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◎道後温泉クリエイティブステイ日記⑦(最終回)

【滞在7日目(ラスト)】

滞在最終日の朝も、いつものように朝食をいただいて荷物をまとめた。
ホテルの方に日々本当によくしていただいたので、チェックアウトの際に売店で何か購入したいと思い「山田屋まんじゅう」を選ぶ。
滞在中、毎日この饅頭が部屋に必ずお茶請けとして用意されていて、日が落ちた後部屋に入って鏡前に座り、ひとついただくと、疲れた身体に優しい甘さがじんわり沁みた。直径3~4センチほどの小さな饅頭なのだけれど、薄皮の中にたっぷりときめ細かやかなうす灰色の餡が入っていて、とろけるような食感なのだ。甘さも全くしつこくなく丁度いい。いわゆる「観光ホテルで出される和菓子」とは一線を画していて、美味しさに日々感動した。
「これ、すごくおいしかったです」とフロントの方に伝えると、「食べきれなかったらジップロックに入れて冷凍しても食感が変わってまたおいしいですよ」と、お得な情報をいただく。丁寧にお礼を告げ、一週間お世話になった宿を後にする。

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最終日の今日は、14時頃に道後を発つ予定だ。
最後に何をしようかと色々考えたけれど、やはりのちの執筆のためにここ道後をもう少し知ってから帰ることにした。
観光案内所隣のロッカーに荷物を預けて、二日目と同じように道後のガイドをお願いすることにした。


受付に座ってらっしゃった方に「二回目なんですけど大丈夫ですか?」と尋ねる。「前回はどこ回ったの?」「行きたいところある?」といった質問に答えていたら、もう一人のガイドの方が「おはようございまーす」と入って来た。すると、最初に話していた人が「ああ、丁度いいや。案内してあげて」とその人に言う。「えっ?」「いいからいいから」と息つく暇もなくガイドを任されている姿を見て、少し不安になる。


「まあ、じゃあそういうことでしたら…行きましょう」


そう言って、後から来た方のガイドの方と、まだ人の少ない商店街を歩き出した。少し困惑した様子で、こちらにどこを回りたいか聞く。私は先ほどの説明を繰り返す。あんなに急にガイドを任されるということは、相当なベテランの方なのだろうか。


「え?僕はねえ、3年目。しかも去年はほとんどガイドできなかったから、経験としてはほぼ2年目だねえ」


3年目…!これまでの滞在でお話を聞いた方は10年程度のベテランの方が多かったので、なんだか新鮮に感じた。正直に言うと、少し「大丈夫かな」とも思った。


ガイドのKさんは、商店街の入り口にある「坊ちゃん」をモチーフにした顔はめ看板の前でぴたっと止まり、こう言った。


「マドンナって何語だと思いますか?」


私が答えられずにいると、「マドンナは正確にはマ・ドンナで、【私の憧れの人】というイタリア語です」と言う。「有名なモナ・リザという絵の題名も、実は同じ意味なんです。なので、今日私はお客さんのことを『モナさん』と呼ばせてもらいますね」


えっ、と思ったけれど、もしかしたらこれは、色んな人のガイドをする上でのKさんの工夫なのかな、と考えて深くは聞かなかった。お客さんの言い間違えを回避するために、呼び方を固定しておきたいのかもしれない。もしくは、「お客さん」では素っ気ないと考えたKさんの、気遣いなのかもしれなかった。Kさんは少し歩くと、また突然止まった。


「この建物、昔は何だったと思いますか?」


立ち止まったのは「道後の町屋」という、ハンバーガーのおいしいカフェの前だった。「町屋」の名前の通り、入口から奥にかけて長いいわゆる「鰻の寝床」だ。しかし、そこが昔何だったのか、見た目からは全く分からなかった。民家?


「正解はねえ、郵便局です。ちなみに向こうの建物は旅館で、あっちのタオル屋さんは昔パチンコだったんですよ」


そう言いながらまたてくてく歩き、次は椿の湯の手前で立ち止まる。椿の湯には入られました?と聞くので、はい初日に、地元の方がたくさんいらっしゃるお湯なんですねと答える。すると、また例の口調が始まった。


「椿の湯は、どうして作られたと思います?」



私はその質問を聞きながら、「ああ、これはいかんぞ」と思った。ひたすら続く一問一答形式に、学校の授業を思い出してなんだか苦しくなってきた。このままだと、ガイドしていただいている間ずっと質問を受けて、こちらが「へえ~すごいですね」と言い続けることになる。私はできればコミュニケーションがしたかった。


「実は愛媛で国体が開催される時に、道後温泉本館だけでは間に合わないくらいにたくさんの人が来るって言うので、急遽作られたんですね。まあ、今ではじじばば湯なんて呼ばれてますけど…」


