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ユングを詠む_(024)『ゼーレ・こころ』-『タイプ論』

『タイプ論』から『ゼーレ・こころ』とは。

1.     イントロ

 ゼーレという概念は馴染みのないものでしょう。ペルソナというと少しはご存じの人もいるでしょうから、ペルソナのわかる人には容易に理解できるだろう。

 前に、内向と外向について何度か説明してきたが、要するにペルソナは外向、ゼーレは内向とリビドーの”指向”先が違うだけの話だったようだ。(『タイプ論』が書かれた時点では。)
 
 では、復習も兼ねて説明に行こう。

2. 外向と内向そして、ペルソナとは(ご存じの方は読み飛ばしOK)

2.1一般的態度;「外向(E; Extraversion)」

「リビドーが外へ向かうことを意味する。
主体が公然と客体に関係していること、すなわち主体の関心が積極的に客体に向けられていることを表す。(中略)したがって外向とはいわば関心が主体から客体に移ることである」[3]p461

2.2一般的態度;「内向(I; Introversion)」

 「リビドーが内に向かうことである。
これは主体が客体に対して消極的ない関係を持っていることを表している。関心が客体に向かわずに、客体から主体へ引き戻されるのである」[3]p475

くどいようだが、リビドーとはこうであった。
 
リピドー(Libido); 私(ユング)はリピドーを心的エネルギーと理解する.

心的エネルギーとは心的な出来事の強さであり、その心理的価値である。心理的価値は、道徳的・審美的・知的な価値のように他から与えられる価値と理解されるべきではなく、むしろその価値は自らの決定力によってのみ定まってくるものであり、この決定力は特定の心的作用(「仕事」)として表現される、批評家はしばしばリビドーを心的な力と誤解したが、私はそのように理解していない。私はエネルギー概念を実体化しておらず、それを強さないし価を表す概念として用いる。特殊な心的能力というものが存在するか否かという問題はリビドーの概念とは何の関係もない。私はリビドーという表現の代わりにしばしば「エネルギー」という言葉を使う。(以下略)
[3]

2.3 ペルソナとは

 自分の本来の性格や役割ではなく、家族、会社、地域、社会から必要に迫られたり要求されたりして演じるような性格や役割のこと。
例えば、家庭での優しい親と同じように会社でも振る舞いたいが、社員に親しく接するのはご法度でノミニケーションも禁止され絶対君主のように振る舞うことを求められるケースが代表的だ。
本当の表情を隠すために仮面を被ったかのように振る舞うから古代の俳優が被った仮面の名称ペルソナを冠しているわけだ。日本人には能面と言ったほうがいいだろう。
 
一応、『タイプ論』の定義を載せておくが、にわかにはわからないのでこの段落は読み飛ばしてもらっても良い。

 人格分裂の可能性は正常の範囲に入る人々においても少なくとも前兆としては存在しているようである。事実少し注意深く人間心理を観察してみれば、それほど苦労しなくても、正常人においても性格分裂を少なくとも暗示するような徴候が存在することを確認できる。
 (中略)
 一定の環境は一定の構えを要求するのである。構えは一定の環境に適合するように長い間要求されたり繰り返し要求されたりしていると、しだいに習慣化する。
 インテリ階級出身の人間の非常に多くはたいていの場合、家庭生活と職業生活という二つの全く異なった環境の中で行動しなければならない。この二つの全く異なった環境は二つの全く異なった構えを要求するが、これらの構えは自我がそれぞれの構えと同一化する度合いに応じて二重性格となる。
 社会的性格の方が社会的条件や要請にそって自らを方向づける、すなわち一方では職業的環境から期待や要求に従い、他方では主体の社会的意図や野心に従うのである。
 家庭的性格の方は一般にのんびりとくつろぎたいという主体の要求にそって形成されることが多く、そのため公的生活においてきわめて精力的で大胆で頑固で強情で容赦のない人々が家に戻って家族の中に入ると、善良で優しくて寛大で気弱に見えるものである。
 さてそれではこのどちらが本当の性格であり、真の人格なのであろうか。この問いにはなかなか答えられないのである。
[3] 『タイプ論』 p497-p498

