アロマンティック・アセクシュアルの独り言〜潔癖症に恋は難しい〜

前回の話

人には4種類の性別があり、
 体の性
 心の性
 表現したい性
 好きになる相手の性

と呼ばれます。

アロマンティック・アセクシュアルは
 アロマンティック=他人に恋愛感情を抱かない人
 アセクシュアル=他人に性的欲求を抱かない人

私は、セクシュアルマイノリティに興味を持った大学生の時に、アロマンティック、アセクシュアルだと思いました。

忙しくて更新できない間に心ないコメントもつきましたが(笑)
この記事で少しだけ回収できるかもしれないので
今回は、私がこのようなセクシュアリティ(生物学的・社会的性のあり方)を持った理由を自分なりに書き出してみようと思います。



潔癖症に恋は難しい

私が他人に恋愛感情・性的欲求を抱けない理由は大きく2つあると思っています。

その1つ目は、潔癖症であること。


「潔癖症」というのは、「不潔恐怖症」なのだそうです。
「異常な綺麗好き」ではなく、「不潔が怖い」のです。

だから、例えば洗濯済みの衣服が山積みになっているのは全く気にならなくても、食べカスや使用済みのティッシュひとつ転がっているだけで不快に思います。

私にとって「不潔」は、汚れや目に見えない菌です。

皆さんが「地面に落ちたものが汚い」と思うように
他人の手が触れたもの全てが汚く感じます。

よく聞く話ですが、他人が握ったおにぎりは嫌ですし、
あまり人の手料理を食べたくないですが、
そんなこと言っていたら作る過程の見えないレストランも
陰で何をされているかわからなくて食べられません。

なので、生きていく中で、
慣れと諦めによって耐えられるようになったこともあります。

床やベンチに座ることとか、
口をつけた箸で大皿の料理をつつくこととか。

まあ時と場合によって色々とありますが、根底にあるものは同じです。


不潔(と感じる)なものに触れたくない。
触れたらそこを清潔にしたい。


私にとってその「不潔なもの」には、他人の体液も含まれます。

血液、唾液、鼻水、尿、涙、そして、汗、、、

人全体が「毒」のように見えるんです。


好きな芸能人と握手して「一生手洗えない!」って人いますよね。

私の場合は「早く手洗いたい!」と思います。
誰と握手したかわからない手、汚いと思いませんか?


芸能人に限らず、友人や身内に対しても同じです。

手を繋ぎたいと思わない、
口づけをしたいと思わない、
それ以上の関係なんて想像もしない、
という感じで、
身体的接触を想像させる恋愛に興味ないどころか
忌避感や嫌悪感を抱いてしまいます。


よく「ボディタッチ」もアピールのひとつと言いますよね。

特に女性の場合は、異性間より同性間の方が
気軽に触れ合うこともあると思うんですが、
ハグをされても引いてしまうし、
手を掴まれると「やめて汚い……」と思います。

「女性がキュンとする」シチュエーションでよく聞く
「頭ポンポン」なんて
「触れるな!!!!」としか思いません。


少女漫画や恋愛ドラマに憧れて「恋がしたい」と思っても
一般的な「恋人」関係に含まれるスキンシップが嫌なので
誰かとそういう関係になれない、と思います。

そもそも私には、
誰かと特別な関係になりたい、という恋愛感情がないので、
私から誰かを好きになること自体難しいです。

加えて、
誰かに触れられることが不快、と思うので
言い寄ってくる異性や距離感の近い同性に対して
苦手意識を抱いてしまいます。

自分発信で誰かを好きになることもできない、
誰かに好かれても物理的に近づくことを避けてしまう、
そういうわけで潔癖症に恋は難しいのです。


要するに

異常なまでに不潔を忌避してしまう潔癖症である
 ↓
他人や人の手の触れたものを汚いと思う
 ↓
誰にも触れたくないし、触れられたくない
 ↓
恋人関係に求められるスキンシップを取れない
 ↓
潔癖症に恋は難しい

という感じです。


スキンシップのない恋愛を理解してくれる人もいるかもしれませんし
現に潔癖症でも恋愛や結婚をしている人もいます。

先にも述べましたが、
慣れと諦めが肝心なので、(あくまで私の見解)
私にもいつか諦められる時や相手がきたら変わるかもしれません。



趣味が合わない人、好きになれる?

