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『ガムテープ女』

閑静な住宅街といえば聞こえはいいが、
要は寂れて人通りがないってだけ。
少し前に区画整理がされたばかりで、
道幅は広くまっすぐで、街には清潔感が漂い、
それがまた、寂しさをさらに引き立てている。
なんだか、自分がひどく小さくなって
模型の街に迷い込んでしまったような
そんな気にさえなってくる。

日曜日の早朝、空気はやや乾燥して少し冷たい。
俺はスエットの上下にサンダルというだらしない格好で
近所のコンビニまで、玉子を買いに向かっていた。
今日は息子のサッカーの試合があり、弁当がいるのに
玉子を切らしていることに朝、気づいたのだという。
エプロン姿で財布を渡す妻に布団の中から、
玉子なんて無くても弁当は作れるだろうと言うと
息子が負けてもいいの?という答えが返ってきた。
お前の玉子焼きでサッカーに勝てるのなら、
俺はそれをサッカー選手に売り出して大もうけするよ。
俺は寝巻きがわりのスエットのまま家を出た。

後ろの方から、車が近づいてくる音が聞こえてきた。
かなりスピードを出しているようだが、
俺に突っ込んでくることはないだろうな。
そう思った矢先、俺のすぐ横を黒いワンボックスが
太いエンジン音で吼えながら通り過ぎていったかと思うと
急停止した。
少し距離はあったが、俺は歩みを止め身構えた。

後ろのスライドドアが乱暴に開かれる。
窓を閉め切っていたのであろう、ロックの大音量が
溢れるように車外に流れ出す。
むき出しの太い腕が見えた。
タトゥーの入った若い男の腕のようだった。
そしてその腕は、車の中から何かを外に放り出した。
車には他にも数人、乗り込んでいるようだった。
放り出されたものは、かなり大きく、
少なくとも2人以上で車外に出したように見えた。
口々に何かを叫んでいるようだったが、
何を言っているのかは理解できなかった。
クスリでもやっているのかも知れない。
やがて、タトゥーの腕がスライドドアを閉じたが
車はドアが閉じきらないうちに、爆音とともに
走り去ってしまった。
残された何かは、もぞもぞと動いているように見えた。
それは、人の形をしていた。

俺は慌てて、それに近づいた。
放り出されたものは赤いワンピースを着た
女性のようだった。
ガムテープで両足を太もものあたりでぐるぐるに巻かれ、
腕も同様、手首のあたりをきつく巻かれていた。
細い指の先に塗られたマニキュアが、
何かを引っ掻いたようにぼろぼろに剥がれている。
彼女は、道に投げ出されたままの状態で立つこともせず
長い髪の毛を振り乱しながら、苦しそうに蠢いていた。
息ができないんだ、、、。
彼女の顔は、ガムテープが幾重にも巻かれていた。
空気穴を作ることなど最初から考えていなかったように
めちゃくちゃに巻かれ、口のあたりが大きく
膨らんだりへこんだりしていた。
こいつはヤバいぞ。
俺は顔のガムテープを剥がしにかかった。

ガムテープは思ったよりも剥がれにくく苦戦した。
口のあたりの膨らんだりへこんだりが、
さっきよりも早くなっていく。
俺は指が痛むのも構わず、必死にガムテープを剥がした。
やがて、ガムテープの隙間から息がもれるのが分かった。
彼女の吐く生温かい息が手に触れる。
俺は安堵するとともに、何故かその感触に
とても嫌悪感を覚えた。
そして、もう少しで口を塞いでいるガムテープが
剥がると思った瞬間、バリバリという音とともに、
大きく横に真一文字に裂けた。

最初は、口を開けた際にガムテープが剥がれただけ
のように思われたが、その裂け目から現れた空間は、
口の幅をゆうに超していた。
俺にはまるで、顔が横に裂けたように思えた。
そして、その裂け目からは、大きなノコギリのような
鋭い歯が何本も見えた。
ぐぇぁぁぇぁあ・・・
それは、突然叫びだした。
とても人間の発するものとは思えなかった。

俺は思わず後ずさった。
するとそれは、ノコギリのような大きな歯で、
手首を巻いているガムテープをいとも簡単に
引きちぎった。
そしてその手で太もものガムテープを
ゆっくりと剥がしだした。
俺は、体が言うことをきかず、
その場を離れることが出来なかった。

やがてそれは、太もものガムテープを
すっかり剥がしてしまうと、
くねくねと蠢きながらゆっくりと立ち上がった。
その姿は、どこか体の軸がずれているように
いびつに歪んでいた。
そして、ゆっくりとした動作で
顔に巻かれた残りのガムテープを剥がしはじめた。

その隙間から死んだ魚のような目が見えた瞬間、
俺は呪縛が解けたように逃げ出した。
その目が俺の姿を捉えたのがはっきりと分かった。
もつれる足を何とか転ばないようにと祈りながら、
誰もいない住宅街をめちゃくちゃに逃げた。
後ろからは、人間とは思えない叫び声が追ってきていた。
その距離は段々と縮まっているように思えた。
ふと後ろを振り返ると、それは思ったよりも近くにいた。
手と足がバラバラに動いているような
ぎくしゃくした動きで確実に俺に近づいてきていた。
顔のガムテープは、まだ剥がれきっていない。
俺はまた、走り始めた。

もうだめだ、、、。
足も心臓も悲鳴を上げている。
もう、これ以上は走れない。
俺は立ち止まり、後ろを振り返った。
それは、すぐそこまで迫っていた。
それの息遣いを目と鼻の先に感じる。
俺は覚悟を決めてぎゅっと目を閉じた。
次の瞬間、俺の体に鈍い衝撃があり、
俺は倒れこんだ。
そしてそれは、俺の体を抱き締めるように
がっしりとつかむと俺の顔を
じゃれる子犬のように
べろべろと舐め始めたのだった。

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