(以上のような簡単な考察ではあったが、これによって)正常人においても性格分裂が全くあり得ないわけであることが示された。したがって人格分裂の問題を正常心理学の問題として扱うことは、十分に正当なことである。
 私(ユング)の考えでは ------右の議論(どちらが本当の性格であり、真の人格なのであろうか)を続けるのなら-------こう答えることができよう。すなわちこうした人間は真の性格を少しも持っていない、すなわち決して個性的[誰とも違うという意味]でなく、集合的[他人や者属するグループと同じようなという意味]である、つまり一般的な状況や一般的な期待に沿っているのである。
もし彼が個性的であれば、構えがいかに変化しようとも同一の性格を持ち続けるはずである。彼は、その時々の構えと同一化したりせず、いかなる状況にお相手も自らの個性が何らかの形で表現されることを阻むことはできないし、また阻もうとはしないであろう。
 実際には彼は、どんな生物でもそうだが、個性的であるけれどもそのことを意識していないのである。[3] 『タイプ論』 p498

[3]

要するにペルソナとはこうなる。

 彼はその時々の構えと多少なりとも完全に同一化してしまい、このため自らの真の性格について少なくとも他人を・しばしば自分自身さえも・欺いてしまうのである。

 つまり彼は仮面を被るのであるが、彼はその仮面が一方ではいうからの意図に添い、他方では環境の要求や意図に沿うものであり、しかも時に応じてこのどちらかの要素が優位に立つことを承知している。

 この仮面。すなわち《この目的で》前面に出される構え・を私はペルソナと名づける。この語は古代の俳優の仮面を指すものであった。[3] p498

[3]

3. ゼーレ(Seele)・こころとは。

 ようやく今回の本題のゼーレの話に入る。
 
 2.3項でペルソナについて紹介したが、これの“指向”は2.1項で説明した「外向」が対象になる。では2.2項で紹介した「内向」にはペルソナはないのかというと「ゼーレ」という概念になる。
 
自分らしくない非個性的な性格、態度、人格の仮面が内面にリビドー・心的エネルギーを向かわせるならその仮面はペルソナと言わずゼーレと呼ぶ。
 
ユングはこんなふうにも説明している。

 日常的な経験から照らしてみれば、外的人格という言い方ができるのとちょうど同じように、内的人格の存在も仮定することができる。

 内的人格とは、ある人が内的な心的過程に対して取る様式や方法であり、内的な構え、つまり彼が無意識に対して向けている性格である。

 私は外的な構えすなわち外的性格をペルソナと名づけ、内的な構えをゼーレ(こころ)と名づける。

[3]p500

 『タイプ論』以降にまとめられた『元型論』で用語としての“ゼーレ”の使い方を読むと更に広い意味を持たせているように見受けられる。残念ながらユング自身で定義のやり直しをどこかでしてくれていればいいのだが今のところ発見できていない。
 
 ペルソナの内向版的な概念ではじまったゼーレであるが、もっと広い意味に拡大しているようだ。
 
ChatGPT4も引用元が不明であり、この分野ではあまりあてにならないが、一応参考までにこんな説明をしてきたので掲載しておく。(2024.5.8時点)

 C.G. ユングによる「ゼーレ」(Seele)は、通常「魂」と訳されるドイツ語の用語です。ユングの心理学では、ゼーレは人間の内面的な精神性や深層心理を表しています。彼の理論では、個々人の心理は意識と無意識の部分から成り立っており、ゼーレはこの二つの架け橋として機能します。

 ユングにとってのゼーレは、個人的無意識だけでなく、集合的無意識とも深く関連している概念です。集合的無意識は、人類共通の経験や象徴、アーキタイプを含む層で、これらは個人の意識を超えた、普遍的な心の構造を形成しています。

 また、ユングはゼーレが人間の心理的な成長や発達、自己実現(個性化とも言われる)において中心的な役割を果たすと考えていました。ゼーレの探求は自己理解を深める過程であり、しばしば夢分析や象徴の解釈を通じて行われます。

