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〇こころざしのない店員、その苦悩



「どんな経緯で、飲食の世界を志されたんですか?」


取材の最後にそう聞くと、相手はふいに泣きそうな、苦しそうな表情をした。


「志すとか、そういうのが全然…ないんですよね。すみません」


そう言ってなぜか頭を下げるその人に、私はいえいえそんな、と言って言葉を探す。
そして、やっぱりこの聞き方はよくないな、と思う。
今までも数人、いや、そんなに少なくない人数、この質問に答えられない人がいたからだ。


飲食店には、色々な「アツい」人がいる。

ある地域で取材した焼肉店の店長は、「地元を盛り上げたいと思って、農家をやってる高校の同級生と、精肉店をやっている友達と3人でお店を始めました!」と言っていた。
またある居酒屋の店長は、「ずっと飲食店で働いてきたけど、つらいことが多かった。後輩にはそんな思いは絶対させたくないから、働いていて楽しいと思えるお店を作りたい」と言った。

そうやって「これがしたい!」「これが自分の使命だ!」という気持ちを持ってお店をやっている人がいる。そういう人の取材は自然と力も入るし、エピソードもおもしろく紹介しがいがある。記事を書きながら「社会に必要なお店だ!」と感じることも多い。


しかし、それと同じくらい、あまり志なくお店をやっている人もいる。


「飲食店くらいしか自分がやれることないかなーと思って選んだだけです」
「バイトしてたんで、就活もめんどくさいんでそのまま飲食でいいかなって」

こういう人は一定数いる。
最初の何回かは、「そう言っても何かしらは頑張っていることがあるだろう」「少しは飲食店が好きな気持ちもあるんじゃないか。じゃないと続かないだろう」と思い、そこから何かを引き出そうと掘り下げたりした。
でも、大体は面倒くさそうだったり、そもそもはやく切り上げたいみたいだった。
じゃあ聞かなくてもいいんじゃないか、とも思うのだが、取材内容の必須項目にその質問が入っているのだ。こっちで丸っきりでっち上げるわけにもいかなし、何か少しでも書けくことのできる欠片を手にしたいと必死だった。


そんなある時、事件が起こった。
ある取材相手が、この質問をした瞬間に突然怒り出したのだ。


「何なんですか?その質問。志がなかったらあかん奴やって言われてるみたいで気分悪いわ」


そう怒る相手は、ひたすら「なんでそんな質問するん?」と聞いた。
場の空気は最悪だ。
私は咄嗟に、普段から考えていた自分なりのこの質問の意義を伝えてみる。


「違うんです。これは、記事を読んだお客さんがこの店の『ファン』になれるように、紹介したい部分なんです。お店の人が、何を考えながら料理をしてるのか、そういうところが知りたいんです」


すると、相手が黙った。
私は続ける。


「大層な職歴とか、志とか、大切なのはそういうことじゃないと思います。お客さんは、なんでこの人が料理を作ってるのか、自分に作ってくれる今の場所にどういう経緯があって来たのか、そういうところを知りたいんです」


すると、その人は「わかった」と言って、しばらく黙り込んだ後、静かに自分の人生を話し始めた。
卒業後、最初はホテルマンとして就職したこと。その後色々あって辞め、職を転々としたこと。最終的に落ち着いたのが飲食業で、35歳からという遅いスタートで料理の世界に足を踏み入れたこと。
そして、同年代の料理人が自分より何倍も上手で、経験を積んでいるのを見て悔しく思うことがあること。


「どうしても経験では勝てへんからね」


その人はそう言って話を終えた。


私はそれを聞いて、これはきっとこの人だけの問題ではないだろうと思った。
一体この社会の何人が「自分の志」で職業を選べているのかと初めて考えた。


人の職歴とか経験を聞く時、私たちはついそれが「本人の気持ち」で動かされてきたと思いがちだ。でも、実際は全然そんなことはないのだろう。

こうして、流れ着いた場所で、じっと踏ん張って頑張っている人もたくさんいる。
それをどこか後ろめたいように感じているその人を見て、私は心の底から申し訳ない気持ちになった。そして、本当は言いたかった。


志がなくても、たとえやる気がなくても、そこで毎日黙々と仕事をしている人は絶対に格好いいです、と。


それ以降、取材の際にその質問をするときは、必ず意図を伝えてから聞くようにしている。
この時の取材から、私は何だか言い尽くせない大きなものを学んだのだった。



(食欲をさがして ㊻)