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Today is a GIFT

突然だけれど、草むらの草を見つめたことはあるだろうか。あるとすればいつだろうか。
背が伸びると草はかき分けるものから踏むものとなり、やがて歳を取ると草むら自体に行かなくなる。そう、極めて幼い時期に限られるのだ。だが今日(このnoteは東京ドームで行われた「GIFT」を観終えた2023年2月26日に興奮のままに書きまくっている)、かの人はこんな声を伝えた。

草はずるい 勝手に育つなんて

(羽生結弦さん、2023/2/26「GIFT」)

これはどんな天才脚本家にも書けないセリフだ。
草を見て、「ずるい」と思う。努力を重ねても重ねてもなかなか成長出来ない自分と違って、草が育つことにずるさを感じるというのは、すでに途方もない感受性の賜物だが、同時に、草を見つめる幼な子だから抱く感情でもある。このモノローグを聞いて、僕はわかった。
このショウは、核となるところはどこまでも、羽生さんの「手作り」だと。
インタビューをした人はいるかもしれない。けれど、羽生さん本人から出て来た言葉だけで紡ぐと決めている。でなければ「草はずるい」は出てこない。これは、この GIFTというショウは、羽生さんそのものが「むき出し」となったショウだ。

と、書いた上で、まずはクールダウンのため、会場のある駅に到着した時のことから書く。

水道橋に着いた瞬間、空気が違うのに気づいた。

この町(水道橋はビルだらけなのに「街」というより「町」な気がする)はいつも、
東京ドームやその近くで何かある時は、その空気に染まる。
プロ野球、プロレス、アイドルのライブ、ロックやヒップホップのライブ、花や工芸品の品評会。
ばっちり染まって一目で分かる人もいれば、視線の熱はあれどひかえめに染まる人もいて、
でもみんなせっかくその場に行くのだから「染まりたい」というところは同じで、
そのグラデーションが面白い。エンターテインメントの聖地だ。

この日、水道橋の町は、かの人からの贈り物、「ギフト」を受け取りにいく人たちで染まっていた。
何年かぶりに再会したらしき人々。
取れてよかった、と言祝ぎあう人々。
●●さんは取れなくて残念だった、でも中継でしっかり見るからお土産買おう・・・と語る人々。
(職業柄、聴こうとしていなくても会話が聞こえてしまって申し訳ない)
ひとりで町を歩く僕も、チケットが取れなかった方々の分も全力で楽しまないと、という思いで
会場に向けて歩いていた。

ギフト、と聞くと思い出すのは、ある映画の、この素晴らしいセリフだ。

Yesterday is  history, tomorrow is a mystery, but today is a gift. That is why it’s called ”the present”. 
(昨日はヒストリー、明日はミステリー、今日はギフト。だから”プレゼント”って言うんだ)

「ヒストリー」=歴史と
「ミステリー」=未知のあいだに
「ギフト」はある。

「歴史」を振り返れば積み重ねてきたあまりに多くの実績、メダル、記憶。
その多さゆえに、この先どうなっていくのか(どうなる自由もご自身にある)「未知数」だらけの
”かの人”が、いま、「あなたへ、あなたの味方の贈り物」として贈るというギフト。(この言葉を、ふたたび肉声で聞かせるところから、ショウは始まった)

この呼びかけのことばについては、以前、僭越ながら読み解いてみた。

そこにも書いた。

「そこに幸せはありますか 誰かと繋がっていますか 心は壊れていませんか」この並列された3つの問いは、続く上での、道のりの上での、「安否確認」でもある。おそらくこの問いは、羽生さん自らが己に対して問い続けてきた問いではないだろうか。これに胸を張って答えられなければ、進むことはできない問いとして。(中略)救いの手のように見えて(そしてそれはもちろんそうなのだが)、「この3つの問いぐらいに真剣な気持ちで見てください」という訴えかけでもある問い。―――そして、羽生さんが問うのだから、包み隠さず答えたくなる問い。まず、この3つの問いから呼びかけられたからこそ、何もかも信じて、委ねる気持ちで、ぼくたちは臨める。

まさにtoday is a gift。
Giftのなかの空間に、早く染まりたい。そんな思いで、ぼくは水道橋を足速にすすんだ。

向かう道中、記憶は過去へ飛んでいた。東京ドーム。後楽園。
この水道橋の一帯に来る時は、いつも贈り物を受け取るような気分だった。


最初に来たのは後楽園ゆうえんち。ヒーローショーに母が連れて行ってくれた。
「ぼくと握手!」のあれだ。
握手をしたことは正直ほとんど覚えていないけれど、
イメージがあまりに鮮烈だったゆえに覚えているのは、
戦隊のレッド(たぶんサンバルカンかゴーグルファイブだと思う)が
ジェットコースターから飛び降りてステージに現れる離れ業。
ヒーローが颯爽と目の前に現れる衝撃に心震わせたのが、自分の最初の「感動」の記憶の1つだと思う。
よほど僕はあれが好きだったのだろう。いまだに母は「何遍連れて行ったか」と言ってくる。
同じこと何回言うんだよと返しつつ、何遍も連れて行ってくれたことに心から感謝している。
僕の家は千葉県の田舎にあったから、当時はすくなくとも3度は乗り換えないといけない。
連れていくだけでも大変なはずなのに、「そこでしか見られないから」と連れて行ってくれた。
世界中、同じもの、量産されているものが溢れている中で、
ここに来ないと体験できない「唯一無二」を体験する。それも1つの贈り物だ。

