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◎道後温泉クリエイティブステイ日記⑥後編


【道後滞在6日目 後編】


Oさんと別れて時計を見てびっくりした。なんと3時間も歩き通しだったらしい。どこかで休もうと思ったものの、活弁のために内子座に戻ることを考えると、お店に入るには微妙な時間だ。
たまたま開いていたベンチに腰掛けてお茶を飲んでいると、青い空が急に目の前に迫って来た。「私は一体何をしているんだろう」という気持ちになってくる。
数日前までは知らなかった町で、一生のほとんどをここで過ごす人に出会って、その人生や地域のことを聞く。そして、最後に「子どもは産んどった方がええで」というアドバイスをもらって、別れる。この時間は一体何だったんだろう。

ガイドをしてもらっていると、時折「あやういな」と思うことがある。それは、異性に対して「お嬢ちゃん」と呼んでしまうことであったり、(褒めているつもりで)容姿に言及することであったり、「家庭があって子どもを産むこと」が幸せだという価値観を自然と会話に出現させてしまうことだったりする。
世代の差が大きいと思う。もちろん、それをわざわざ取沙汰して非難したいわけではない。ただ、それが当たり前とされてきた時代があって、その時代を実際に生きた人と話をしているのだなあと思うのだ。そういう価値観で生きて来てきちんと幸せだった人もいるのだなあという、当たり前の事実に気付くのだった。
この類の発言を聞く度、仲良く話していても、世代の間でしっかりと断絶は起きているのだなあと感じる。しかし、できればそれを責めたり強制したりしようとせずに、お互い尊重しながら「そうか、あなたはそういう価値観ですね」という、旅人と案内人のようなさっぱりとした関係性でいたいものだなあとも思う。


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定時になったので、ふたたび内子座に向かう。受付で「寒いので、これどうぞ」とブランケット2枚と貼るカイロを手渡された。
客席に座っている人はまばらながら、皆が舞台を見る視線は真剣だ。足元からはい上がってくる様な冷気を感じ始めた頃、着物でパッキリと決めた役者が舞台に上がってきた。内子座で活動している地元の劇団の方らしい。4本上映する映画を順に説明したあと、早速始まった。


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私は今回、人生で初めて活弁を観た。
最初に感じたのは「これはなかなか意識の置き所が難しいぞ…!」ということだった。
無声映画にさくさくと声を当てていくのだけれど、これが「声優」ではなくて「活弁士」が演じる部分が需要というか、要するにどこに集中していいのかわからず、少々戸惑ったのだ。


映画に集中したいけれども、せっかく目の前に演じている身体があるので、その動きも捉えたい。活弁士は、シーンが乗ってくると身体が動いたり自然に演技が入ったりするので、そちらも魅力的だ。しかし、無声映画は展開も速くそちらも見逃したくない。
結果色々と集中力散漫になってしまったが、3~4本目にいくにつれてだんだんと見方がわかってきて、基本的にあまり活弁士を見ない方向で鑑賞するようになった。後半は少し長いものだったからか、活弁士が台本を見て読んでいる(あまり動きのない)時間の方が長かったので、映画の方に自然と集中する結果になったのだと思う。


もしかしたら、かつて第一線で活躍していた活弁士は、こういう「読みと演技」の使い分けを大層上手にこなしたのかもしれない。映画に集中したい時は声だけに、そして時折意図的に自分の動きも見せていくなど、演出の可能性は無限大にあると思った。


他にもおもしろい気付きはたくさんあって、特に、男性の活弁士が男性俳優に声を当てている時よりも、女性活弁士が男性俳優に声を当てた方にキャラクターが活き活きするように感じられたのは、なかなか興味深かった。女性が低い声を発するとおもしろみが増すと言うか、耳に心地よいのかもしれない。こういう気付きがあるから新しい文化芸術に触れるのは楽しい。最初扉を開くのは緊張するのだけれど、入ってしまえばすぐに引き込まれる。ストリップだって活弁だって、それは同じだと思う。

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映画4本の上映が終わり、ぱちぱちと二階からも拍手が聞こえて演目は無事終幕した。
そうかそうか、活弁とはこんなものか、内子座で観るとはこんな感じなのかとほくほくしながら小屋を出ると、端の方に観客らしき、ご婦人2人が立ち話をしている。格好と話し方から、おそらくこの辺りに住んでいる人なのだと思う。
内子座の外観を改めて撮影していると、なんとなくその二人が話している内容が耳に入って来た。

「あれは…ねえ。だって台詞を覚えとらんけん」
「そうそう。何かあれ、パソコンとか見とるけん。だから台詞を完璧に言えよるんよ」
「よかったんは二人くらいじゃない?」
「そうねえ。でもまあ、みんな立派にやってはった」
「うんうん、上から目線で言っちゃいけんのやけど、まあまあやったね」

