どこだれ⑬ 地元神戸、知らなかった街のこと(前編)
「お洒落なところでいいですねえ」。
これまで出身が神戸だと伝えた時に、最も多かった返事だ。次に多いのは、「山もあって海もあって、自然が多い場所ですね」「住みやすそうな所」だろうか。とにかく、神戸という土地に対してはみな何かしらよい感想を告げてくれる。そんな時、自分が何をしたわけでもないけれどどこか照れくさくなったり、誇りを持ったりするのが一般的な反応なのかもしれない。しかし、私はなぜかこういう言葉をもらう度に複雑な気持ちになる。
本当にそうだろうか。神戸という土地は、本当によいところなんだろうか。
思い返せば、学生の時分でも感じることは色々あった。端的に言ってしまうと山側と海側で所得の差がくっきり別れている。同じ学校に通っていても、毎日同じ服を着ている子もいれば、修学旅行にブランドもののバッグを持ってくる子もいた(決してひけらかしたくて持ってきているのではなく、単純に家にそのバッグしかないのだ)。神戸には山側から阪急、JR、阪神と三本の鉄道が通っているが、どの駅が最寄りかどうかで随分見える風景が違う。大学以降は同級生の葬儀に出る機会も増えて、私にとって地元は、悲しい思い出が多い場所になっていた。
そんな時、私も高校時代から随分お世話になっている新開地アートひろば(旧神戸アートビレッジセンター)で、所属団体の安住の地が1か月間のイベントを行うことになった。神戸で催しをするとなった時、どこかでこのもやもやした思いに進展をもたらしたいという気持ちが湧いてきた。そこで、神戸のことを違う角度から見ている人とお話をしたいと思い、対談企画を考え、松下麻理さんにご登壇をお願いした。松下さんは奈良出身で長年神戸に住まわれており、神戸観光局のフィルムオフィス・広報 担当部長のほか、Artist in Residence KOBE(AiRK)の運営もされている。神戸の色々な面をよくよく知っておられるのではないかと思った。快く引き受けて下さり、対談の前にAiRKにお招きいただき、一緒にご飯を食べることになった。どこの馬の骨ともわからない奴(しかも神戸を相当斜めから見ている)にも関わらず松下さんは物腰やわらかく迎え入れて下さり、色々な神戸話に花が咲いた。以前の職場の素敵な上司の話や、神戸ならではの人情味あるエピソードなど人にまつわる話が沢山あった。「神戸を好きな感情は恋に似ている感じがする」と言う。どこか好きか、なぜ好きかと聞かれてもうまくは答えられない部分が恋に似ているのだと言う。とくに六甲山のふもとの緩やかな広がりが気に入っているというお話には、こちらまでうっとりしてしまうような趣があった。
その言葉ひとつ一つを聞きながら、それでも私はどこか腑に落ちていなかった。なぜそこまで人は神戸のことが好きなのか。自然や人がいいというのは、他の地域でも同じではないのか…。しかし、そんな懐疑的な思いを吹き飛ばすように、ある言葉が胸を突いた。
「やっぱり阪神淡路大震災が大きかったのかもしれないですね」。
街のことを深く意識し始めたのは、震災が大きなきっかけだったと言う。震災の時には、様々なところで声を掛け合う人がいたし、助け合いが生まれた。最も火事が酷かった長田のそばを電車がスピードを落として通る際には、車内がしんとしたのが忘れられないと言う。
「【自分たちの街がこんな姿になってしまった】という気持ちは、あの車両に乗ってた人みんなが思ってたんと違うかな」。
私はそこでやっと、「ああ、神戸の人たちがこの街に恋にも似た愛着を持っているのは、あの震災があったからなのかもしれない」と思い至った。そういえば、出身地を答えた時にかけられる言葉にはこんなものも多かった。
「そうかあ。そりゃあ、地震の時は大変だったねえ」。
私は震災から2年後に神戸に引っ越して来たので、直接的な関わりはないのだが、これまで生きてきた中で何度も何度もこの言葉を聞いた。その回数の多さに、それほど大きな地震だったこと、それだけ多くの人に心配されていたのだということを知った。通っていたのは特に被害が大きかった学校だったので、毎年震災教育はしっかりとされてきた。しかし幼かったからか、「地震は怖いなあ」とか「亡くなった子はかわいそうだなあ」という感想しか抱かなかった。周囲にはまだ傾いた家や取り壊したばかりの空き地があったというのに、それらは全く関係のない世界のことだったのだ。
その時から、私は神戸を見る目がまるっきり変わってしまった。何も知らずに「神戸の何がいいんだろう」と思っていた自分が恥ずかしくなった。ここには、あの震災を経験した人がたくさん住んでいるのだ。そして、その中で自分は生活していたのだ。
帰り道、ふと「神戸をレジデンス先(作品を制作するために滞在する地域)だと考えてみたら印象はどう変わるだろう」と思った。あまりにも自分と近くて、きちんと向き合えていなかった神戸のことを、来訪者の目線で眺めたらどう見えるだろう。
開港の歴史に異人館、都市開発と人工島、酒蔵の多さ、異文化交流、そして震災。川も多く、漁業も盛ん。戦争の記憶もたくさん残されているし、温泉もあれば、おびただしい数のパン屋もある。思えば、神戸には掘ればどんどん作品が創作できそうな魅力がたくさんあった。
その風景を見ながら、新しい神戸の姿を見つけられそうな気がした。よし、と今一度フラットな目を持ち、ゆるりと創作のためのリサーチを始めることにした。
(後編へ続く)