 ユングのゼーレの概念は、彼の心理学全体において重要な位置を占めており、彼の理論や治療法の基盤となっています。

"ユングのゼーレについて説明して”への回答byChatGPT4


4.漫画で見るゼーレ

 わかりやすく難しい概念を説明するのに漫画は有効だと思う。
 
と言うわけでゼーレを解説する事例として取ってきたのが、赤坂アカ氏の『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜14』。

 
はっきりとユングを参照して登場人物の心理と性格の説明をしている。何度かそんな場面があるが手元にある第14巻を元に紹介したい。
 
 ストーリーはAmazonの紹介文から

「恋愛は告白した方が負けなのである!」 エリートの集う秀知院学園生徒会で出会った会長・白銀御行と副会長・四宮かぐや…。この両想いであるはずの天才2人が、互いに相手に惚れさせ、相手から告白させようと日常の全てで権謀術数の限りを尽くす、新感覚のラブコメ!! 第14巻では、長きに亘る『文化祭と二つの告白』編がいよいよクライマックス!! 「四宮から告られなかったら、俺から告る」と決意した白銀。そして「私は白銀御行が好き」と認めたかぐや様。2人のロマンティックの行方は果たして!?

https://amzn.asia/d/ckxX4NM

 主人公、四宮かぐやは、文化祭の最終日に白銀御行に自分からキスをしてしまう。この行為を彼女の中の別人格が罪として追求をする。
 翌日の昼寝の夢の中で四人の彼女の人格間で裁判沙汰となる。この一人一人の人格はこれまでペルソナと解釈していたが、『タイプ論』を学ぶ中、内向的なリビドーの移動であることから彼女らはゼーレと気がついた次第。

4人の内訳。
 
 1.キスしてしまった、被告人かぐや。
 2.相手に告らせなかった上キスをしてしまった罪を問う、検察官かぐや。
 3.被告人かぐやをかばうべき、弁護人かぐや。
 4.裁判長かぐや。
 
 四人が脳内(心の中)で裁判を開廷する。

 その判決は、コミックをご覧あれ。

出典:かぐや様は告らせたい~天才たちの恋愛頭脳戦~14巻;赤坂アカ作;集英社刊

 この作品は各登場人物のキャラクター設定の説明がペルソナ・ゼーレ的に1ページづつ裂かれているなどユニークなコミックとなっている。第15巻の別なエピソードでは、やりたくてやってないって言い訳に、ユングのペルソナを使って四宮かぐやの冷たい人格の説明もある。

 
 『タイプ論』を知ると漫画を始め、映画、ドラマ、小説のあちこちにユング心理学をベースに登場人物の性格を設定していることが見えてくる。他にもいくつかの作品に事例が見られるので機会をみて紹介したい。

 お堅いビジネス界ではユング心理学は敬遠される傾向にあるが、漫画・アニメ、文学、映画界では当然のように普及し始めている。ユングの晩年の研究にも目を通し始めたがイノベーションのシードをどう発掘するかのヒントも見受けられる。

人生終盤の幸福論に繋がるヒントもある。

活用は、早い者勝ちだと思う。
 
今回はここまで。

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参考文献[1] MBTIタイプ入門(第6版)https://amzn.asia/d/gYIF9uL

参考文献[2] MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編https://amzn.asia/d/70n8tG2

参考文献[3] 『タイプ論』https://amzn.asia/d/2t5symt
・補論3: スイス精神医師会、チューリッヒ、1928年において行われた講演。『現代における心の問題』p101
・補論4: 『南ドイツ月報』1936年2月号に初出。

参考文献[4] ユングのタイプ論に関する研究: 「こころの羅針盤」としての現代的意義 (箱庭療法学モノグラフ第21巻) https://amzn.asia/d/7aCkmyB
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こころざし創研 代表
ティール・コーチ 小河節生
E-mail: info@teal-coach.com
URL: 工事中
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