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愛されるのが怖い。

世間は圧倒的にクリスマス。
キラキラした街はとてもかわいい。

わたしはというと、音声でも話したが、クリスマスは働きたい人間で、当日じゃなくてもいいか〜チキンとケーキさえ食べられれば!なんて思ってしまう。
クリスマスどうする?と恋人に聞かれて、3秒ほど沈黙したら、「どっちでもいいよ」と言おうとしたでしょう と、、、
どうやら顔に書いてあったらしい。
こんな時くらい、嘘でも、あざとく「一緒にいたい」と言えばいいものを。

見た目以上になぜこんなに可愛げがないのか。


“クリスマス働きたい”は、もちろん本当に、楽しそうな世間を見るのがすきというのもあるが、”恋愛にどっぷりハマっている自分が嫌だから”という気持ちが少なからずある。

本当は、どっぷりハマりたいのかもしれない。
けれど、そんなことは自分が許さない。

だって、そのひとに嫌われてしまった時、わたしには何もなくなってしまうじゃないか。
永遠の愛だなんて、サンタクロースと同じくらい、童話の中の存在だ。

いまだけ、このひと時だけの安心感でいいと思っていた。

そんなわたしは、誰かの1番になることを避けてきた。

すきなひとのタイプを聞かれれば「わたしよりもすきなものがあるひと」だとか「仕事や趣味に熱中しているひと」だとか言っていた。
そうして、お付き合いしているひとに”好かれ過ぎている”と感じた途端に嫌になり、別れる、ということが続いた。
(今思うと本当に自分勝手なことをしていて申し訳ない…。)


そのひとがいなくては、わたしは生きられなくなってしまうことが、
わたしによって、そのひとの運命が変わってしまうことが、
言えなかった秘密ごとを知られることが、
自分でも知らない、わたしを見られることが、


愛されることが怖かった。


不安が続くくらいなら、恋愛じゃなくて、永遠に続く可能性の高い友情をいろんなところで持つ方がいいと思った。

そうしていたら、今度はわたしのことを絶対に1番にはしないひとと付き合うようになっていた。
これくらいの距離が、ちょうどいい、、なんて思っていたけれど、だんだんそれは不安に変わっていった。

本当は愛されていない、そう思ってしまうことも、怖かった。


これは恋愛だけじゃなくて、友達でも、仕事仲間でもそうだが、愛されたいという気持ちはたぶん人並みにはある。

ひとのことが本当にすきだし、誰かと関わるということの面白さも知っている。

けれど、同じくらい、”ひとりでいたい”という気持ちもある。

自分の時間をとることによって、ひとと関わることを避けてきた。
全部が全部知られないようにすることで、話が尽きなくなるように、守りの体制を整えた。

そして、住む土地やコミュニティを変えることで、愛されることのバランスをとっていた。

誰かからの愛情がたとえ残り少しになったとしても、なくならないために。


ここまで書いたが、パッと見で見えるわたしはたぶんこんな風な人間じゃないだろう。

人当たりも良い方だと思うし、笑顔で受け答えもできる。

それは、冷淡な人間だと思われるのが怖かったから、わたしは着ぐるみで武装することを覚えてからだった。
けれどそれは決してネガティヴなものではなくて、”こんな人間になりたい”という気持ちからのスタートだったので、今では自然と自分の一部となっているところが多い。偽っているつもりはない。

それによって、ライトな愛情を受けることが増え、また怖さが募っているのだけれど。

それと、愛情を受け取ることは苦手だけれど、あなたのことは本当にすきだから、それを伝えられるように言葉と行動を尽くしているつもりである。
なかなか難しいけど、ここはもっともっと努力したい。


まとまらなくない文章に付き合わせてしまいました…。この文章に終わりはあるのか…。


散々なことを書いたけれど、わたしは愛について、諦めてはいません。

この世のどこを探しても、愛に勝るものなんて見つかることはない気がする。

愛されることは怖いが、すきでいてくれるひとに向き合いたい。

わたしもすきだから。



週1note、今期もありがとうございました。
最後のnoteはずっとずっと言いたいようで言えないことだったのですが、思い切って書いてしまいました。本当はもう少し回を分けて丁寧に書けばよかったなと思っています。
このようなことがまだあるので、次はちゃんと組み立てて文字にしていきたいな。

またお会いできますように。

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