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ロザンの楽屋を覗いてます

私はよく、芸人ロザンのお二人のYoutubeチャンネル「ロザンの楽屋」を見ています。

毎回テーマごとにお二人が、楽屋でトークをしてくださるのですが、今回は「自粛」について!

ロザンのお二人の「自粛」への見解

下記は、私なりのメモです。
・宇治原さん
自粛とは何か?
芸能人が テレビに出ている、舞台に出ている場合、番組や劇場と契約している。そのとき、番組側、劇場側が降板させるべきでは?自分から降板する=自らの罰を自らで決めるのはどうなのか?

例えば…国会議員が不正行為する→離党届提出→受け付けられない=政党が除名処分とする(◎除名処分…復党は難しい)

それならば、不祥事を起こした芸能人は事務所が謹慎処分とするべきでは?芸能人側が、自粛します!宣言は違和感

・菅さん
「自粛」=「自首」
「降板」=「逮捕」

→逮捕される前に自首するイメージ=罪が軽くなると思っている
その刑期を自分で決めるべきではない。

・宇治原さん
世間に知れ渡ってない段階での「自粛します!」は自首。しかし、世間に知られた段階での「自粛します!」は自首ではない。(世間に知られたときは既に「指名手配」状態)
「自粛」は、番組側、劇場側にとって助かることなのか?迷惑なのか?復帰する場合の対処は?
処分は周りが決めることで、不祥事で活動「自粛」は謎

「ロザンの楽屋」は面白い!

ロザンのお二人は、毎回、「あ!私が感じてた違和感コレ〜!」ってことをテーマにして紐解いてくれる。しかもいきなり、核心をついてくるんじゃなくて、外枠からジワジワと本質を突いていく。
特に菅さんは、「そもそも論」を大切にしてらっしゃって、例えば、この9月入学についての議論も、お二人独自の見解以前に、「なぜ、日本は4月入学制なのか」というところから話が始まる。
その前提の話が理解できると、一旦、中立な立場でそのテーマについて考えることができる。それに気づけたのも、ロザンの楽屋のおかげ。

話は戻って、今回の自粛の件についても、当たり前にされる「不祥事→自粛」を正とせず、「自粛」という行為自体に疑問を持っている。「自分が起こした不祥事にどう向き合って、罰をどう受けるべきなのか」という、芸能人の不祥事に限らず、私達にも普遍的に関わる問題としてくれている。だから、このチャンネルを見るといつも、自分独自の答えと考えを持たざるを得なくなる。テレビでコメンテーターが議論してるのを見てても、あまりそんな感情は起こらないのに…ありがたい限り…!

私の「自粛」への見解

で、今回の私の意見としては、「自粛」=「反省を表す態度」にいつの間にかなっているのではないかと思う。

自粛とは、自分から進んで自分の言動を慎むこと

なのに、意味が歪曲されている。

この勝手な「自粛=反省」のイメージによって、コロナでの「自粛警察」も、いつの間にか、「このコロナで大変なときに、外出てるヤツ!自粛しろ」=「反省しろ!」になっている気がする。

コロナ下での「活動自粛」は、その本来の意味を為しているけれど、芸能人の「活動自粛」と「自粛警察」は飛躍して、反省を促す行為になってしまうのは、悪いことをしたあとの行為になっているからなのだろうか…
それならば、違う言動で対処すべきことではないだろうか。ロザンさんの言うとおり、罪に対する罰は周りが決めることであるし、反省の態度も周りが感じ取るものだと思う。

改めて…

ロザンさんのYoutubeチャンネルは、今回みたいなタイムリーなテーマもあるし、お二人の生活の中での違和感がねたになっているのもあります!そのどれもが、(なぜか)めっちゃめちゃ分かる〜!!となるものばかりで、毎回グッドボタンを押す手が止まりません!

菅さんのブログも、菅さんのひとり語りが文章化されているようで、
読んでいると菅さんの声で再生されます!(笑)本当に面白い。

長くなりましたが、私の一日の中の楽しみであるロザンの楽屋への思いでした〜!!



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