2つ目の理由は、自己肯定感の低さです。


よくあるのは「自分なんか」という自己否定だと思います。

「自分なんか」誰も好きになってくれない
誰かを好きになっても「自分なんか」じゃ釣り合わない
というものです。

私の場合は少しニュアンスが違っていて、
「自分なんか」を好きな人なんて信用できない、
「自分なんか」を見ないでほしい、
というものです。


例えば、共通の趣味があり、好きなものが同じ人とは
会話も弾むし、共感できるし、仲良くなれますよね。

一方で、自分の嫌い(苦手)なモノを「良い」という人は
意見が合わない、分かり合えないかも、と思いませんか。

人や場合によるとは思いますが、
意見が合わない人より
意見が合う人の方が一緒にいて居心地がいいですよね。


この意見の合う合わないの対象となる「モノ」が
「自分」であるという感じです。


「自己肯定感」って
よく聞くので当たり前のように使いますけど、
つまりは「自分をどれくらい好きか」です。

自己肯定感が高い人は、自分自身を愛することが得意だと思います。

自己肯定感が低い人は、自分のことが嫌いになりがちです。


自分の好きな人を褒めてくれる人には共感しますし
自分の嫌いな人を讃える人には苦手意識を持ちますよね。


私は私自身のことを好きになれないので、
そんな自分を「良い」「好きだ」と言ってもらっても
信用できないし「何故?」と思います。


これは少し関係ないかもしれませんが、
私は少し対人恐怖症の気があります。

人とおしゃべりしたり、一緒にいることは大丈夫でも
人の目を見て話すことがとても苦手で、
話すときは常にどこか空中を見てしまいます。

聞いた話によると、
目を見て話すのが苦手な人
相手の目を通してダメな自分が見えてしまうからだそうです。


自分のことを好意的に見てくれている誰かがいても、
相手の目に映る自分に不快感を抱いてしまう

そういった意味で
好きになれない自分を好いてくれる人を、好きになれないのです。


前の項で漫画やドラマに憧れると少し書きましたが、
二次元のキャラクターや画面の向こうの芸能人遠い存在で、
相手の目に自分が映ることはないので、
安心して好きになれるのかもしれない、と自分なりに分析しました。


自己肯定感の低さについては
自分のことが嫌い・苦手、という以外に説明が難しいので、
説得力のある文章になったか不安ですが、

私は自分自身を好きになれないので、
私のことを好きと言われても理解できない
見られていると思うだけで劣等感を感じる
というような感情です。



まとめ
「なんで今まで愛だの恋だのなかったの?」

1.潔癖症だから。
不潔だと感じるので誰にも触れたくないし触れられたくない。

2.自己肯定感が低いから。
嫌いな自分のことを見られると思うだけで劣等感を感じる。

どちらも心理的・物理的に距離が近づくことを不快に思って避けてきたことに繋がると思います。

他にも過去の経験とかトラウマとか
様々な要因が複雑に絡み合っているのかもしれませんし
性格上の問題とか生まれ持った何かかもしれません。


ただ一つだけ、わかってほしいのは
「恋愛・結婚できない人=見た目や性格、人間関係に難がある」
というのは間違いだということです。

レズビアン、ゲイ、バイ、トランスジェンダーが病気でないのと同じように
恋愛ができないのも異常なことではないのです。

中には、
性格に難があってトラブルを起こしている人もいるかもしれませんし、
私の潔癖症や自己肯定感の低さも性格上の欠点かもしれません。

しかし、それを
「おかしい」「問題がある」と決めつけることは間違いです。

自分には想像できない複雑な背景があるかもしれない、と
偏見を持たずに見てください。


そもそも「恋愛・結婚が当たり前」という常識を疑うべきかもしれません。

幸せの形って色々ありますよね、
愛とか、お金とか、地位とか、、、

もし次回があれば、そのようなことを私なりに書きたいと思います。


あくまで独り言なので自分の見解しか述べてませんが、
共感なり反論なり疑問なり意見があればご自由にコメントください。