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看護婦うるせー

入院病棟のガラス扉を出て
1週間ぶりに家族と顔を合わして
母と私に向かって言った一言目は
看護婦うるせー。
とても嫌そうな顔をしていた。

何がそんなに嫌だったの?と聞くと
自由がない。決まりばっかりだ。
おしっこするのもボタンを押さなきゃいけないし
食い物も食わせてくれない。

とご立腹だった。
自由人典型的B型の父らしい言葉だ。
少し安心した。父らしい。

1週間も入院したのだ。体力もなければ、ふらふらであろう。
手術もしたし、誰にも会うことができない。(お見舞いが禁止)
足元がふらつき、遠い目をしていた。
文句を言う力はあるからまあまあか。

ゆっくりした父の足取りに合わせて、病院を後にした。
そのまま会社に行きたいというので
母を家で落とし、私は父と二人で会社に行った。

父は祖父から続く風は吹けば倒れそうなのになかなか倒れない
かろうじてどうにかなっている会社の社長で
入院する前は4時に目が覚め
6時には家を出て、電車に乗り会社のひとつ前の駅で降りて歩いて行っていた。
79歳になっても会社に行くのが息抜きなのだろう。
退院してすぐ行きたいところは会社だと。
とても良いことだ。

私は会社の業務を終えるまで下で待っていた。
ちょっとの段差が危なくて、ふらつくと言っているので
車から降りる時も乗る時も手を支え、エレベーターのところまで見送りだ。
会社の次は銀行に行く予定だったが
父を車に乗せ、顔を見ると
顔が非常に疲れ切って変なのでまたにしようと提案した。
そうだなとすぐに承諾した。
入院1週間もしたら体力も落ちるし、変になるよと励まし
当たり前だよそんなの。。。と話ながら車でドライブした。

母が、先生と話したところでは、
余命1ヶ月あるか。2ヶ月あるかという微妙な感じなので
ジージがやりたいことを全部やっていこうと提案してみたが
本人は、1ヶ月なんて思っておらず
2年くらいはいけると思っているようだ。

誰か会いたい人はいる?会いたい人をリストアップしてよ。と言うと
こんな風じゃ会いたくねーよ。元気になってから会うよと言われるし
(そりゃそうか)
ジージがやり残したこと100個書いて、片っ端からやっていこうよと言っても
元気にならなきゃ何もできねーよと言われるし
(そりゃそうだ)
会社の始末の付け方も考えてもらわなければならなかったし。

母にこのまま話を伝えると
そうなのねー自分が思っている以上に悪いって考えてないのよ。と言っていた。

黄疸をもしそのままにしていたら
父は1週間の命だったらしい。
手術が成功してよかった。

その次の日も心配でジジンちに行ったが
会社に16時半までいたらしく
元気ならまあ良いか。元気で。。。
と、ババとの息抜き会話を楽しみ私は帰った。


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