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緩和治療にするって

週末は、娘の成人式でヒッチャカメッチャカで大変であった。

父との前撮り写真を、去年の8月に撮り終えていたのはもしかしたらよかったのかもしれない。
海外に住んでいる弟家族も、コロナからの2年ぶりの帰国日に
家族みんなで写真を撮った。
とてもいい写真だ。

娘は振袖。母も、義妹も、私もパートナーも和装して、父と弟はタキシード、
キッズたちはオーストラリアの学校の制服、ホテルの庭園で写真を撮った。
その時にカメラマンが撮ってくれた父の写真がとても良い。
橋の欄干に両手を伸ばし、俯きながら遠くを見ている。
ただ、疲れているだけだろうが雰囲気が出ている。哀愁が漂っている。

実は、この振袖は、私の祖母(母の母)が結婚式のお色直しにあつらえた振袖で
実に素晴らしい。
赤を基調に、グリーン、オレンジ、黄色、ブルー、水色、金、白の葉と花が大小緩急つけて大胆に描かれている。金の刺繍でビーズを使い縁取りをされていて
豪華で艶やか、華やかで魅力的。それはそれは素晴らしい振袖である。
この振袖を、母の姉が成人式に。母も自分の結婚式に。私も成人式に。そして娘の成人式に袖を通して時代をまたがり迫力を見せてくれている。

昔のものは本当に素晴らしいなと思う。きっとたくさんの素晴らしいお着物や骨董が時代と共に廃棄していったと思うととても悲しい。
大体、桐ダンスなんて邪魔だし、見栄えが現代と合わない。
着ない着物を取っていても仕方がないと思うのは当たり前のことなんだろうが
切ない。

そんなことは良いとして、
とにかく成人晴れ姿の娘と父の写真を先に撮っていてよかった。

娘は、生まれた時から小学校を卒業するまで、朝日が一番最初に昇るビーチエリアに住んでいて(カッコよく言えば)
中学校から私が通っていた中高一貫校の女子校に中学受験をして合格し
高校はアメリカに留学したため
小学校まで過ごしたエリアでの参加を強く希望し
朝、こちらで着付けをして、2時間かけて海沿いまで送り届けた。

そんなこんなんでとても忙しい1日であり
1泊して帰ってきた次の日
父は病院の検査の日であった。

結論から言うと
完全に緩和治療にするということだ。
切ったり、貼ったり、抗がん治療も、放射線治療もせずに
ただただ痛みをとり
ガンと共に最期まで生きる。
それを選択したと。

病院の先生は
カルテを見ると即入院かなと思ったが
顔色を見て悪くないし、食欲もあるということなので
この状態から抗がん治療をしても
口の中に口内炎がたくさんできて辛いでしょうから
緩和治療の選択はとても良いと思いますとのことだった。

母方はいわゆるガン家系で、祖父母のガン。
母の姉は30歳でガンでこの世を去るという悲しい経験を家族はしている。
時代的には、いち早く延命治療はせずに抗がん治療もせずに
緩和治療を全員選択してきた家だが
母は、父が抗がん治療を少しは望んでいるのではないかと思ったらしいのだが
緩和治療を選んだということで
ひとまず方向性が決まった。

その日、父と電話で話したがとても元気であった。
声の張りも良いし、腹を決めたのだろう。
元気にしていれば、ガンから逃げていくよと明るくいう父は
昔からブッダのように、平和主義観点で私に諭してきた父であり
それが思春期の時はむかついて、むかついて仕方がなかった父のままであった。
本心はどんなんだろう?もしかしたら、恐れや恐怖があるのかな?
ないわけないか?

そんなことを思いながら
でもきっと、心からこれからの時間をどのように過ごすのだろうと
考えた。
ジージがやりたいことリストを作ってさ
人生やり残したことを片っ端からやりなよ
って言ったが、全然響いていなかった。
余命はわからない。
でも主治医の先生は、2ヶ月タームでやりたいことを考えなさいと。
2ヶ月に1つ目標を持つと良いと言われたそうだ。

私がジージとやりたいこと。
ジージと過ごしたい時間を考えようと思った。

泣きそうだ。






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