そのあとしばらくは、父親と来る場所だった。野球を見に。
うちの父は関西出身なのに、野球は巨人ファンだ。王・長嶋直撃世代ゆえ。
そして僕は阪神ファン。父と東京ドームを訪れた90年代のころは
92年の1年を除けば本当に阪神は弱く、弱く、弱く、弱かったのだが、
なぜか父と僕とで親子観戦すると、阪神が勝つ。(勝率はなんと10割)
1年に1度ぐらいのペースで新聞や何かの伝手でもらってくる巨人戦のチケットを必ず「阪神戦で!」と希望していた。父も息子と観戦する逆のジンクスを感じていただろうが、やさしくいつも連れて行ってくれていた。思えば父と二人で出かけたのは野球ぐらいしかない。
ぼくも正直、この野球観戦で一番楽しみだったのは、父との時間だった。
父が買ってくれる「チーズちくわ」などの珍味。そしてそれを齧りながら語る、野球談義。
父も、巨人ファンのくせに、息子と来る時には別に負けてもいいと思っていたと思う。
結果云々よりもこの父と共に過ごす時間が、そしてヒッティングマーチやヤジ、バットが当たる瞬間など
「音」を聞くのがすきだった。野球中継ではCMが入ってなかなか感じられないイニングの合間の「きょうはだめだな」「いやまだまだいける」などという隣席の話も。ひっくるめての観戦。
同じプロのエンターテインメントを、真剣に、でも楽しんで見ているからこそ過ごせる、「醸成された時間」。これも1つの贈り物だ。

そして忘れられないのは、大学生になった時。
僕は東京ドームで、ある洋楽スターのライブのチケットを取り、見た。
このバンドのライブだ。

高校生の時にヒットしていたこの曲。
ただ僕は高校生(男子校)のころからoasisが大好きで、リアムの追っかけと化していた。
ジャミロクワイは「いい曲もあるね」という感じだ。
だが、そんな音楽的嗜好とは別に、大学生(共学)になって芽生える思い。
「誰か女の子とライブに行きたい!」正確にいえば・・・気になる「あの子」と。
oasisだと野太い声でシンガロングしてしまって引かれてしまうだろうから、ダメだ。
ここはオシャレなジャミロクワイにしよう。実によこしまな理由でバイト代を握りしめ、チケットぴあに並び、チケットを2枚取った。
しかし。
結局、男子校6年間のトゥーシャイシャイボーイはライブ当日まで「あの子」を誘うことはできず。
一人で2枚握りしめて、東京ドームに行った。
(今回の即日ソールドアウトと違い、その日は当日券が出ていたり
まだ当時はいた”ダフ屋”が売っていた記憶があるから、どうか許していただきたいです)
カップルだらけの客、一人で何しているんだろう。
打ちひしがれていたけれど、ライブが始まると、変わった。
ジャミロクワイの音楽は圧倒的にダンサブルだ。踊らにゃ損損。
ファンクの生演奏はそれはそれは心地よい。ええい気にせずビートに乗ろう。
そう思って浸っていた中、ボーカルのJKがMCでこんなことを言った。
「みんな次の曲はローリングストーンズの曲だ。昔オープニングアクト(前座)をさせてもらったことが
あってね。有名な曲だから歌ってくれよ!お願いだよ!」
その言葉を聞いた時に気づいた。みんな踊ってはいるが、歌ってはいない。oasisのライブとは違う。
もしかして周りの客はみんな僕のようなよこしまな思いだけで来ていたのだろうか。
JKの魂のお願いに僕は応えるべく、たまたま知っていた曲(Miss Youだった)だったので
ナナナナナ、ミスユー、というあの独特のサビのところを大きな声で唱和した。そうしたら。
・・・ボーカルのJKが、こっちを見たのだ。そして、ウインクした!
それは僕だけに向けたウインクではないだろう。周りにも同じく歌っている人はいたから。
だけど、スターが「コール」して、それにオーディエンスが「レスポンス」する。
この東京ドームという日本で1、2を争う巨大な巨大な会場で。
1人で居心地悪く会場にいた僕は、その時とてつもなく解放された。
ライブって、すごい。同じ空間で、スターとつながることができる。この記憶は、かけがえのない贈り物となった。その後も、1人でいろんな来日ミュージシャンのライブに行った。
こよなく愛するoasisのライブでも、リアムやノエルにMCで呼びかけられたら応えた。
ライブの空間には、魔法があるのだ。

