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珍妙動植物奇譚 動く大きなサボテン

「しかし熱いですね」
商売道具であるニコンのカメラは砂漠の熱に壊れてしまうのでは、と思うほどだ。
「今日はむしろ涼しいほうだ」
現地のナビゲーターとして同行してくれたドゥンパは、流暢な英語で返事をする。
「サハラは今日も静かなもんだ」
彼はゆっくりとまた一歩と砂を掻き分ける。
「あ、あの。ドゥンパさん。ホントにあるんですよねえ。その、動く大きなサボテンっていうのは」
「ンゲーニ・ウタペーリ」
「はい?」
「ユージ、あんたが探しているその植物の名前のことだ」
「はあ」
彼はこの広大で命を搾り取ろうとする砂漠を歩む。しかしアテもないというわけではないらしい。
「ユージ。あんたが探しているものに出会うためには、もっと急がなければ行けないぞ」
「わかってますよ。でも、この暑さは……」
早く東京の事務所に戻り、ガリガリ君でも食べて興味のない相撲でも見たい。

半日歩いたが、景色は全く変わることはない。ただ自分を照らしつける太陽だけが次第に傾いてく。
目に映るのは、砂だけだ。ただ、それらだけ。生き物と呼ばれるものは自分とドゥンパ以外に存在しない。
ただ風と熱と砂、そういった無生物の自然だけが視界に映る。

「なあ、ユージ」
「なんです?」
彼は歩みを止める。
「どうして、”それ”を探している?」
「”それ”?」
「ンゲーニ・ウタペーリ」
「ああ、サボテンのことですか。いや、昔会ったライターの一人が言っていたんですよ。砂漠の中で動くサボテンがあるって」
「興味本位というわけか?」
「まあ。そうなりますね。仕事という理由にもなりますけど」
「仕事?」
ドゥンパは堀の深い眼を曇らせる。
「ええ。僕は東京で、そういった変わった生物の特集を組むように依頼されたカメラマンなんですよ。だから、仕事です」
「それじゃあ、それは見つからないだろう」
彼はつまらなそうに踵を返し、再び歩き始めた。
「何故ですか? あなたはそのサボテンがどこあるか知っているんでしょう。だからナビゲータとして、ここにいる。見つからないんじゃ契約違反でしょう」
「ユージ。お前が探しているのは、そういった類のものではない。ただ単純にそのカメラに映る、そういった代物じゃあないんだ」
「難しいです」
「そうだろう。お前は”それ”に会いたい。で、あれば、俺についてこい。そして、そのカメラは隠しておいた方が良い。それは機械を嫌う」
半ば自暴自棄になっていた。せっかく雇ったガイドの男は珍妙な言葉しか呟かない。それに、そもそも存在すらも怪しい「動く大きなサボテン」なんて植物のためにこうして、地球の反対側まで来て歩く熱意するらも無くなり始めていた。
昼はただ暑く、空はいつまでも透き通っており、夜は寒く、満点の星が広がっている。

「もう水がないや」
「そうか。それならば、もうすぐだ」
——もうすぐ?
ドゥンパの放った言葉に若干の違和感はあった。だが3日も歩き通しであり、目当てのものがもうすぐ現れると思った時、心なしか足取りも軽くなっていた。
空は相変わらず青い。確かに彼の言った通り、次第にサボテンが視界の端に見え始めていた。
汗はほとんど出てこない。体の中の水分がなくなりつつあるからかもしれない。
「ドゥンパ。まだなのか」
「まだだ。だが、もうすぐだ」
彼のその返事を最後に何も話さなかった。

さらに半日歩く。もはや水筒は乾き、口を潤すものは何もない。
「な、なあ。ドゥンパ。水を分けてくれないか」
「生憎だが、私の水筒も空だ」
「え、そんな」
ぼうっとしている頭でも絶望的な状況であるとすぐに把握できた。
水がない。それに、砂漠のど真ん中。
頭に浮かび上がるのは「遭難」の二文字であった。
「じょ、冗談じゃあないぞ」
死神がゆっくりとこちらに歩いてくる。彼の足音が聞こえ始める。
「う、訴えてやる。お前は俺を日本人だと思って舐めてるんだろ。俺はこの通り、一文も持ってなんかない。水もだ。何が狙いだ」
彼は何も言わない。自分をただ蔑むこともなく、観察するかのように、ボロボロになり始める自分を見つめる。
「ふざけるな。ふざけるなよ」
膝が崩れる。乾ききった体から振り絞るように涙が滴った。
リュックからはノートやら、財布やらガラクタがこぼれ落ちる。

体は限界であった仰向けになるしかなかった。ドゥンパがいるのかも、もうわからない。
しかし、ここまで遠い空を見たことはないと、極限状態にありながらも感動した。
よくよく考えてみると、東京で寝そべって空を見たことはあまりない気がする。
恋人と一緒に行ったピクニックで、レジャーシートを広げて寝転んだ時、確かにそこに空はあったが、視界の端にビルが入り込む。
しかし、ここは違う。
視界がぼやけ始めた。
「はぁ」
一つため息が出た。

