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『朝』

注射針が皮膚に触れた瞬間から俺の日常が始まる。
ガラス越しに見える透明な液体にパッと血の花が咲くと
腕の中に吸い込まれていく。
体中を熱い何かが全身を駆け巡る。
きっとその熱い何かこそが俺自身なのだと思う。
腕を縛っていたゴムチューブをはずすと
今開いたばかりの穴から俺の血液が一筋垂れる。
その赤を見て俺はまだ生きていることを知る。

俺は注射器を使い回すようなことはしない。
今使ったばかりの注射器を金属のゴミ箱へ放り込む。
このたった数分のために朝から晩まで汗水たらして
注射器を作っているやつらがいると思うと愉快になる。
もっとも実際に作っているのは機械だろうがな。

頭がスッキリしてくると外に出たい衝動にかられる。
でもまだダメだ。
俺の中でやたらめったら跳ね回っているその衝動を
押さえつけながら俺はやるべきことをやる。

なに、何も難しいことなんてないさ。
服を着る、顔を洗う、食事をする、歯を磨く、
誰もがやっていること。
それをやってしまわないと外へは行けないんだ。
俺は常識人だからな。

昨日の夜、部屋に脱ぎ捨てたままの
ところどころ穴の開いたシャツを着ると
体にぴったりと張り付くようなジーンズを穿く。
シャツからは昨日飲んだウォッカの臭いがした。

顔を洗いに洗面所に向かう途中にキッチンがある。
冷蔵庫を開けると紙パックの牛乳があった。
コップに移さずにそのまま口をつけると
なんだかすっぱい気がしてシンクに吐き出した。
こいつ牛乳の分際で俺に攻撃してきやがった。
残りを捨てようとしたがまた冷蔵庫に戻しておいた。
きっとだれかが捨てるだろう、俺がすることじゃない。
なんだか昨日も同じことをした気がする。

鏡に映った俺はひどい顔をしていた。
ところどころ腫れあがり乾いた鼻血がこびりついている。
ケンカでもしたのか?
まぁ、どうでもいいことだ。
覚えていないことを思い出そうとする行為ほど
バカらしいことはない。

俺は顔を洗おうと水に手を伸ばしたが
冷たかったのでやめて整髪料で髪を逆立てはじめた。
髪の立ち具合でその日の運命が決まる。
今日はいい日になりそうだった。

歯磨き粉が見当たらなかったので何もつけずに磨いていると
鏡越しに何か映っているのが見えた。
後ろはトイレになっていてドアが少し開いていた。
その隙間から何かが覗いているような気がしたのだ。

俺は後ろを振り向くとトイレのドアを開けた。
そこには、血まみれの恋人が便座に座ったまま
がっくりと首をうなだれていた。
俺は恋人の名前を叫んだ。

恋人は息をしていなかった。
体中を刃物で切られているようで
その傷口はすでに渇きはじめていた。
俺はその体を抱きかかえると、部屋に運び出し
ソファーの上に横たえた。
体中に血がつくことも気にならなかった。
そして急いでトイレに戻ると用をたした。

「ふぅぅ、ギリギリセーフ」
俺はトイレの水を流すと玄関に向かった。
さて今日はどこに行こうか。
今日の俺は絶好調だった。
何せ髪の立ち具合が半端じゃなくいいからな。

そして俺は光溢れる外へと飛び出した。

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