だから、男性スケーターのアイスショウに男性一人で行くのも、特に恥ずかしくもなんともない。
母と訪れたヒーローショーがそうであったように、まず、ここに来ないとできない「唯一無二の体験」であること。
そして、父と訪れた野球の試合がそうであったように、たくさんのファンの皆さん(ここを読んでくれている多くの方もそうだろう)と同じエンターテインメントを見ながら過ごす「醸成された時間」があること。
そして、ジャミロクワイのライブで感じたように、スター中のスターと同じ空間で「つながる」魔法が味わえること。
これまでの人生で堪能してきたいくつもの贈り物を合わせてさらにあまりある大きな贈り物が、そこにあるから。水道橋の町を歩く足取りは軽くなった。擬音でいえば「ルンルン」。

―――と、そんな、どこか甘い思い出と今をつなげて「ルンルン」に浸っていたその時に、最悪の、最悪のことが起きた。
横断歩道をあと1つ渡ればという時に、待っていた時間に、ふたりの男がこう呟くのを聞いてしまった。

「ニマンダッテサ。インタイシタノニ、タッカイカネダサセテ、ヒデエナ」
「ヒマデヒマデ、カネニコマッテルンジャネエカ」

おい。

こう言う時が職業病を呪う瞬間だ。見えてしまう。聞こえてしまう。
「引退ではない」とご本人が言っていたことや、
ディックバトンさんが「一人でチームの稼ぎも全て賄えるただ一人のスケーターだ」と述べていたことなどをまくしててて反論してやろうかと思ったが、そんなことをしているとショウに遅刻する。
不織布マスクのなかの口で「ふざけんな」と声にならぬ声をぶつけながら、思い起こした。
かの人は、アマチュア選手として現役のころ、この手の声に常に晒されて来たことを。

ひとつの番組を作るとき、僕は取材対象のことをとことん調べる。
調べても調べても分からないこと、まだ解き明かされていないこと、答えの見えないことを考え、伝えることが取材者のやり甲斐であり、使命でもあると思っているから。
「アナザーストーリーズ」のようなある特定のエポック(画期)を取り上げるときは、その当時のありとあらゆる映像、雑誌記事、インターネットがあった時代ならネットの書き込みも調べられるだけ調べる。
2018年(放送は2019年1月)、「羽生結弦オリンピック連覇 ~メダリストたちが語る最強伝説」を作っている時に同じく調べ、集めていた時に驚いたのは、称賛と期待の声だけでなく、やっかみや怨嗟の声がたくさん渦巻いていたことだった。特に、無記名の記事や、ネット空間の名無しの書き込みに。そんなことは番組の放送時の告知にも書いた。

勝敗がはっきりつくスポーツの場においては、
それこそ阪神と巨人のように、あるいはバルセロナとレアルマドリーのように、ファンが、敵側へ恨みの声や、ブーイングをすることはよくある。
”チャンスを逃して残念でしたね~”と相手を挑発するマーチを僕も東京ドームや甲子園でよく聞いて来た。
カンプノウでバルサを退団しマドリーに移籍したフィーゴを見た時は、
耳が痛くなるぐらいのブーイングを聞いた。
ただそれはずっと、顔を出し、スタジアムという公の場でなされてきた。

スケートの試合はそうではない。
あの匿名で書き込むような連中は、誰も試合の場では何もしない。
何がしか試合の内容に勝手な憤りがあろうと、特に羽生さんはひたすら正しいスケーティングで滑り、ひたすら正しい方法でジャンプをするから、そこでブーイングなどできない。
結果、試合会場やテレビの中継を見て「溜めた」不満を、匿名でどこかに書き連ねることになる。
そして、自分でネタを取材できずネットの書き込みに勢いを借りることしかできない馬鹿な記者が、匿名の書き込みに間違った背を押されて阿呆な記事を書く。
「ネットにはこんな声がある・・・」みたいな、エ?それを証拠として書くんですかあなたは?という、
本当に阿呆な記事だ。( ちなみに「TV関係者」とかも同様)
あまつさえ、試合を見もせずに、なんとなくの印象で書く輩まで現れる。
人は、人が人をすきという情報よりも、人が人をきらいだという情報のほうに飛び付いてしまう悲しい性があるから、匿名の書き込みは匿名の書き込みを生み、阿呆な記事は阿呆な記事を生む。
それを「有名税」などと割り切ることは決して出来ないくらい大量の怨嗟。

横断歩道で出くわした2人の男の対話も、その延長にある。
本人を前にしたら何も言えないくせに、自分の無名性に依拠して言いたい放題をする。
その言葉を、本人や、周りの人が見ることなど考えずに。
だから僕は男たちの言葉を聞いた時、「ふざけんな」と空声を吐きつつも、思った。
―――「タッカイ」か「ヒデエ」か「ヒマ」な人間ができるショウか、
お前さんたちの代わりにひとつ、見て来てやろうじゃないか、と。

ただ「ルンルン」と楽しむだけではない、喧嘩を「買う」ような姿勢。
「ルンルン」と楽しませてくれよと悪態はつきつつ、
だからこそフルで楽しんでやる、という気概で、僕は東京ドームに乗り込んだ。

(この先はまた有料にすることを許して欲しい)

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