正当に評価することと、競争することはちがう

わたしが入社した会社は、実力主義であると言っている。

だから、
「同期は仲間でもあるけどライバルでもあるからね」

「同期で差がつくよ!昇進する人もいるし、同期から幹部が出ても、その時自分は平社員ってこともありうるよ!」

「後輩にも抜かされるかもよ!」

と、研修の節々で言われるのだが、

困ったことに、そんな言葉では全く心が動かないし、
むしろ違和感さえ覚えた自分がいた。


なんで気持ち悪いのかな、と言う理由を考えてみたら、

「正当に評価が下されることと、競争することを、いっしょくたに語られるからだ」と気づいた。


年功序列ではなく、実力で評価されるというのは、

つまり、会社側が言う通り、同期とずっと横並びではないということだし、自分が先輩を抜かせる、そして後輩に抜かされることもある、ということだ。

全くもってその通りだ。

でも、わたしは「差がつくぞ!」「抜かされるぞ!」と煽られるのに違和感を感じる。

それは、わたしが実力主義の会社だと知らずに、入社してしまったからではない。

むしろ、わたしが実力主義がいいな、と思って今の会社に入社した。

でもそれは競争が好きだからではない。周りの人より抜きん出たいからではない。

ただ単純に、仕事で成果を出した人はそれに伴って報われるべきだし、そうでない人はそれ相応の報酬しかないのがあるべき姿だと思っているからだ。

あまりにも「周りに抜かされないように」みたいに煽られるので、偉い人との面談で

「わたしは周りの人との比較ではなく、過去の自分との比較で、自分の成長、その嬉しさを感じます。

昨日できなかったことが今日できるようになること、それが楽しくて、頑張ることにつながるので、競争を煽られているような感じに違和感を感じます」

と正直に話した。

すると、
「マイペースなのはいいけど、自分の基準を低くしすぎないでね。
周りの人ができているのにそれについていけないのは困るよ。」と言われてしまった。

面談した人は会社の中ではそこそこに偉い人だった。

社内の競争に勝ち抜いて、それなりの地位を得た人なのだろうから、競争に勝ち抜こうという考えを持っていて当然かもしれない。

彼らの頭の中は「実力主義=競争」の図式になっていて、誰しもの行動理由はあくまで他者との相対的な比較に拠っていて

「他者より抜きんでること、人より劣らないことである。」と考えているように感じた。

そして、自分がそうだから、他人もそういう理由で動くだろう、と、不安を煽ることによって、私たちを動かそうとしているように見えた。


結果的に、「出した成果・結果によって、評価され、周りと差がつく、高く評価される人もいれば、低く評価される人も出る」というのは、それはそうなのだけれど、

自分が頑張る理由・モチベーションにまで踏み込んで、決めつけてくる感じがして、イヤだった。

同期と差がつくとか昇進とか、そんなの正直どうでもいい。

わたしは「他人がどう動くか、他者と自分との相対的な関係の中で自分を評価する」ということを、わたしの脳や体は重視していない。

わたしは自分の中で、過去できなかったことをできるようになることが大事だ。

その結果、比較的同期より、後輩より、先輩より高く評価されることもあるだろうし、低く評価されることもあるだろう。

でも、評価は評価であって、自分が行動する理由にはならない。

他者との相対的な自分の位置にあまり興味はない。

だから、「みんながこうしているんだから」「抜かれるかもしれないよ」という伝え方をナンセンスだと思う。

実際のところ、潜在的にはわたしに(そして同様に多くの人にとって)「周りの人に置いて行かれますよ」という煽りは効いているのかもしれない。

実際に、一緒に入社した同期たちが、自分をおいて出世してくのを見たり、後輩に抜かされれば、「嫌だなあ、頑張らねば」と思うかもしれない。

人間は生物として、集団行動してきたゆえに、仲間はずれになりたいくない(なったら死ぬ)と思っているから。

そして、会社側はそれを狙っているのかもしれない。

けれど、少なくとも、現時点では何も思わない。


周りに置いてきぼりにされないように、劣等生にならないように頑張る、なんて、なんだかさみしいし、

おいてかれないようにしましょうなんてネガティブで行動させようなんて、イケてないな、と思うのだ。

他者との相対評価(競争)で生きている人と、内的動機をもとに生きている人がわかり合うのは難しいな、と思った出来事だった。

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