1年に1度と、究極の「王道」と
むかしから、4年ごとにやってくるものに、心惹かれている。
オリンピック。
サッカーのワールドカップ。
番組でも何度もテーマにした。
4年というのは、19歳が23歳に、そして23歳が27歳に、
27歳が31歳になるもので、31歳が35歳になるもので、
その年齢による身体と精神の変化を、
4年に1度のピークに合わせないといけないことが
どれだけ難しいか。
かつて伊藤みどりさんにインタビューした時に仰っていたけれど、
「11時50分でもいけないし、12時10分でもいけない。
12時ちょうどに出来た人だけに勝利の女神は微笑む」
マラドーナは1986年にぴたりと合ったけれど、
あとは1度も合わなかった。最後は追放まで受けた。
メッシは何度出ても合わず、まさか2022年、カタールの地で合うとは
思わなかった。
超一流でも、針が滅多に合わない。そして思わぬところで合ったりする。
―――その時計の針のアヤがもたらす数々のドラマ。
(そしてそれを超える究極の時計を持つ人の物語・・・)
そんな「4年ごと」の魅力と似ていそうで、まったく違うものがある。
「1年ごと」にやってくるもの。
1年ごとにやってくるものは「おきまりの約束事」が多い。
そして僕は、どちらかといえば、
その「おきまりの約束事」がすこし苦手だ。
たとえば、誕生日。
僕の周りの人は、友達や同僚の誕生日をマメに登録していて祝う人が多い。
テレビの世界はそういうマメさが大事だ。
ちょっとしたギフトを送ったり、気の利いたメッセージをSNSで送ったり。実に軽妙。
で、僕はといえば、
休眠状態のfacebookで僕の誕生日を毎年祝ってくれていた人に
二年後に気づいたりして、どうやって感謝を述べたらいいか分からず放ってしまっている次第。
家族の誕生日も、共に暮らす妻や子の誕生日は祝うけれど、
母や父、祖父母の誕生日などはお祝いを忘れてしまって、
言われて初めて連絡したり、
日が変わる直前、23:54ぐらいにあ!と気づいて、
深夜になってしまったメッセージで何とか間に合わすことも多々だ。
―――1年に1度ずつしかないのだから、もっときちんとやればいいのに。
たとえば、忘年会。
飲むことは大好きで、気の合う仲間とはいつでも飲みたいけれど、
忘年会は大の苦手。
忘年会が生き甲斐みたいな方々もいるのは知っているし、
まして長きコロナ禍を明けようとしている今、
飲食店のみなさまには、半年後に来たる忘年会で大稼ぎしてほしい。
でも僕は忘年会は可能な限り、逃げ回っている。
どうしても出ざるを得ない時は、
普段仲間と飲む時とは真逆にずっと静かにするか、
酒を飲む日と決め込んでひたすら飲むことに集中している。
(どちらにせよ結果、酔う。)
せっかく呼んでもらったのだから、楽しめばいいのに。
何でおきまりの約束事が苦手か。
言い訳じみた物言いを許してもらえれば、
おきまりの約束事には、
「おきまり」の部分の意味が大きすぎると思ってしまうからだ。
誕生日だから、「というだけ」の理由で、メッセージを送る。
年末だから、「というだけ」の理由で、関係の濃さ薄さも関係なく人が集う。
もっと、「会いたい」とか「祝いたい」とか
そういうところを大事にしたい。
年に1度じゃなくてもいいじゃない。もっといつでもいいじゃない。
みんなで集まらなくてもいいじゃない。
ふしぎの国のアリスでいうところの、「A Very Merry Un-birthday」の精神。
こんなこと思ってしまうのは、まずイヤな奴だし、かつ変人だということは重々承知しているが、
子どもの頃からの性分でどうにもこれは変わらない。
―――だから滅多にないのである。
同じ場所に、1年後にもう1度行くとか、そういうことが。
なのに今日、僕は、1年前の5月と同じ場所にいた。
1年前。人生ではじめてのアイスショーを見た。
1年ぶりの幕張に着いた時、感じたのは2つの感情だった。
1つめは、面映さ。
このショウを観に来る数多のファンの方々と違い、
僕は今日でせいぜい1年目、なのに勝手知ったる顔で幕張を歩き、
チケットを準備している。「お、すっかり玄人ですな」と
自分で自分にツッコミを入れないと落ち着かないくらい、
「ルールはわかるが、まだ外から見ている」ような気分でいた。
2つめは、小さな不安。
僕が1年前、ここに見に来た時、今回お目当てとしておとずれた
「その人」は、まだ先行きを表明していなかった。
北京からわずか3ヶ月後。「どうするんだろう」と
「どんなものを見せてくれるんだろう」の思いが相まって、
はじめてのショウは最高にドキドキしながら見られた。
そして、道を定めた後、最初の「序章」となったショウも見た。
最強の戦士が最強の魔法使いへジョブチェンジする「羽化」のような瞬間を見届けた。
https://note.com/no_answer_butq/n/nbedbf420c687
その後見た、僕の人生でも最大級の衝撃となったショウについては、
脳内なのか心なのか、とにかくいつでも開く専用の引き出しに入って、
いくら書いても足りないくらいに書いた。
そうして1年経って巡り来た、原点のショウ。
巡り来て・・・は、いるが、1年前とは「その人」の状況があまりに違う。
そして、もしただ何も変わらず巡り来てくれたとしても、冒頭述べたように
僕は「おさだまり」の巡り来るものが苦手だ。
面映さと、小さな不安を抱えて、チケットを見せて入場した僕。
席について、驚いた。
近い。
かつてなく、近い。
○○○○○○○○○○○○○○○○
○
○ ☆
○
○○○○○○○○○○○○○○○○
○○○○○○○○○○○○○○○○
↑
心理的には、この位置。
僕はこの稼業の割に、目がいいのだけが自慢で、この位置なら、
ほぼカメラで撮るのと同じくらいの距離感で見える。
―――この席の僥倖に、ショウが始まってから僕は何度も感謝することとなる。
そしてこの席から見て、あらためて感動したのは、照明。
灯体の数はもちろん、その角度、種類。隙が一切無く、光によってもたらす奥行きが空間の広さ、リンクの深みを何倍、何十倍にもしている。
思えば僕が去年、はじめて見た時にプロとして心から感嘆したのもこの照明だった。ファンタジーオンアイスは、去年のショウですっかりとりことなってしまったガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シゼロン組を筆頭に、世界最高のスケーターたちが出場しているが、彼らが「出たい」と思う大きな理由の1つにこの照明があるのでは、と思うくらい、日本のショウで最高峰の照明が揃っている。
「やっぱり、すごいな」
・・・たとえ巡りくるものでも、「やっぱり」すごいものはすごい。
何度食べても美味しいご飯や、このシーンが大好きだから何度も見てしまう映画のように、巡り来ても「やっぱり」と言えるものは、いい。
うん、そうだ。そうやって、楽しもう。
―――と、何とも偉そうな納得をしていた自分。
このあと、「その人」の登場に、そして「その人」が見せた究極の表現に、
銀河の彼方へとぶっ飛ばされることとなる。
(この先は有料にすることをお許しください)
ここから先は
¥ 333
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?