自分に起こることは意味がある
髙田郁さんの『蓮花の契り―出世花』を読み終わりました。
(以下、ネタバレあり)
前の記事でも書いたのですが、本当にデトックス効果がある。特に毎回、心に響く言葉を与えてくださいます。
今回響いた言葉は、お縁が寺を離れて実の母・お香のいるところへ行く、という提案に動揺しているお縁に告げた寺男の市次の言葉。(『青葉風』より)
「俺はこの齢になって、我が身に起こることにはちゃんと意味があるなあ、と思うようになったのさ。たとえ望ましくない事態だったとしても、そこに身を置くことで、見えてくるものはきっとある。」
お縁自身にも、そして私自身も胸にすとん、と落ちた言葉。
このあとお縁は、一定期間寺を離れ、母親と過ごすことを試みることにしました。結果としてこの出来事は、「三昧聖」として、死者を弔うことを全うし続ける決断をしました。そして、自分を捨てたお香を、「母上」と呼ぶことができ、親子の関係を気づくことができました。
たしかに。私自身、良くも悪くも出来事がたくさんありましたが、何も無駄なことはなかった、と思っています。そして、これからも。
今は就活のことで頭がいっぱいです。答えが出ず、親や会社にただ「待ってください」というばかり。
この意味はきっと、心の奥で「本当にこの仕事がしたいのか?」と、疑問に思っている自分が少なからずいるから。
この意味の"答え"が出るまでは、決して急ぐことなく、確実に見つけていきます。そして、この答えが見つかったら、またこのnoteに書き記します。