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絵本で学んだ「自分らしさ」

先日、本棚の前に本を積みすぎて棚になっていたのでカミさんのお叱りを受ける前に整理しながら戻していた。
書店で働いていたことがあるので
北方謙三さんの三国志とあしたのジョーは手前に…とか仲間と書いた本はフェイスで…とかやっていたら見事に収まりきらず片付いたようで片付いておらず
結局、カミさんのお叱りを受けてしまった。
そんな本棚だけれど1か所だけ整理されているのが絵本コーナー。
僕が幼い頃に買ってもらった絵本なのでそれなりに傷んでいることもあって丁寧に扱わないと危ういのもあるし思い入れも相まってきちっとしている。

そんな中でも特に傷んでいる1冊がある。
「はなのすきなうし」という作品だ。

小学生のころ、僕の小学校では年に一度だけ学級文庫から損傷が激しいものを中心に1人1冊だけ譲り受けることができた。
クラスメイトは「かいけつゾロリ」なんかを競い合って…というより奪い合っていたのに対して
ひとりっ子でのんびりしていた僕は他の本を見繕っていた。
その時に見つけたのがこの作品だった。

この時点で表紙は破れまくっていてセロハンテープで修繕されているくらいボロボロだったので誰の目にも止まらず僕が持って帰らなかったらゴミになっていたと思う。
それが僕には何だかかわいそうに見えたので手にとって読まずにランドセルへ入れた。
読まなかった理由は誰かに取られたくなかったから。
もし教室で読んでいてクラスメイトが欲しがったら渡してしまうような性格だったし
ボロボロなので放り投げでもされたら本当にゴミになってしまうような気がしたからだ。

帰宅してからそーっと取り出して読み始める。

舞台はスペイン。
とある農場にフェルジナンドという牡牛がいた。
他の牡牛は闘牛に憧れて真似事をしているのに対してフェルジナンドはいつもお気に入りのコルクの木の下で花の香りを楽しむ日々を送っている。
周りから茶化されてもお構いなし。
そんな穏やかな日々を送っていたフェルジナンドは牡牛から立派な雄牛になる。
どっからどう見ても闘牛にはもってこいの立派な体躯になったけれどいつも通り花の香りを楽しんでいた…
が、この日はハチに気づかず座り込んでしまい刺されてしまう。
さすがのフェルジナンドも痛さのあまり大騒ぎしていたところをたまたま農場を訪れていたスカウトマンたちの目に止まり闘牛としてマドリードに連れて行かれてしまう。
こうしてフェルジナンドは闘牛デビューするのだけれど好きなものはあくまで花なので…

という感じの物語だ。
一応、経緯を伏せてざっくり結末を言うとフェルジナンドは農場に出戻ってくる。
僕はまず男の子なのに花が好きという設定に衝撃を受けた。
男の子の夢はスポーツ選手、女の子はお花屋さんという時代だったので花=女の子という刷り込みがされていて理解が追いつかない。
しかもフェルジナンドは闘牛にはもってこいの立派な身体となっても花にしか興味がない。
さらに出戻ってきても落ち込むどころかまたお気に入りのコルクの木の下で花の香りを楽しんでいる。
実に自由なのだ。

例えば僕が野球場の景色が好きでいつも眺めていた時にボールが飛んできて投げ返した球が豪速球だったので強豪チームに誘われたら迷わず野球を始めていたと思う。
むしろそれは理想的ですらある。
そこで「いえ、僕が好きなのは野球場の景色なのでプレーはしません」なんて言うことは無い。
フェルジナンドはこれを頑なに拒否する、というより無視している。
そして周りに何を言われようが呆れられようが何一つ気にせず花の香りを楽しむ日々を選ぶ。
この周りにとっては当たり前ということをやらないというフェルジナンドの気ままさが僕はすごく羨ましかった。
真似をしたいと思ったけれど協調性を重んじる学校でこんなことしたら先生からも親からも叱られて終わり。
たちまち僕はフェルジナンドがすごい人(牛ですが)だと思って衝撃を受けたというわけだ。
学校は好きだけど勉強は嫌いなんて言おうものなら教科書で頭を叩かれるような時代なのでとても言えないけれど、

そんな人がいても良いのかもしれないと思った。

同時に自分が本当に好きなことなら周りに流されず貫き通す強さみたいなものもフェルジナンドに教えてもらった。

僕もどこかフェルジナンドに似てマイペースだし争いごとも嫌いだったから余計にそう思ったんだと思う。

僕はこの絵本から「みんなと同じじゃなくてもいい」ということを学んだ。

男はカッコいいもの、女の子はかわいいものというような決めつけに苦しむ人は少なくないと思う。

僕自身、カッコいいものも好きだけどモンチッチなどかわいいぬいぐるみや人形も好きなのでこの決めつけでどこか抑圧されていたような気がするし僕だけに限った話ではないと思う。

「はなのすきなうし」は固定観念に囚われなくていいんだよと伝えているように思う。

つまり多様性と自分らしさを肯定して応援している作品だと思っている。

子どもの頃からこうした作品に触れることはとても大切だと思う。

少なくともイマイチ分かっていない大人が多様性を説くよりも理解しやすい。

改めて読み返したときに作者であるマンロー・リーフとロバート・ローソンがこの作品に込めた想いに僕は深い愛を感じた。

周りと違うから排除するのではなくて、それぞれを認め合うことができたら世界はもっと良い方向に向かう。

そして現在進行系でこうした周りとの違いに困っている子どもたちに優しく手を差し伸べている。

あなたはあなたのままでいいんだよと。


周りと違っても相手を否定しないことで

お互いに自分らしさを見つけていくことができるんじゃないかなと僕は思う。

だからできるだけ多くの人にこの作品を読んでもらいたいなと思う。

きっとほっこりしながら穏やかな気持ちで学ぶことができると思います。


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