そう言ってKさんはからからと笑った。次にKさんは蜷川実花氏の装飾の上に立って、手を差し出して言った。

「そうだそうだ、よければお写真をお撮りしますよ」

ええ、と思った。実を言うと私は写真を撮られるのが苦手だ。しかしKさんは「ここは若い人はみんな写真撮りたがるから、ね、遠慮しなくていいんですよ、せっかくだし」と言う。


ああ、どんどんすれ違っていく。どうしよう、どうしよう…。
飛鳥乃温泉を背景に何枚か撮った後、「もう十分です…」と思っていたら、Kさんは「最後に僕のおすすめポイントで撮りましょう」と言った。私は、なぜかその一言にすこし心動かされ、結局ぎこちない笑顔で収まった。青い蝶々の写真があり、その下に手をやって手の平の上で蝶がふわふわ浮かんでいるように撮るのがおすすめらしい。

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出来栄えを確認して、と言うので撮ってもらった写真をぱらぱら見ていたら、Kさんはぽつりと「なかなか習った通りにはいかんですねえ」とつぶやいた。…習う?

「ガイド始めたらね、やっぱり写真撮ってあげなきゃいかんでしょう、だから写真教室に通って、色々勉強している最中なんです」

そして「縦に撮る時はこういう構図で、この辺りから撮って…」というようなテクニックをいくつか教えてくれた。その話しぶりを聞いていると、「この人はすごく勉強熱心なんだなあ」と感じる。

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「Kさんは、どうしてガイドを始められたんですか?」

そう尋ねると、一瞬びっくりした顔をしてこちらを見たあと、うーんと考えながら答えてくれた。

「65歳まで働いて、リタイアしたんだけど。そこからこの先どうするかなあって考えた時に、やっぱりピンピンコロリで死にたいから。で、身体の方はスイミングを始めて。頭の方はどうしようかって考えた時に、英語でボランティアの観光ガイドっていうのを見つけて、こりゃあいいやと思って講座に通って」

聞けば、松山市のボランティアガイドの育成クラスに、英語コースというのがあるそうだ。そこには元学校の先生や公務員、大きな会社の海外担当など、カッチリとした経歴の人が多いらしい。


「でも、学校の先生は英語が喋れても雑談ができない。硬いんだね。営業の人は、コミュニケーション重視で進める傾向がある。僕もガイドをしているうちに、自分の傾向っていうのかな、段々同じことしか言ってないなあって気付いて。それで、もっと勉強しようと思って日本語のボランティアガイドを始めたんですね」



へえ…!と思った。先ほど感じた「勉強熱心さ」を改めて意識する。
その後もKさんは、商店街の中の柑橘屋さんに入って「紅まどんなは本当に甘いので日本人向き。河内晩柑はすっとする苦さがある。ヨーロッパ人は酸っぱいのがすきでねえ。甘いジュースを渡したら、一口飲んで嫌そうな顔するんだよね。あ、こっちのタロッコはブラッドオレンジみたいな甘さで…」と次々知識を披露していく。
「もしかして全部飲んでるんですか?」と聞くと、「まあ、大体はね。ジュースはほら、懐をあまり痛めずに試せるし」と少し照れたように言った。


これまでのガイドさんも知識量がすさまじいものがあったけれど、Kさんも相当すごい。もしかしたら、経験を伴っている分、一つひとつの説明にも熱が入っているのかもしれない。

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歩きながら「日本人をガイドする時と、海外からの方を案内する時ってやっぱり違いますか?」と聞くと、Kさんは「全然違う!」と即座に答えた。


「日本のガイドは、外側から順番に言っていく。日本の西の方の、四つに分かれている島の…から始まって、最後に一番説明したかった【公園に咲いている花】までたどり着く。僕はこれを『蚊取り線香方式』って勝手に名付けてね。でも、海外の人にこういう話し方をすると『で、結局何が言いたいの?』ってなるから、どんなことでも3行で説明する。道後は、温泉で栄えている町です。俳句と文学が有名です。柑橘類がおいしいです。以上。あとは向こうの質問に答える」

やっぱり言語の成り立ちが関係してるんかな、とKさんは言った。

「日本人は、やっぱりバスガイド的なのがガイドだと思ってるねえ。聞く側が、一方通行で説明してもらう形になる」


その一言を聞いて、ああ、なるほどと思った。
たぶん、最初Kさんはこういういわゆる「バスガイド」的な説明をしてくれようとしたのだ。だから質問形式にして、何とか参加させるために色々と工夫してくれていたのだと思う。
意図がわかったことで安心して、そこからは、こちらからどんどんKさんに質問することにした。


「どうしてそんなに建築に詳しいんですか?」

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色々な分野に精通しているKさんが、特別熱く語るのが建築だ。
歩いていると、ある工事現場に組み込まれている木を指して「あれはアカマツね」と言うのでびっくりした。「見ただけで何の木かわかるんですか?」と聞くと、「そりゃあ、あなたたちが服を見てどこのブランドか言えるのと同じことよ」と言う。そういうものなの…?特に、宝厳寺に行った際はすごかった。


