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電波で繋がるコミュニティ


"週に1回、noteを更新する"

#週1note という、なんともシンプルなコミュニティに参加している。

シンプルだけれど、書くということはやっぱりエネルギーも使うし、難しい。

書くためのネタを日々探すよりも、書きたい!というエネルギーが湧いてくるネタに出会わないと書けないタイプなので、毎度のぎりぎり更新。

更新しなくても誰も咎めたりしないんですけどね。 罰金の制度はあったりします。


そんなかんじで、6週間にわたって、月曜日に更新します。
(早速月曜日に更新できませんでしたが)

曜日ごとに更新するひとが決まっていて、1日6人くらいかな。全員で47人いるそう。多種多様なひとたちの、個性的なnoteはマガジンにまとめてくれています。


わたしは第1期から参加しているが、実は今回はちょっと辞めてしまおうかと思っていた。
noteは個人の感情がカキーンと伝わってくるので、それがすこしだけ辛かった。なんというか「主張をもっとしなければいけないんじゃないか」という強迫観念に迫られていたんだと思う。

"カミングアウト"が世間的に増えつつある中で、わたしには"オープンにしたいこと"がわからない。

その中でネガティブなカミングアウトに共感したりするようなコミュニケーションがnoteの醍醐味なのかもと思ったとき、わたしには書くことがないと筆を落としてしまった。
(もちろんそればかりじゃないし、物語のように読めたりとか、苦手を克服しようとしているものはポジティブに読めたので、自分のことかなと思ったりはしないでください)


けれど、週1noteの交流会や合宿に行ってみて、気持ちがとても楽になった。

特に合宿は、noteで文章を読むというオンライン上でしか知らないひとたち13名と松本で一夜を過ごすという、ちょっと不思議な体験だった。

なんとなく知っていたあのひとはこんな声でしゃべるんだ、
こういう時に笑うんだ、
そんな、友だちとしたら普通かもしれないことを初めて知って、そのひとたちの普通に触れられたことがとても楽しかった。
みんなとてもいいひとなんです。

生き方も背景もばらばらで、個性が強くて、思いやりがある。そんなひとたちがいたから、週1noteを続けてこられた。

"戦友"みたいな仲間です。

そしてこの、電波の上で繋がっているコミュニティは、誰にでも必要なものかもしれない。

家族や友だち、職場関係など、いろいろなコミュニティがあるが、いろんなしがらみを淘汰した世界をひとつ持っておくということは、こころの豊かさに繋がっている気がする。

instagramはそのためのツールだと思っていて、見ず知らずのあの子と、かわいいを共有できるのが、とても楽しい。趣味の合う友だちをリアルで見つけるのは、なかなか難しかったから、特に。ここにはライトな関係性を求めているのだと思う。

noteは、考え方を書いてもいいし、紹介したいこともいいし、「おなかすいた」みたいな日常のことでもいいし。
きっと書くことなんてなんでも良くて。

けれど、文章には写真よりも濃く、筆圧がかかっている。なにかを悩んだりしているとき、きっとわたしはinstagramじゃなくてTwitterじゃなくて、noteに残すのだろう。


わたしに必要なのは、自分を解放すること、なのかもしれない。

いままでもそうしてきたつもりだったのだけど。いろんなものに影響されて、ふとぶれてしまうから。

ゆらぎながらもしっかりと立っていたい。

…そんな話をしていたら「ワカメみたいなかんじですね!」と言われたけれど。うん。まあ良しとしましょう。

cover photo:村上彩乃

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