その時。
もはや姿勢を保つことも限界で、首を傾げた時。突如として”それ”は現れた。
なんの変哲もない青々しいハニワ型のサボテンは腕を動かした。
——馬鹿な。
力を振り絞りあたりを見回す。
すると同じくして、視界に写っている、そのサボテンたちはまるで玩具のように両腕をぶん、と振っている。
まるでダンスだとも思った。
「ドゥンパ、これが」
彼の返事は聞こえない。
そして、そのサボテンたちは次第に近寄ってくるように思えた。
さら、さら、と自身の針が触れ合う音ともに、それらは近づいてくる。
視界がさらにボヤけてくる。
そして、それまた大きな耳鳴りが始まった。何か巨大な生物が唸るような音が響き始めた。
かすかに踊るサボテンの背後に一つの砂埃が舞っているのが見えた。
そしてそれは次第に近づいてくる。
緑色の巨大な存在が近づいてくる。それは動物のスピードではなく、ましてや生物が移動する速度ではなかった。
その時察した。これが、動く巨大なサボテンであると。
朧げな視界で、詳しくは見極められない。
それは、自分のすぐ側で停止した。
そして、同じく緑色の姿をした物体が分裂し、自分へと近づいてくる。

「あ、ぐうう」
声にならない声を上げる。眼前に丸い口のようなものが迫る。
唾液なのかは分からない。その口からは液体が覗いていた。それは今にでも、自分の顔に落ちてきそうだった。

——カメラに抑えなければ。
わすがに残っていたプロ精神でドゥンパには隠しておいたデジタルカメラに指をかける。
「……いつに、……みずかけて……いいか?」
途切れかける意識の中、その動くサボテンが声かけてきた。
聞き取れない。
「……わかった」
返事をせずとも、その存在は答えた。
——動け。動け。
その円筒の口から唾液が垂れる。
俺は死ぬ。だが、ここで何も成し遂げられず、砂漠で死ぬのは嫌だ。
その本能が指を動かしたのかは分からない。
カシャリ、シャッターを押した感覚と共に、大きな雫となった液体が自分の顔にかかった。そして自分の意識は途切れた。

目が覚めた。あたりは暗かった。
口はぱさついていたが、あの時感じていた乾きはなかった。
どうやらベッドの上にいるらしかった。
「ここは」
病院であるようだった。なんとか体を動かすと、自分が横たわるものと同じベッドが、所狭しと並んでいる。
自分とは肌の違う色の人たちが寝ている姿を見て、まだここが異国であることを悟った。
「気づかれましたか?」
看護婦がこちらへ声かけた。
「あ、ありがとうございました。ここは?」
「ここは市立病院です」
病院。自分は何故か分からないが助かったようだった。
「ドゥンパは?」
「ドゥンパ? それは一体」
彼は逃げられなかったのだろうか。少なからずこの看護婦は知らないらしい。で、あれば誰が自分を助けたのだろうか。
「ここには誰が僕を連れてきてくれたんですか?」
「名前までは聞いてませんが、一人の女性が車で運んでくれたみたいですけど」
「どんな人だったか分かりますか? お礼しないと」
「すみません。あなたが極度の脱水で処置をしなきゃいけなかったのでそこまで見てなかったです。けど緑色の車だったのは覚えてます」
「緑、ですか」
意識が途切れかけた時、視界に映った暴れるサボテンを思い出す。たしか、緑色で大きくて生物には見えなかった気がする。
疑問は無数に浮かぶが、東京という温室にいた自分はまず生きながらえた事実にまずは安堵してしまっていた。
「とりあえず水いただけますか?」
「わかりました」
看護婦は裏手へと消えていく。
ふと視線を落とした時、袖机に相棒のニコン、そしてデジタルカメラがあったことに気がついた。
「そうだった」
カメラのシャッターは押せたはずだ。
データを確認すれば、あの時たしかに見た、動くサボテンを捕らえていたはずだ。捕らえていれば、仕事は達成できたことになる。
なんとか電源を入れ、撮影したデータを確認する。
しかし、そこには何もなかった。あろうことか、サボテンに至るまでにとった砂漠の風景も何もかもが無かった。
「そんなあ」
弱々しい感情が吐露してしまった。
せっかく命をかけてまで、あのサボテンと対峙したというのに。今回の旅自体が気泡と化してしまったのだった。
項垂れ、頭を抱えていると、隣に寝ていた老人が声をかけてきた。
「兄さん。日本の人?」
彼は片言の英語で語りかける。
「そうですけど」
「なんで、ここにいる?」
「サボテンに襲われたんですよ」
「サボテン? ああ。あんたもやられたわけか」
「やられた? 俺は何とか逃げることができたんだぞ」
「ンゲーニ・ウタペーリ」
彼はその返事を聞いた時、笑いながらそうつぶやいた。
「また、それか」
彼は笑いすぎたのか、咽せ返り咳をしたのだった。
癇に障ったので、その後彼とは口を利くことはなかった。

何とか退院した時、代金は請求されなかった。不思議に思ったが、好意として甘えることにした。
カバンもなにもかもあの時に無くしてしまったようだったので、電話代をなんとか無心してもらい、勤めている事務所に電話をした。
数日間は路肩で寝る生活であったが、なんとか生きながらえた。入金が確認できた時すぐに空港のチケットを取った。
「やっと帰れる」
空港まではタクシーを拾った。
東京まではバンコクを経由しなければいけなかったため、遠回りにはどうしてもなってしまうが、極東へ戻れる安心感に満足していた。
飛行機の座席は窓際に座った。災難な目にはあったが、最後にこの広大な大地を見たいと思ったからだ。

空へ飛び立つと、雄大な砂漠を望むことができた。
その時、気のせいかはわからない。わからないが、砂漠の中を走る緑色の車が見えた。
「まさかな」
一人つぶやく。確かに俺はここで「動く巨大なサボテン」を見たのだ。それを東京の皆に伝えなければいけない。でなければ、自分の冒険は無駄になる。だから、伝えなければいけない。俺は見たんだと。そして、疑うなら見に行けば良い、と。
そう一つ決心をして、アイマスクをした。


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他の短編です。


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