「この寺は数年前に焼けてしまったから鎌倉の様式を再現していて、聞くところによると大工さんと設計士が随分ケンカしたとか言ってたよ」
「ほら、木の裏に割れがあるでしょ?あれが背割りと言って、背割りを入れるとそこから乾燥していくから割れにくい柱になるのね」
「あそこは檜。こちらは楠。楠は虫につよい木で、においで虫が近寄らないのね。お寺の中の木は、大体どの木をどこに使うって決まってる。もちろん、色あいも違うし、目あいも違うし、皮の模様でわかるよ」
「木はね、やっぱり何より育ちが大事。悲しいかな人間と一緒かもしれん。例えば元々曲がっている木を真っ直ぐに切っても、年月が経つとどうしてか曲がってきてしまう」

「震度には、きちっとした正方形が1番強い。力を逃せるから。五重塔は真ん中の柱から揺れを逃がせる・軽減できる作り方されてるね。しなやかに、きっちり正方形にして力を逃す建築ができてる。反対に長方形が揺れに弱い。日本の神社仏閣は昔からそういう作り方をわかってて取り入れてる。昔の人は技術と知恵があったんやね」


聞けば、Kさんは木材専用商社でずっと働いていたのだという。海外にも何度も滞在していたそうで、街で建築を見るとどこから来た木材かが大概わかると言う。木材を知るとどうやって建物を建てるのかも気になって、未だに自分で図書館で調べるそうだ。「えっ、図書館で調べてるんですか?」と聞くと、「もちろん。最近も、トロッコ列車がなんであんなに小さいのかが気になって昔の新聞を図書館で探して調べたよ。あれは元々石炭を運ぶようで、人間用じゃなかったんやね」と言った。

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ほおお…と思わずため息が漏れた。
驚き、圧倒された時の衝撃がそこにあった。
ガイド終盤、道後温泉本館の前のベンチで、私は一番聞いてみたかったことを口にした。


「Kさんは、どうしてそんなに何にでも興味を持てるんですか?」


すると、Kさんは本館の大きな建物を見上げながら言った。


「子どもの目を持って、世界を見たいと思っているから。実際のことを言うと、英語で5W1Hってあるでしょ、あれを、何に対してもやることやね。見たもの、知ったもの、すべてに対していつ?とかなぜ?とかを一人でやってる」

どうしてそうするようになったんですか、と聞く前にKさんが続けた。

「例えば、武士って何だってなった時に、いつの時代にどんなふうに出てきたかを考える。元々は貴族の下で警護をする人たち、もののふね。で、それを辿ると元々は天皇家から長男以外の人が貴族の人に支えていったっていう歴史がある。どう?考えてみたら感動するでしょ。もともとたどっていったら、武士も天皇家っていうね。でも、それを言うと我々なんて、本当は10万年前のケニアの一人の女性がはじまりだから。みんな兄弟やったんですよ。今がどうかとか、例えば温暖化とか氷河期とか言われてますけどね、まあ2万年前なんてこの辺がみんな氷河やったわけやけど、でもわからんよね。今だけを見ると、温暖化が進んでる。でも、10万年単位で観ると違うかもしれない。そういう、物事を捉える尺度だな。それを、常に探したいなあっていうのがあるんやね」


私は、目の前にある大きな大きな道後温泉が、ここになかった遥か昔のことを思った。白鷺がここに降り立つ前、人が温泉めがけて集まってくるずっと前のことを思った。

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その時にも我々の祖先はきっといて、この土地は変わらずあって、何千年、何万年かけて、今こうしてちっぽけな私が立っているのだ。今この瞬間は、全体のほんのささいな一瞬に過ぎないのだ。


本館を覆うアートの色が、どんどん向こうに霞んでいく。空が随分大きく見える。
そうか、そうか…と、私はしずかに感動に包まれていた。

この滞在の終わりが、まさか紀元前にまでつながっているなんて、一体誰が予想できただろうか。


どこまでも高い空を見上げていると、Kさんが「せっかくやから、ね」と言って手を差し出した。私はその手にカメラを任せて、今度は少し楽しい気持ちで、写真に納まったのだった。

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今回の滞在で、アーティストとして、自分には何ができるのか。

そう思って臨んだこの7日間、それでも私ができたのは結局「人の話をひたすら聞く」ということだけだった。それが唯一できることだったし、むしろ本来アーティストがやるべきことは、それに尽きるのかもしれない。


また、はっきりとわかったこともある。

それは、ある土地にお邪魔する時の心がまえみたいなものだ。


「なんで?」を忘れないこと。その土地の人の助言に素直に従うこと。そして何より大切なのは、「わかりません!」と言って教えてもらうこと。


こうして教えてもらったたくさんのことを使って、私は小さな作品を造ろうと思う。何万年規模でいう所のほんの点でしかない今を、それでも確かにここにいた私たちの証として、作品にして残しておこうと思っている。


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(滞在日記終わり)

…道後を題材にした脚本を、後日公開いたします