き、きびしい言葉……!
公演後の役者さんが小屋から出て来ていたので耳に届いてやしないかとハラハラしつつ、その会話に度肝を抜かれてしまった。

私は、なんだかとんだ思い違いをしていたのかもしれない。
地方だからといって、いや、地方だからこそ、芸術を見る目は研ぎ澄まされている。年に何回か地元にやってくる興行を楽しみにしているからこそ、やはりそのハードルも高いのだ。
「まあ、よかったね」「うんうん」と言いつつ喫茶店に入っていくご婦人たちの背中を見ながら、身の引き締まる思いがした。

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あまりにもお腹が空いたので、ビジターセンター近くの「朝採りたまごかけごはん」屋さんなるものに入ってみる。お店の名前は「これか卵(らん)」。なかなか考えさせる店名だ。
最初に会計を済ませるタイプのお店で、店長さんだろうか、レジで味のある男性が接客してくれた。卵かけご飯セットを頼むと「このつくねがオススメなんです」と言うので、「じゃあそれも」と伝える。すると「わあ、嬉しいなあ~」とめちゃくちゃ笑顔になっていた。こちらもつられて笑う。

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ご飯が多めに盛られており、卵は5種類から何個でもかけていいと言うスタイルで、私は3つ選んだ。特に黄身が白い卵がおもしろく、半透明のたまごに包まれたお米たちは見慣れないのに、味はしっかり卵かけご飯という不思議な感じ。
店主の方は、なぜかおすすめしていたつくねのことをすっかり忘れており、しかし接客中だったのでいつ声をかけようか迷っていたら、目が合って「ああ!!つくね!!忘れてますね!!?」と言うので笑ってしまった。後から出て来たつくねは「熱いですよ!」と言われた通り熱々で、タレの味が濃く歯ごたえしっかりでおいしかった。

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食べ終わり、先程持たせてもらった内子町のガイドブックを広げると、そこには「田舎のプロを目指す」という文言と共に、様々な田舎体験が載っていた。数年前までは外国からも観光客がたくさん来ていたそうで、古い町並みも相まってかなり人気だったという。
観光客をどう行け入れていくか。そして、町の人々でどう団結していくか。内子で生きる人と話して、町を歩いて文化を知って、内子町には、日本中の他の地域が参考にできるポイントがたくさんあると感じた。

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思ったよりもゆっくりしてしまったので、急いで道後に帰る。滞在も終盤、もうすっかり道後に「帰る」という言葉がしっくりくるようになってしまった。それは言葉だけの話ではなくて、路面電車で道後温泉駅の駅舎が見えるとほっと肩の力が抜けるような、たしかな体感も伴っている。このあたたかい気持ちは何なんだろう。旅先である土地のことを「帰る先」と認識すると、その後の人生でもそこはずっと「帰る先」でいてくれる気がする。

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急いで帰って、「白鷺珈琲」で休憩。「愛媛産栗とほうじ茶のババロア」がぷるぷるで、ほうじ茶の風味が強くて美味しかった。座った席から丁度駅舎の向こうに夕陽が落ちていくのが見えて、「ああ、私が道後温泉に来るずっと前から、ここでは毎日こんなに素晴らしい景色が繰り広げられていたんだなあ...」としみじみ思う。閉店時間が近いこともあって、店内の時間もどこかゆるい。他の客たちも言葉少なに、みんな窓の外をぼうっと見ていた。おそらくこの時間が、道後に来た中で1番くらいに何も考えずに過ごせた。もしくは、こんな気持ちになるのは滞在の終わりが近いからなのかもしれない。

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予約の時間が来たので「飛鳥乃湯」へ向かう。道後滞在の最後の夜ということで、「特別浴室」を予約したのだ。
「飛鳥乃温泉 特別浴室」は、道後温泉本館の改修に伴って整備された「飛鳥乃温泉」の中でもかなりの力を入れて作られており、簡単に言うと道後温泉を個室で楽しめる。別名「家族風呂」とある通り、小さな子どものいる家族や、手術跡が気になる人、肌を人前にさらしたくない観光客などに人気だという。週末はとくに予約がすぐに埋まってしまう盛況ぶりだ。
もちろん入浴プランと比べて値が張るのだけれど、はやり最も力を入れている部分を体験せずに道後を去るのは惜しい気がしたので、数日前に予約した。

受付で名前を言うと、「お待ちしておりました」と途端に仰々しい挨拶があった。その後も係の人と出会う度に「お待ちしておりました」と丁寧なお辞儀があり、なんだかロールプレイングゲームっぽさが増した。(自分がここに来る前から「来ることを知っている人がいる」というのが、ゲームっぽく感じるのかもしれない)

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2階まで進むと、係の女性が一人ついてくれ、案内された先には木製の立派な扉があった。

