよ。
ずーっと思っている。

日本でうまくいっているものって、そうじゃなくない?
海外から来ている→独自の解釈が入る→バズる
が多い気がするんですよ

なんでそもそもサービスを作り上げる時点の手法が、海外のものなんだろう…と。
それが最適なのかもしれないけど、最善ではないのではないかとか思っている。

こんな解釈があったけど、日本でこんな変革があって、逆輸入されたとかあったら逆に知りたい。
知らないだけかもしれない。

さて本題。
5年後、流行るサービスを考えるために、
5年前、2018年を振り返る。

2018年

chatGPTに聞いてみた。

ほうほう?
なんか浅くない?
浅さが増した

浅さしか感じなかったので、別の方向の質問を。

Uber Eats!
でも2018年だっけ??
2017年からなのか…。知らなかった…。

最後に

やっぱな、って思った。

私の2018年。

フリーター。
27歳。
そろそろ夢を追っていますと言うのが恥ずかしくなった27歳。
芝居をしている。
事務所に入っているだけの存在。

仕事がなかった。
いや、でも多分良かった年だ。
オーディションとかは結構行けていた気がする。
最終まで絡んでいたオーディションもあった。

でも、それだけだった。
箸にも棒にもかからない。
でも芝居は辞めたくない。

そんなお年頃。

「カメラを止めるな」はめちゃくちゃ衝撃だった。
だって展開が読めない。
なぜならみんな無名だから。

誰が話の軸を握っているのかわからない。
普通なら、キャストで話の展開が読めるのに。

あそこからいろんなワークショップ映画が作られて、世に出た。
でもあんな事にはなっていない。
どれも、だれも、なれなかった。

「隕石があたったくらいの確率」
「あんなのもう二度と出てこない」
そうは言っても、みんなどこかで自分の作品をああしたいと思った。

当てたい。
売れたい。

みんな、夢を見てしまった。
そんな、2018年。

話を戻そう。

2018年。
ちゃんとググったらDA PUMPのUSAとかが流行った年らしい。

確かにこの頃に、この年の終わりくらいに人に勧められてUber Eatsの配送員をやった気がする。
当時は時給1500円以上は余裕で稼げていた。
そしてなんでこんなに高い弁当を、みんなありがたがって食っているんだろうと思いながら配送していた。
2019年くらいから出前館もUber Eatsみたいな配送部隊ができた気がする。

たぶんこの頃からシェアリング自転車が増えた。(体感)
Uberの配達員が増える毎に、いろんなところに自転車のシェアサービスができた。
この頃から、自転車も「所有」から「シェア」でいいじゃんと思うようになった気がする。

あとPayPayが使える箇所が増えたもこの頃らしい。
そう言えばバイト先で「オフィスグリコもPayPay使えるのか」って思った気がする。
今はどこでもPayPayだもんなあ…。
消えたPayサービスもあったよなあ…。

そんなこんなで、5年後を見据えてみる

正直、無理。

前提条件として、コロナみたいなパンデミックがまた起きるかもしれない。
戦争がおきるかもしれない。

それくらいの地球規模での何かしらの「事件」が起きたら
そして、今の「前提」が覆ったとしたら
見据えられない、ですよ

でも、思うことはある。

明らかに「時代は変わった」のだ。
それをきちんと咀嚼しないといけない。

前提を整理したら、見えることはある。
勝ち残らないといけない。

そのために変えられるのは今しかない。
飛躍はない。

一歩ずつ、だ。
まずは前提条件を揃えられるだけのアンテナをはろう。

まずは自分の中で、前提条件を揃えよう。

次回までに

前提条件を揃えるためにやること

  • 最近気になっている事を調べてみる

    • アメリカの選挙、動向を見てみる

    • なんで日本は他の国の人にいろんな物(特に土地)を買われているのか調べてみる

      • 近隣だと、水源の西条という地域が外国籍の人に買われているらしい

  • 13歳からのアート思考を読み切る

  • 経営戦略見るだけノートを見てみる

願望。
6月に大阪に行く。
大阪中之島美術館の「デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン」めちゃくちゃ気になっている。
行きたい…。

今日は様子見感がすごかった。
脱、様子見。

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