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『物語では非暴力の世界を作れない?』【映画『君たちはどう生きるか』の感想として】


陰鬱になってしまうニュースや言葉たちが飛び交う中、希望が持てる知らせも飛んできました。

宮崎駿監督のアニメ映画『君たちはどう生きるか』がゴールデン・グローブ賞を獲得しました。

感想を少し書きたいと思います。
一言で言い表すと、全体的に安心して見られる奇麗な詩のようだと感じました。

起承転結のあって、盛り上がるような展開は極力避けた作品とも感じました。
戦争の時代を絵描きつつ、戦闘の場面はほとんど描かない特徴がありました。

学友とのケンカや、アオサギや鳥たちとの決闘も、軽くさらりと描いていました。

近年の宮崎駿監督の哲学を感じさせました。

本来、物語の類は、争いや暴力を描くことが多く、それが盛り上がる要素となります。源氏物語も然りでしょうか。

『天空の城ラピュタ』の頃までの宮崎監督の作品は、それらを普通に描いていた印象ですが、徐々に描かなくなっていきました。特に21世紀に入ってからは。

それは、物語や文学の小説の類では、暴力や戦争の描写により、それらを誘発してしまうことが多いという事実があるからでしょうか。

本来、文学とは、文章によって人を幸せにするもだから、それなら、小説よりも、詩歌や評論や随筆という類のほうが、直接人の心に訴えかける意見となり、人を幸せに導くことができやすい、という考え方があります。

ですから、文学における最高の表現は、小説や物語ではないかもしれないと、二十年ほど前に受けた文学の授業で教わった記憶があります。

よくよく考えてみれば、それは当然な意見だと思います。
ノーベル文学賞でも、タゴールやボブ・ディランが素敵な詩によって、受賞されてきた訳です。

小説や物語の中は、暴力や差別を生み出す危険性で満ちている、ということを常に頭に入れておくべきと、教わった記憶もあります。

ただ、小説に高い存在価値を見出すなら、読み手よりも、むしろ作者自身の心の救済のために書かれたものである、という考え方も知りました。

夏目漱石や大江健三郎、ドストエフスキーなどの作品をいくつか読んでみると、それを強く感じるものです。

しかし、小説や物語は、読み手にとっては毒になりやすいということであり、パンドラの箱のように扱うべきのような気がしています。

もちろん、詩も種類によっては、読み手にとっては毒になり得ると思います。

毒にはならず、確実に薬にしかならないと言えるのは、森羅万象の圧倒的な存在感を魅せつけるモノでしょうか。
それこそが、多くの人々の心を平和にし、争いのない世界を目指す切っ掛けになるのだと思います。

今後も、人を幸せにする素敵な詩が多く生まれてほしいです。

【了】

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