「それでは、お部屋にご案内いたします」

扉に手をかけ、左右に引く。音もなくふわっと開いた。「殿様の、おなーりー」という声が頭の中で響く。すごい、「出迎えられている」感が満載だ。

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畳の部屋には鍵がかかるようになっていて、完全に個室だ。まず座布団へと案内される。座ると、改めて入口のところで係の人が正座をし、両手をついてふかぶかと頭を下げた。予想していたよりもはるかに仰々しい「もてなし」にそわそわしてしまう。部屋のつくり、温泉の入り方などの説明が続く。

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ここは道後温泉本館の皇室専用浴室である「又新殿」を再現した特別浴室で、「湯帳」という、昔の一定以上の身分の方が入浴する際に身につけていた浴衣を着て古代の入浴体験ができるという。最初の門は御成門という門を再現しているらしい。畳の部屋は天皇陛下がお休みになられたお部屋を再現しているそうで、ふすまには銀箔が貼られ、引き手には白鷺の飾りがあり、畳のへりには一定以上の身分の方にしか使用されない模様が使用されているという。ものすごく厳かで、びっくりするほど豪華な部屋なのだ。

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ちなみにお風呂は銀色のふすまを開けた向こうにあって、そこで湯帳に着替えて入る。ここではシャンプーやせっけんの使用が禁止されているので、身体を洗いたい場合は一階の(一日目に入った)大浴場を利用する。
「お菓子とお茶を用意もあるので、よいタイミングで呼んで下さい」と壁にあるインターフォンを指す。

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説明している係の方は自分より若く見えたのだけど、すらすらと難しい言葉で説明するので驚いた。仕草も丁寧で、よほど練習されたのだろう。しかし、下がる時に「あの、この説明文(机の上に浴室の説明が書かれた紙があった)は持って帰っても…いいですか?」と聞くと、「あ、いいですよ」とはにかんで答えてくれた。マニュアル外だろう生っぽい言葉で、少しほっとする。

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係の方が下がった後、「ああ、そういうことかあ」と合点がいった。
このプランは、皇室専用の浴室を再現したもので、だからこそ受け答えもその身分の方への様式を採用しているのかもしれない。接客でも特別感を演出しているのか、なるほど…と思いながら湯帳に手を伸ばす。湯帳は、形が古代のものと同じでありながら、湯を吸っても重くなりにくいポリエステルを採用しているらしい。着てみると確かにさらりとして、水着よりも軽いようだ。

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浴室の扉を開けると、湯がとぷとぷと湯釜から溢れ続けているのが目に入った。音はそれだけで、空間はとても静かだ。湯口の高さを地表の高さに合わせるため、地面を掘り階段で降りる昔ながらの仕様になっている。
階段を歩いて一番下の段まで入ると、そのままどぶんと身体を投げ出した。湯帳の中に入った空気が首の方にぬけて、耳元でぶわっと風を起こす。ふわ~っと湯にたゆたう湯帳が美しく、しばらくそのまま右に左にと漂っていた。湯口には神様が、周りには白鷺が掘られている。使用している石もわざわざここのために取り寄せたものらしい。

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豪華でありながらギラギラしていないその浴室にいると、不思議としずかな気持ちになってきた。皇室の人はこの浴槽で何を思ったのだろうか。私自身、しばらくは泳ぐように動いて湯を巡らせたり、出たり入ったりを繰り返して飽きなかった。しかし、階段に腰かけてお湯を見ていると、なんだか心がざわついてくる。

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丁寧に接してくれた人は皆去ってしまって、自分ひとりで豪華な湯に浸かっている状態。ふわふわ漂っていると、周囲の石の配色も相まって、なんだか死のにおいを感じた。どことなく、お墓はこんな感じだろうか、と思う。
もしかしたら、ここに昔入っていた人は、孤独だったんじゃないだろうか。もちろんそれは私が一人で入っているからかもしれない。一人きりで温泉に入るということは、一人で温泉に入ることとは違う。
一階にある大浴場のことを思った。そこに入る人々のことを思った。道後に来た初日に、私は確かに一人で大浴場に入った。しかし、あれは一人ではなかったのだ。同じ湯につかる人がたくさんいた。本当は、一人で訪れたとしても、その場に居合わせたみんなで温泉に入っていたのだった。

そして、結局私は一階の大浴場に足を運んだ。そこにはプロジェクションマッピングの開始時間を待っている親子がいて、泳いでいる子どもがいて、知らない人がいた。

知らない人たちみんなで、お互いを認識しながら、無言で同じ湯につかっていた。たった一人でこの場所にいると思っていたけれど、いつの間にか、自分もこの道後に許容されていたのだった。もしかすると、道後を「帰る場所」として感じ始めたのは、無意識にその感覚を分かり始めていたからかもしれない。

これが道後温泉の滞在のクライマックスだとすると、少し出来過ぎなのではないかな、と思ってすこし鼻をすすった。



【7日目(滞在最終日)に続く】