父がガン宣告受けました

父がガン宣告受けました

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看護婦うるせー

入院病棟のガラス扉を出て 1週間ぶりに家族と顔を合わして 母と私に向かって言った一言目は 看護婦うるせー。 とても嫌そうな顔をしていた。 何がそんなに嫌だったの?と聞くと 自由がない。決まりばっかりだ。 おしっこするのもボタンを押さなきゃいけないし 食い物も食わせてくれない。 とご立腹だった。 自由人典型的B型の父らしい言葉だ。 少し安心した。父らしい。 1週間も入院したのだ。体力もなければ、ふらふらであろう。 手術もしたし、誰にも会うことができない。(お見舞いが禁止)

    • ジージースティルアライブ

      前回の投稿が1月14日だったからもう10日も経ってしまったわけだ。 なんだか去年のクリスマスあたりから、妙に忙しく(仕事ではない) 登場人物も多くて目が回っておる。 ヒッチャカメッチャカの成人式の後、1月17日に娘はアメリカに帰った。 娘は高校からアメリカに留学していて、現在大学2年生。 高校はワシントンDCに留学、大学はサンディエゴに留学している。 娘にはジージがもしかしたら次に会う時、5月の夏休みに間に合うか間に合わないかはわからないよと伝えてある。 20歳の娘には

      • 緩和治療にするって

        週末は、娘の成人式でヒッチャカメッチャカで大変であった。 父との前撮り写真を、去年の8月に撮り終えていたのはもしかしたらよかったのかもしれない。 海外に住んでいる弟家族も、コロナからの2年ぶりの帰国日に 家族みんなで写真を撮った。 とてもいい写真だ。 娘は振袖。母も、義妹も、私もパートナーも和装して、父と弟はタキシード、 キッズたちはオーストラリアの学校の制服、ホテルの庭園で写真を撮った。 その時にカメラマンが撮ってくれた父の写真がとても良い。 橋の欄干に両手を伸ばし、俯

        • 父は意外と元気だった

          夕方、私とパートナーと、と両親の家に行った。娘(19歳)はネイルサロンの帰りに寄ってもらった。 娘は次の日成人式だから、ばっちりネイルを仕込みたいのだった。 ちょうど、両親は夕飯を食べるところで、母のお箱のローストビーフとレタスサラダとじゃがいもが用意されていて 私とパートナーもつまみながら話した。 食欲は出てきて、時々痛むのが辛そうだったが ご飯を食べれるのは喜ばしかった。 先生と話したことを聞いたが、やはり絶望的らしく もう仕方がねえと開き直ることにしたらしい。 父

          夢から覚めて

          夢だったらよかったのに。そう思うに違いない。 男に振られた時だってそうだ。人生で本当に悲しくて辛い次の朝は あー。現実なんだ。夢じゃなかった。と心が破裂しそうになる。 それが自分の人生において、自分がいなくなると宣告された次の朝も きっとそう思うに違いないと 目覚めに父のことを想った。 父は、朝4時頃に毎日起きる。 目覚めて何を思ったのだろう。 まだ辛いだろうな。 自分の心を精算する力は人間はどのくらいの時間をかければ落ち着くのだろう。 例えば、振られた時は3ヶ月だと思っ

          父がガン宣告を受けました

          父がガン宣告を受けました。79歳。 ステージが2とか3とかいう内科の先生。 4で全身転移で、手術はほぼ不可能だという外科の先生。 どっちなんだいとツッコミきれず 父と母は、もうなるようにしかならんと 開き直る選択をしたようだ。(さっき) どういう風になるかは、これからわからないけれども 私なりの記録に残していこうと思う。 ことの始まりは、2022年11月くらいから 毎晩飲み歩いている両親であるが 父が元気がなく、食欲もない、背中が痛い、 酒も飲みたくないところから始まっ

          父がガン宣告を受けました